バッドエンド
バッドエンド
「それは……どういうことでございますか?わたくしたち……いえ、勇者様に南東の都市へ行けと仰るのですか?国王陛下のご命令に背いてまで?」
騎士団長ボルハルムが告げた言葉を確認するように聞き返したのは、『魔女』フーチだった。銀髪の魔女の表情は険しく、顔色はよくはない。
封建社会において頂点に君臨する国王からの命令はいついかなる時においても絶対かというと、実はそうでもない。勇者一行にとっては絶対ではあるが、砦の騎士たちはそうではないのだ。
この砦が所属する公爵領はセントグレゴリアス王国に属してはいるが、砦は公爵の管轄内だ。公爵の家臣であるボルハルムは、王の意向より公爵の意志を優先する義務がある。そして、ボルハルムは公爵直々にこの砦の中の裁量する権利が与えられていた。
そのボルハルムが『魔王軍に向けて出撃できない』と言えば、王の威光を借りて砦へと来ている勇者もそれに従うより他にない。
騎士団長ボルハルムの左には騎士エリック、そして右には副団長であるドラクロスがいる。ドラクロスは負傷のため司教の治癒を受けていた歴戦の騎士で、年齢は四十。その顔には斜めに走る大きな傷跡が残っていた。会議の場で勇者一行と騎士団側は向かい合っていたが、騎士たちは基本的に話すことはない。
「出撃しない、というわけではございません。万全の体制で出撃するために……」
「……勇者様御一行のお力を借りたいのです」
ボルハルムの言葉にフーチは言い返せなかった。二年間砦を護ってきた歴戦の騎士はフーチよりも魔力で劣るはずなのに、まるで揺らぐことなく砦の方針を語っていた。
(う……お、恐ろしい。騎士団長の目を見れない……)
フーチはボルハルムに圧倒されていた。フーチが生まれ持った気品や教養に圧倒されることは多々あったが、今回圧倒されたのはボルハルムの持つ人としての経験の深さに気圧された。
ボルハルムの持つそれは大勢の命を預かる人間だけが持つ、『責任』の重さだった。ボルハルムは、砦のすべての人間の命を預かる身として、軽々しく動けないことを暗に示していた。
フーチには到底背負いきれない重圧のをボルハルムから感じとり、フーチはボルハルムを見れなくなった。魔女はおもむろに視線をさ迷わせた。
(ゆ、勇者様……)
フーチは助けを求めるように恐る恐る勇者を見た。魔女が長年培ってきた奴隷根性は一朝一夕で払拭できるものではない。権威や権力に弱く、立場の強い人間を見ると萎縮してしまう悪癖をフーチは持っていた。
「……それは魔王軍討伐より優先すべきこと、というわけだな。まず理由を聞かせてくれ、ボルハルム団長。後で国王陛下に報告する時に面倒になる」
「では、直ちに」
勇者はボルハルムの言葉を否定するでもなく頷いた。ボルハルムは勇者が素直にボルハルムの言葉を聞き入れたことに驚いた。
(……見習い騎士への扱いから、勇者はずいぶんと高慢な若造という印象だったが、どうやらそういう訳でもないらしい)
高圧的な態度は、砦の騎士に弱みを見せないための仮面なのだろうとボルハルムは察した。騎士見習いゴラクロスが砦の騎士達から好かれていなかったことはエリックからも聞いていた。ボルハルムは、内心で『高慢だが柔軟な判断も可能な王の騎士』として勇者への評価を修正した。
「誠に宜しいのですかな?」
念のために言質を取ろうとするボルハルムに対して少し面倒くさそうにしながら勇者は頷いた。
「くどい。どうせ俺より先にリオレスへと話を通しているのだろう?ならば、リオレスもボルハルム団長の理由が一考に値すると判断したということだ」
勇者はリオレス司祭を見もしない。リオレス司祭も、穏やかな佇まいのままだ。フーチはリオレス司祭と勇者をおろおろと見回したあと、黙っていた方がよいと判断したのか口をつぐんだ。
「俺の仕事は、これから聞く内容が進軍を止めるに値するかどうか判断することだ。言ってくれ、団長。王への報告書の内容を考えなきゃならんからな」
勇者は腕を組んだままじっとボルハルムの目を見た。
(動揺はない、か。どうやらこういった予定外の事態には慣れておられるらしい。話が早くて助かる)
ボルハルムは、勇者が激怒して癇癪を起こすという想定すらしていた。兵は拙速を尊ぶものだ。目と鼻の先に魔王という元凶があってなお足止めを食らうという事態は、勇者を怒らせるには十分な不備の筈だった。
しかし、そういった無駄な時間を省くことができた。ボルハルムにとって嬉しい誤算であった。
「単刀直入に申します。ここから南東の都市に異変が起きております。迷宮都市ゴートラッドです。勇者様はゴートラッドを御存知ですかな?」
「……『セントグレゴリアスの金貨の三割はゴートラッドにある』という都市か?」
勇者は淡々と聞き返した。勇者と、勇者の左に座るリオレス司祭は表情を崩さないが、勇者の右に座る魔女フーチはきつく掌を握りしめた。
「御存知でしたか。その都市です」
それからボルハルムはすっと目を細めた。部屋に重苦しい緊張感が漂う。
「……昨日リオレス司祭と共に襲撃者の……いや、正しくは魔王軍の死霊魔術の犠牲となったご遺体の検分をしていたところ、私とエリックはご遺体のなかに知人を確認しました。……ゴートラッド領主付きの騎士だったピエールと、ゴートラッド領主リュカオーン、その人です」
「領主……?」
フーチはあり得ないと首を横に振った。勇者はボルハルムに重ねて尋ねる。
「……領主があの竜達の背中にくくりつけられていたというのか?確かなのか、それは?」
「騎士の誓いと、我が父祖の名誉にかけてにかけて間違いはありません、勇者様」
ボルハルムの隣に座っていたエリックは深く頷く。勇者は騎士の誓いを重く見たのか、熟考するように腕を組んだ。ボルハルムは勇者に対して、領主の人となりを話した。
「あの都市の領主は武勲より、経済手腕を誇る人間でしてな。私はあまり好いたことはありませんでしたが、何度か顔を合わせ会話したこともあります。こちらのエリックも、私と同じように領主や側付きの騎士と顔を合わせました」
「…あの都市の領主は強欲ですが、ゴートラッド意外に己の欲を満たす環境もないと理解しているタイプの人間でした。後方から動かず権力を手放さず、ゴートラッドの保持に全力を尽くしていた筈です」
騎士エリックもそう言葉を添えた。フーチはは黙っていたが、リオレス司祭に話を振った。
「どう思われますか、リオレス様?わたくしには、都市の防衛のために命を懸けていたが運悪く捕らえられた……とも思えるのですが」
「それほど善性に溢れた人間ではないとエリック殿とボルハルム団長は申しておられるのです、フーチ様」
リオレス司祭は子供にものを教える教師のように言った。
「現場の騎士達にしてみれば、責任ある立場の領主が最前線に出てこられても困るだろうがな」
勇者がぼやくとフーチはそれはそうでございますね、と恥じるようにうつむいた。リオレス司祭はまぁまぁとフーチをなだめながら言った。
「領主が捕虜になるような状況は限られます。最前線に立つような類いの人間ではないとなれば、よほど深くまで攻め入られたか……」
「都市の内部で反乱でも起きたか?」
「まさか!あり得ませぬ!領主様に刃を向けるなど!」
フーチが激怒しながら言う姿をボルハルム、エリック、ドラクロスは面白いものを見たという目で眺めていた。
ドラクロスの脳内に、ボルハルムからの念話が届いた。
【どうやら魔女殿は我々が思っていたよりもうぶなお方のようだな、ドラクロス】
(うぶとは少々言葉が過ぎるのではありませんか。笑いをこらえるのが難しくなりますからテレパシーはやめて貰えますかね、団長……?)
ドラクロスが上司のちょっとした悪戯心に耐えている間、勇者はふんと鼻を鳴らした。
「……まぁ、どんな経緯があったのかは分からんが。確かなことは、都市の領主が魔王軍の捕虜になっていた、という事実だな。これを見逃すのは愚劣極まる。調査が必要なのは確かだ」
勇者は苦々しい表情で言った。
「…南東のゴートラッドは冒険者中心に構築された都市でございますね。この砦の中で言うのであれば、サンドラ様のような実力者も抱えているとか。もしもその都市が敵の手に落ちていたとなれば……」
リオレス司祭はそれ以上を明言しなかった。ボルハルムは淡々と最悪の事態を語った。
「我らが魔王軍追討のためにこの砦から出た瞬間、迷宮都市から解き放たれた死霊騎士たちの群れが、王のおわす都か、この砦に向けて出てくるでしょうな」
ボルハルムの言葉に、その場の誰もが押し黙った。フーチの顔面は青ざめ、真っ白になっていた。
勇者はよし、と言った。
「……こういう時は…いや、こういう時だからこそ俺の出番というわけだな」
勇者は凍りついた場の雰囲気を和らげようとしているのだろうか、努めて冷静に、そして前向きになるように言葉を重ねた。その声には強い力があった。
「『勇者』である俺には、国王陛下のご威光があるから都市を出入りする権利はある。行こうじゃないか、ゴートラッドへ」
「おお……!」
「勇者様」
ドラクロスとボルハルムは安心したように勇者を見た。ボルハルムも話が早く進んだことを喜んだ。
「……本音を言えば、時間に余裕があれば陛下に許可を頂きたいが、そんなものはないからな。俺たちがこの砦に来たように、沿岸部から王のおわす都に戻っていたんじゃあ時間がかかりすぎる」
「では、案内役をつけましょう」
迷宮都市調査のための人員を勇者と相談の上で決めようとしていた矢先、騎士エリックは勇者の隣の魔女フーチがうつむいていることに気付いた。
(……これは……聞いておいた方がいいだろうな)
エリックが会議の場に呼ばれるのは、他者の様子をよく観察し違和感を見つける癖があるからだった。上役のボルハルムやドラクラスにとっては、エリックの癖は重宝するとのことだ。エリックは自分の勘に従って言った。違和感をそのままにしておくと後々しっぺ返しをくらうという経験をしてきたからだ。
「…………フーチ殿。どうかなさったのですか?先程からお顔の様子が優れませんが……」
騎士エリックがフーチへと問いかけると、勇者が言った。
「フーチはいつも萎縮しがちでこんな顔だ……いや、そう言えば今日はいつもより口数が多いな。どうした?」
(……多い?)
エリックは勇者の言葉に驚いた。口数が多いということは、会議の最初からフーチは普段の彼女らしくなかったということではないか。
「……何か言いたいことがあるんだな?言ってみろ。この場にお前を無下にする人類がいると思うか?」
ぶっきらぼうながら、仲間としての発言を促す勇者は、フーチから告げられた言葉に顔を凍りつかせた。
「…………ゴラクロス様が……危険です」
(……見習い騎士が……?)
【何故だ?知っているか、エリック?】
ボルハルムが念話でエリックに問いかけるが、エリックも困惑するしかない。騎士達が動揺する中で、勇者は顔色を変えていた。
「…………何だと?何故だ?」
「……国王陛下に報告をせねばと……ゴラクロス様は焦っておられました。……昨夜早くに……南東の迷宮都市、ゴートラッドを経由して……一刻も早く、王へ勇者様の御活躍を伝えるのだと……」
その時、勇者だけではなくリオレスの顔も凍りついた。
仲間の身を案じ、パーティーから追放したリオレスも勇者も、ゴラクロスは勇者パーティーとして通ってきた沿岸部沿いの道を使って王都へと帰るだろうと思っていたのだ。活性化したモンスターが跋扈する迷宮都市周辺を経由するより、あらかたのモンスターを討伐し終え、土地勘がある沿岸部沿いの道を通って帰るだろうと。
彼らにとって不幸なことに、迷宮都市ゴートラッドは物流の一大拠点であった。モンスターが活性化し街道が破壊された現時点でも、街道が整備された迷宮都市に向かう方が早い、とゴラクロスが考えるとは思わなかったのだ。
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