プロローグ

 深く沈んだ太陽が再び人の世界を照らし出した。日の光を浴びた木々が輝きを取り戻すなか、立ち込める霧によって視界が悪くなっていく。


「ゴラクロス様、森が近いですにゃ。天馬も駆けっぱなしですし、森の入り口で休憩してから行きませんかにゃあ?」


「その献策を却下する、ピケット。私は一刻も早く国王陛下に報告せねばならんのだ。休んでいる暇などない。すべては世界のためだ」


 荒野を駆ける二頭の天馬があった。一頭は金のたてがみを持ち、額からは角を生やしている。天馬は騎手の意図を察し、羽根を広げ空中へと浮かび上がる。そのさまは無理にでも森を越ようとしているかのようだった。


 金のたてがみを持つ天馬に跨がる騎手は、金色の髪に蒼い瞳を持つ騎士見習いだった。まだあどけなさの残る少年騎士は獣人族の部下からの進言を却下して進む。


「……だからって夜通し駆けることはないのにゃ……」


 部下の獣人族である少女は少年騎士のような全身鎧ではなく、間接の動きを阻害しない皮鎧に身を包んでいる。彼女はやれやれと呟くと、自分も天馬の手綱に魔力を込める。天馬は少女の意志を感じとり、金色の天馬を追うように舞い上がった。



 ゴラクロスが砦を去るとき、護衛としてゴラクロスへの同行を申し出たのが猫人族の騎士見習いであるピケットだった。猫人族の少女はゴラクロスという騎士見習いを尊敬してはいなかった。



 砦の中でのゴラクロス=ティンクルの評判は最低だった。


 ゴラクロスは人間族とそれ以外の人類とで露骨に態度を変えた。たとえ人間族でも女性の騎士に対しては敬意を払わない。いっそ清々しくなるほどに時代遅れの振る舞いに、ピケットは危機感を抱いた。


(このままでは砦があらぬ悪評を受けてしまうにゃあ……)


 ゴラクロスは鼻筋の整った美貌と、人間族の傲慢さを集めたような少年だ。それが王都に引き返し、王へと悪評を吹き込めばどうなるか。


 前線で命を賭けている砦の騎士達は先のことなど考える必要はない。しかし、ゴラクロスを通して王の心証を下げてしまっては砦の騎士達の活躍もまるで意味がなくなってしまう。


(勇者の活躍で国は救えたが、砦の騎士達は役立たずだったとか言われかねないにゃ)


 ピケットの小さな不安は日に日に大きくなっていた。さりとて、騎士達とゴラクロスとの仲を取り持てるほど立ち回りもうまくはない。


(最悪手柄が全部勇者様のものになるだけならいいにゃ。この戦争に勝てるならゴラクロスのことを考えなくてもいい。……でも、黄都の心証を悪くしたら勝てるものも勝てなくなるんじゃないかにゃあ)


 ピケットは政治のことなどわからぬ。一介の騎士見習いでしかなく、王のおわす都など見たこともない。それでも、胸のうちに生じた不安は消せない。


 それを兄のピッケルに相談したところ、兄は杞憂だと笑い飛ばすどころか、むしろピッケルの背中を押した。お前先のことを考えられる余裕があるなんて見所があるにゃ、と。


 ピッケルは言った。兄らしく、盛大に胸をどんと叩いて。自分はやらぬが、お前がどうしてもやりたいと言うなら止めないと。



 ピケットは迷わなかった。砦の騎士達のために泥を被ると決めたのである。


(あたしがゴラクロス様に尽くして、あの人にとっての砦の印象を変えてやるにゃ)


 ピケットは強引にゴラクロスへと同行を申し出た。ゴラクロスはいい顔をしなかったものの、土地勘がある人間がいた方がよいというピケットの言葉に押され、最後には同行を許可した。




「もう少し頑張ってくれにゃ、ホーキンス。森にはおまえの好物がたくさんあるにゃ」



 ヒン、と嘶いて栗毛の天馬は少女に答えた。


(……まったく、少しは天馬のコンディションも考えてほしいにゃあ) 



 強靭な天馬も無限の体力を持つわけではない。日が落ちてから明けるまでずっと止まらずに駆け出すなどという無茶をすれば、いかに頑強でも疲労はたまるのだ。


「……ええい、森を飛んで超えるのは無理か。仕方あるまい、降りて進むより他にない」


 森を飛んで超えようという試みはうまくはいかなかった。一晩中駆けてきた天馬のコンディションが万全ではなかったこと、キリで視界が狭まっていたことが重なり、ゴラクロスは思いどおりに先へと進むことができない。ピケットはゴラクロスを宥めながら笑って言った。



「森は深く入り組んでいて迷いますにゃあ。入る前にしっかりと天馬に草を喰わせてもいいですにゃ?」


 ピケットは猫人族らしく猫の耳と髭、尾を持つ人類だ。同じ騎士見習いでリザードマンの血を引くレオナルドに言わせれば『愛嬌のある顔』であるピケットは下から見上げるようにゴラクロスに問う。ゴラクロスは高圧的な態度を崩さなかったが、ピケットの言葉に従った。


「……いいだろう。許可しよう。しかし、天馬の疲労が取れたならばすぐに進むぞ。時間を無駄にすることは出来んからな」


 言質を取ったことでようやくピケットの愛馬とゴラクロスの愛馬は休息を手にできた。森の入り口で蒲公英を食む愛馬を撫でながら、ピケットはゴラクロスをチラリと見る。ゴラクロスは石に座り、腕を組んで目を閉じていた。こっそりと近付いても反応がない。


(戦闘のあと一睡もせずに駆けてきたら疲れるのは当たり前だにゃあ)


 ピケットは固い地面が柔らかくなるよう草を敷き、その上にマントを添える。てきぱきとゴラクロスの鎧を脱がせると、担ぎ上げてマントの上に横たえた。


(……美男子で。都の騎士見習いだからって変に期待するのが浅はかだったのかにゃあ)


 ピケットは噂で沿岸部沿いのモンスターは勇者一行の手によって討伐されたと聞いていたが、ゴラクロスはあえて南東に進み、迷宮都市を経由して王都に進むと決めた。結果として早くに森の入り口に到達は出来たが、よかったのかどうか。


(……ま。あたしの判断が正しいかどうかはあとあと考えればいいことにゃ。ドラクロス副団長も言ってたにゃ。『結果を得る前に、過程を意識しろ』と)


 ピケットは敬愛する初恋の男の言葉を思い返した。ちなみに、ドラクロスは妻帯者である。



(今はしっかりと護衛をこなすだけだにゃ)


 ゴラクロスがすうすうと寝息を立てるなか、ピケットはブンブンと尾を左右にふって考えを頭から追い出した。天馬二頭を木々から離れないよう固定し、簡単な食事の用意をする。野営用の料理など大したうまさではないが、それでも暖かな料理は人類の心を落ち着かせる力があるからだ。


 煙に連られて寄ってきたモンスターは、ピケットが魔力を放出して威嚇すると怯えたように逃げ出した。モンスターも馬鹿ではない。人類を襲うのは空腹を満たすためであり、殺られるために出てくるわけではないのだ。



 ピケットは日課の素振りや型の稽古、魔法の鍛練を繰り返す。やがてゴラクロスが目を醒ました頃には、ピケットは汗だくになっていた。


「おはようございますにゃ、ゴラクロス様。よく眠れましたかにゃ」


「……そうか、私はどれくらい眠っていた?」


「日が頭の上に上るくらいの間ですにゃあ」


「……そうか。それほどまでに疲れていたのか、私は」


「砦での戦闘からろくな休息も取っておられなかったのです。無理もありませんにゃ」


 そうだな、と寝起きの頭をかきあげるゴラクロスは、鍋に用意された朝食に気がついた。ピッケルは胸を張って言う。


「鳥骨のスープですにゃ。鳥骨の煮汁に野草を浸しただけのものですがにゃ……」


「……いただこう。暖めるが、構わないか?」


「どうぞですにゃ」


 ゴラクロスが炎の魔法で薪を燃やし、鉄鍋が赤く染まる。ピッケルはにこにこと暖まるスープを見守っていたが、沈んでいた野草が浮き上がるのを見て火を止めた。


「そろそろですにゃ。いい香りがしますにゃ?」


「香り付けのハーブも入れたのか。確かに、まずまずの出来だな」


 いいか?と視線で問うてくるゴラクロスに対して、ピケットは喉をごろごろと鳴らして答えた。ゴラクロスは木さじで薄白色のスープを口に運ぶ。


「……ああ、染みる。これはいいものだな」


「疲れた体には塩分が一番ですにゃ。おかわりしますかにゃ?」


「……いや……」



 ぐう、とゴラクロスの腹が鳴った。


「おかわりをおつぎしますにゃ」


 まだモゴモゴといいわけを繰り返すゴラクロスの手に、ピケットはおかわりを押し付けた。


 野草はあくが強く、煮込んでいるあいだも灰汁抜きを強いられる。しかし、鳥骨と共に煮込みながらあくを取ることでしんなりとした食感にほのかな塩気と鳥骨の旨味が乗り、体に穏やかな栄養を供給してくれる。言うほどうまいものではないが、疲れた体には丁度よいはずだ。



「ゴラクロス様も訓練をなさりますかにゃ?」


「……訓練は自分でできる。貴殿こそ体を休めておけ。眠っていないのは貴殿も同じであろう」


「では、ありがたくそうさせて頂きますにゃ」


 ピケットは自分のマントにくるまって横になった。木陰のなかで差し込む陽光を浴びるピケットは、猫のようにすやすやと眠りについた。


***


「……聞きそびれてしまったな……」


 ゴラクロスは眠りについたピケットにマントをかぶせ、日課の鍛練に取り組んだ。聖属性の魔力を素振りと共に放出し、腕立て伏せや腹筋を魔力によって負荷をかけて行なう。どれも、数よりも型通りに出力することを意識しながら。


(なぜ獣人は私についてきたのだろうか。…持ち場を離れてまで…)


 ゴラクロスは砦での態度を省みて、理由がわからず首をかしげた。


 ゴラクロスの属する近衛騎士団には、婦女子を戦わせるべきではないという風潮がある。冒険者の界隈では見られない風潮だった。


 魔力による身体能力の強化は性別の差異による身体能力の差を容易に覆す。冒険者に女性や異種族の人類がいるように、人類の人種や性別による多少の差は個人の努力と才能、そして環境によって埋められる程度のものだ。


 それでもなお男尊女卑、人間至上主義の風潮が近衛騎士団にあるのは、異性、かつ異種族の騎士が、職場の同僚や警護する王侯貴族の男子とよからぬ関係に発展しないようにするためだ。ゴラクロスは騎士の家系であるティンクル家に生まれ、幼い頃から、婦女子は守るもの、人間族は人類のなかで最も尊ぶべき種族だと教わって育てられた。そして愚かしいことに、それが世界のすべてだと思い込もうとした。



(我ながら酷い醜態だ。今思い返しても砦から追い出されるのも当然だ)


 砦の中で嫌われたのは無理もないことだと今ならば理解できる。


(だが……なぜ着いてきたのだ?)


 だからこそ、ピケットが自分についてきた理由がわからない。


(……分からん。一部の獣人族は規則に対して執着がないと聞くが……あの砦の中で働いている騎士達を見る限りそれは迷信だったはずだ)


 砦の騎士としてのつとめを放棄してまでついてきた獣人の手を払い除けることはゴラクロスにはできなかった。




***


 森の入り口から森の中へと歩みを進める。ゴラクロスはピケットに後ろを歩くよう促した。


「あたしが前にいた方が良くないですかにゃあ」


「……貴殿は……獣人は目がいいと聞いている。後ろから敵を見逃さぬよう見張っていてくれ。小さな違和感でもあればすぐに報告するのだぞ」


「承知しましたにゃ」


 ピケットに後方から敵の気配を察知するよう指示を出す。ピケットは軽く頷いた。


(………………なぜピケットは私の指示を聞いてくれるんだ…………?なぜだ……?)


 突き放せばあきれて砦に帰るのではないかと思い試したが、ピケットはゴラクロスに付き従ったままだ。道の先に延びていた木枝をショートソードで切り払い進みながら、ゴラクロスは悶々と思考を巡らせていた。


「……ゴラクロス様、あたしの話を聞いてくれてますかにゃあ?この先の道を外れると泉があるんですがにゃ、そこはー」



「いやああああぁっ!!!」


 その時、ゴラクロスとピケットは前方から女性のものと思われる悲鳴を聞いた。木々の囲いを突き破るほど、切羽詰まった声が響く。


「助けて!誰か、誰か助けてぇっ!」


「……何事だっ!」


「あっお待ちくださいにゃ!ゴラクロス様!うかつに飛び出しては危険にゃあっ!!」


「助けねばっ!」


 ゴラクロスは一瞬で思考を切り替え、天馬にまたがり駆け出す。ピケットが止める間もない早さだった。


(なんで戦闘の時は弱いのにこういう時だけ早いのかにゃあ!)


「止まれ!」


 内心でゴラクロスに愚痴りながらも、ピケットは膨大な聖属性の魔力を体内から放出する。ゴラクロスが駆る天馬はピケットの魔力に反応し、ピクリと動きを止める。


「なぜ止める、ピケット・シー!」


 ことは一刻を争うかもしれぬのだぞ、と話すゴラクロスに対して、ピケットの視線は冷たい。


「バンシーの可能性もありますにゃ!この森の奥には外れの道があって、泉がありますにゃ。そこに」


「……旅人を引きずり込むバンシーが沸いて出てくるんですにゃ。先ほど説明しましたにゃ?」


 チリチリと空気が震える。ピケットから放出された怒気に乗って魔力が空間を揺るがしているのだ。ゴラクロスは己の失態を恥じ、天馬から降りてピケットに謝罪した。


「す、すまぬ。考え事をしていて、話を聞いていなかった……」


(殴りてーにゃ)


 ピケットはゴラクロスの金色の顔面に正拳突きをぶちこみたい衝動に襲われた。が、ピケットはたっぷりと深呼吸をしてその衝動を抑え込んだ。


(……がまん、我慢だにゃ。砦の騎士達の心証をあたしが良くしておくんだにゃ。……それに、他人を助けようって気概があるのはいいことだにゃあ)


 ピケットは内心でその部分だけはゴラクロスのことを評価した。砦での任務で一番乗り辛いことは、魔王軍の捕虜になった人類を倒さなければならないことだ。そんな日々を送ると、心は錆び付き、血にまみれて人助けなんて考えたくもなくなっていく。


 しかし、ゴラクロスの目には諦めがない。失敗しようが、自分が傷つこうが、窮地に陥っている人を助けたいという気概がある。


(凄く眩しいあまちゃんだにゃあ。あたしが守ってやらないとすぐ死にそうだにゃ)


 内心でそんなことを考えながら、ピケットはゴラクロスに言った。

 

「ちゃんと説明しますから、本当にしっかりと聞いておいて欲しいですにゃ。……聞こえなかったら繰り返して言いますからにゃあ」


「承知した。……すまなかった、ピケット・シー」


「分かってくださるのでしたら。……先に進みましょう、ゴラクロス様。森を抜ければ迷宮都市の領地ですにゃ」


 顔を青くして謝るゴラクロスに対して、ピケットは多少立腹しながらも承服した。


(これで聞いてくれればいいんだけどにゃ~)


 そう思いながら、天馬にまたがろうとするゴラクロスを見守る。その時、ゴラクロスの胸元に向けて一筋の矢が降り注いだ。


氷壁フリージングウォール!!」


「なにっ!?」


 咄嗟に展開したピケットの氷の壁と、ゴラクロス自身の魔力によって阻まれ矢は地面に落ちる。


「いい反応ですにゃ、ゴラクロス様!」


「こ、この矢は……?」


 が、ピケットとゴラクロスは矢を見、撃たれた方向を見て呻き声をあげる。


 矢には紋章があった。山羊と鼠の紋章が。


「な、なぜだっ!?こちらは人類だぞっ?!瘴気もない!分かるだろうっ!聖属性の魔力だっ!天馬を持っているのだ!何故こちらを撃つっ!?」



 ゴラクロスの声に、ピケットは咄嗟に返答できなかった。こちらを撃ってきたのは、アンデッドでもモンスターでも、死霊騎士でもなかった。それどころか魔族ですらなかった。


 こちらを撃ってきたのは、生身の人間と森人族を含む三人の人類だった。その人類達は、旗を掲げ鋼鉄の鎧に身を包んでいた。旗には鼠を踏みつける猛々しい山羊が描かれていた。


「ゴートラッドの騎士達が、何故我々を襲うっ!?」


「分かりませんにゃあ!防御の体勢を取ってくださいにゃあ!」


 ゴラクロスとピケットは想定外の事態に反撃の体制を整えきれないまま、更なる追撃を受けるのだった。

 




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