ゴラクロス


 防衛戦を快勝で飾った砦は一時、かつてない活気に沸いた。


 しかし、勝利の歓声は長くは続かない。竜達の死骸と死体にまみれる砦の外にいる勇者が戻らないのだ。


【お戻りください、勇者様。皆が勇者様の帰還を待ちわびております】


 ボルハルムは念話で勇者を呼び出すが、勇者は戻らない。


「一体何をしておられるんだ、勇者様は……?」


「団長!もしや勇者様は先程の戦いの手傷が深く、戻れないのではありませんか!?私が天馬で砦の中まで誘導します!」


 焦れてきた騎士達の中からそう進言したのはレオナルドだった。ボルハルムはすぐに頷きかけ、ふと思い止まった。


(勇者どのはもしや……)


 ボルハルムには勇者の行動に思い当たるところがあった。


 確認が必要だと、ボルハルムは部下のなかでも特に視力が優れた獣人族を呼び出した。


「いや、待てレオナルド。貴様は控えているのだ。ピッケル!」


 ボルハルムはレオナルドの提案を却下し、ピッケルという騎士見習いを呼び出した。騎士見習いピッケルは即座にボルハルムの脇に控える。彼は男性獣人族で、猫のような耳を持ち茶色い毛に全身を覆われている。


「かしこまりましたにゃん、団長」


 気の抜けたような返事。しかしピッケルは至って真剣な表情だ。ボルハルムは淡々とピッケルに指示を出した。


「お前は夜目がきくだろう。勇者様は今、何をしておられるか確認しろ」


「確認しますにゃ。……見えますにゃ」


「……何をしておいでだ?」


 ゴクリ、と誰かが唾を飲み込んだ音がした。


「申しあげますにゃ。………………勇者様は。人質達の墓を、作っておいでだにゃ。アンデッドを屠って、骸を埋めて……」


 ピッケルは感受性が豊かな若者で、感極まったように涙ぐんだ。猫のような耳が感情の動きと連動してひくひくと震える。


 人質とされたアンデッドの掃討はピッケルのような騎士見習いと若手騎士の仕事だった。主力である騎士達をいくらでも沸いてくるアンデッドに宛てて消耗させることは出来ない。だから若手騎士ほど、勇者の行いに感極まっていた。


「……なんとお優しい……!」


「おお……!」


 レオナルドのような若い騎士は素直にそう言うが、ボルハルムをはじめとした年配騎士達の表情は芳しくない。勇者の行動は人としては正しく、不要な行いではない。


 しかし。その先の言葉を勇者に告げるべきかどうか。騎士たちは考えあぐねていた。


「あたしが勇者を連れ戻そうか、団長」


 そうサンドラが手を挙げたのを見て、騎士エリックは露骨に安堵していた。


(……やはり。空気を人間も組織には必要だな。頼むぞ姐さん)


 こういった場面で自分から貧乏くじを引いてくれる存在は有難い。それが高い実力を持つサンドラであれば若手騎士達も不満を抱きにくいし、飲み込むこともできる。しかし、ボルハルムはサンドラの意見具申も採用しなかった。


「貴様も手当てを受けるのだ、サンドラ。サファイアスとゴルドも手当てを受けた後体を休めろ。ピッケル、レオナルド。ここはお前達が……」


 その言葉を聞き、リオレス司祭がふう、とため息をつく。


「申し上げてもよろしいですか、ボルハルム団長どの」


 リオレスの僧帽の下の顔にはこうなることを予見していたかのような諦めの色があった。エリックはリオレスに親近感を抱いた。リオレス司祭の顔をよく見れば目の下に隈があり、頬は痩せこけている。

(……私は貴方を尊敬しますよ、司祭どの)


 リオレス司祭の顔は、人間関係に苦心している中間管理職の顔だった。大変なのは自分だけではない。そう思うと、エリックの心にわずかな火が灯った。


「……お騒がせをしております。ボルハルム団長、天馬を一頭お借りできますか。出来れば大人しい天馬を」


「問題はありません。最高の天馬を用意するのだ、レオナルド!」


「はっ!直ちに!」


 リオレスは外見上は華奢にも見える。天馬はプライドが高く、従う相手を選ぶ生き物だ。痩せた司祭を見れば露骨に侮り、背に乗せないこともしばしばある。しかしリオレスは流石に勇者一行と言うべきか、天馬に対して怯むことはなかった。天馬はリオレスを振り落とすことを諦めると、砦から勇者のいる外界へと飛び立っていった。


***


(勇者様も、相変わらず無駄なことを)


 そう思ってしまうのは、己の中に信仰心が足りないからだろう、とリオレスは思った。あるいは、未来への明確な展望か。


 冠婚葬祭を司り、故人が人としてあるべき定めを終えたのだと生けるものを納得させるためセント正教会があった。モンスターの驚異が存在する大陸にあって、人が安らかに死に、望まれざる死を覆し、そしていつか訪れる別れに区切りをつける。それが教会の使命だった。


 教会に属する人間は誰もが、王権や騎士ではなく、教会こそが大陸における人類を守護する役目を持った存在なのだと自負していた。


 そう言えるだけの根拠もあった。聖属性魔法による復活の奇跡は死亡してすぐであれば人類を蘇生させ、癒しの奇跡は致命傷から人を生かすだけの効力を持っていた。大司教であれば切断された四肢すら元通りに繋げることも出来たのだ。


 しかし、この数年で教会の権威は失墜していた。リオレス自身、その心から信仰を失いかけていた。


 リオレスは孤児として教会に拾われ、教会の教えを信じて生きてきた。教えを信じる人間にこそ神の奇跡は訪れる。現世の人々から病や死を遠ざけ、死後の安寧と救済をもたらすために教会は存在する。事実、神の奇跡が人々を救ってきたのだ。疑いの余地など無い筈だった。


 15歳となり成人として教会という組織に属すことを決め、その中で仕事をこなすうち、神の教えがけして平等ではないということに否が応にも気付かされた。司祭となったリオレスは己と同じ孤児や弱者に隔てなく手を差しのべたかった。しかし、それは出来なかった。


 癒しの奇跡や復活の奇跡といった聖属性の最上位魔法による治癒は王族や貴族が最優先と決まっていた。献金をを積み重ねた高位の冒険者や商人といった社会的地位の高いものに限り、神の奇跡は授けられる。そう規則で定められていた。


 教会という組織の力を保持したいがために、高位の癒しや蘇生魔法を万人に施すことは許されない。教会という組織を捨て冒険者になる人間もいるが、ほとんどは蘇生魔術や治癒の奇跡を習得できなかった者達だ。力なき弱者を癒すなど夢のまた夢だった。


 リオレスは冒険者とはならず、司祭の地位にとどまった。それは司祭でいた方が、一介の冒険者より救える人間の総数が多くなると信じたからだ。教会のなかで頭角を表し、地位を得て教義を改め、蘇生魔法を施す範囲を広げた方が救える数は多くなる。それがリオレスの夢だった。


 そこに救いはあると、リオレスは信じてきた。二年前までは。


 リオレスの青く儚い野望は容易く潰えた。人生をかけて習得した蘇生魔法は、人々に救いをもたらすことはなくなったのだ。


「……たす……けて……」


「し……さい……さ……ま……」


「く、る、し……」


 アンデッドと化した人間族の女性、死んだ後も死ねない男性の戦士、まだ幼い子供がリオレスに助けを求めた。上空からレッドドラゴンと共に地面に激突して死亡し、さらにアンデッドに変えられたのだろう。手足はひしゃげ、顔面の半分は無惨に潰れている。あまりにも救いのないその有り様に、リオレスは即座に反応する。


「神の慈悲がもたらされ、貴方に救いがあらんことを……」


 リオレスの風属性魔法、撫風トルネイヴと、天馬の雷撃によってアンデッドたちの首を切る。こんなものは救いでも何でもないことはわかっていた。死後の尊厳を守るための聖属性魔法がろくな効力を発揮しない以上は、残酷な手段でもってアンデッドを停止させるより他にない。


「や……く……立たず……」


「………………」


 アンデッドたちはリオレスへの恨み言をぶつけ、怨嗟と共にリオレスへと群がる。天馬がリオレスを守るため上昇する。


 その間、リオレスは言葉を返せなかった。ただ、亡者となった人々の顔を、怨嗟の込められた瞳を見ることしかできない。


 そのとき、アンデッドたちは一刀で両断されていく。リオレスは目的の少年に向けて馬上から深く礼をした。


「やや、これは勇者様。また助けられてしまいましたな」


 その少年、勇者はひどい有り様だった。鎧には傷と返り血で変色し、ドラゴンの地肉とアンデッドの異臭が混じった泥のようなかおりに包まれてしまっている。スカルドラゴンから受けた手傷のせいか、普段よりも顔色が青い。


「何か用事か、リオレス。しけた面を見せやがって」


「用事もなにもあったものではありません。勇者様、砦にお戻り下さい。騎士達が勇者様を待ちわびております」


 リオレスは孤児のなかで最も聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように言った。勇者はふん、と鼻で笑い、仕留めた骸達を火球フレイムで火葬し始めた。リオレスは勇者を止めるでもなく、火葬するでもなく、勇者に対して補助魔法をかける。


封魔エクソル


 勇者の強大な魔力に余計なものを加算するのではなく、魔力を抑え、正しく矯正する。大きすぎる力の流れを制御して、炎がアンデッドを常世から滅せるよう調整する。それが最も効率がよい方法だった。


 二年前以降に出現したアンデッドはそれまでのアンデッドとは比べ物にならないほど強靭で、聖属性魔法の煉獄プルガトリウムでは火葬には至らない。


 中途半端にしか効かず、長く苦しめるだけの聖属性魔法より、勇者の魔力で火葬される方がアンデッドを苦しめずに済む。そういう判断が出来るからこそ、リオレスは勇者一行の一員でいられた。


「勇者様。……わたくしは勇者様のお心に感服致しました。砦の騎士達もおそらくはそうでございましょう」


 ことが終わり、人骨と竜骨で埋め尽くされた平原で勇者は遺骨を大地に埋めた。リオレスは喪われた魂が天国へと至ることを願い祈りを捧げる。


(……この程度では救いになどならない。……それでも……)


 リオレスの心にはしこりがあった。


 それは墓と言うにはあまりにも簡素な弔いだった。リオレスはもっともっと、もっと一人一人に向き合い弔うべきだった。救いの無いこの世を生きた魂を盛大に弔ってこそ意味がある筈だった。


「勇者様、申し上げます」


「ああ。何だリオレス」


 黙ってリオレスの祈りを聞いていた勇者はリオレスに向かい姿勢を糺す。リオレスは、勇者へもう同じことをするな、と言い聞かせた。


「勇者様。あなた様のお心は、わたくしもよく理解しているつもりです。……ですが、このようなことはなるべくお控えください」



「今は砦という拠点がある。眠る場所と、身を預けられる仲間もいる。それでもか、リオレス」


「………骸は埋めねば腐ってまた瘴気を生みます。疫病のもととなる汚臭を産み、更なる魔物を呼び寄せかねません。ですからあなた様の行動は無意味とは申しませんが……お控え下さい。かような仕事はわたくしや従卒でも可能です」


 勇者は納刀したロングソードの塚を握りしめていた。


(分かっておりますとも。死者の弔いがしたいという気持ちは持って当然のこと。神の教えを信じるならばなおのこと)


「俺がやれば早く済む。殺しを弱いやつに押し付けずに済む。それでもか、リオレス」


 リオレスは勇者の気持ちに納得しながらも、自身の内心を明かすことは出来なかった。それを言うには、リオレスも勇者も手を汚しすぎていた。


「勇者が今すべきことではございません。強者には、強者の役割がございます」


「すべきこと……役割、か。なぁリオレス、勇者とは何だ?国で一番強いやつのことか?」


「今この状況においてはそうでございます、勇者様」


「ならその役割は?」


「魔王を滅することでございます」


「………………俺はそうは思わない」


 リオレスの言葉に勇者は同意しなかった。軽く小石を跳ね上げ、苛立ち紛れに消し飛ばす。ヒン、と天馬が怯えた声を出した。


「勇者は人に希望を見せる存在の筈だ。ガキの頃、俺はそう聞かされてきた。だが、俺はどうだ?単に俺より弱いやつをぶっ殺すしか出来ない。それで勇者と言えるのか?」


 戦闘後に勇者が癇癪を爆発させたのははじめてのことだった。


「誰もが勝てぬ相手に立ち向かい、仕留める。それは端から見れば勇者に相違ありませぬ」


 リオレスの言葉に、勇者はますます苛立った。


「……勇者は……ゴラクロスや、砦の連中のように。自分より強いやつに立ち向かう連中のことだ。俺が勇者の肩書きに甘えてどうしてあいつらが着いてくる?」


「……結局、今回も大勢の人間を死なせることになったんだぞ」


「勇者様、貴方はそこまで……」


(思い詰めておられたのか……)


 リオレスは絶句した。


 人間不信。正確には、人類不信。


 勇者が人類不信に陥っていたことに、今の今までリオレスは気がつかなかった。と言うよりも、自分自身のことで精一杯だった。リオレス自身、まだ二十一になったばかりの若手だ。勇者が齢十五の若者であるということを失念していたのである。


「……こんな形でしか、俺は連中に報いてやれん」


「いいえ。貴方のような存在こそ、人々に勇気をもたらしているのです。勇者様。砦のなかで討ち死にした人間は一人もおりません」


 その言葉を聞き、勇者はまさか、という顔をした。


「俺を謀っているのか?」


「いいえ。わたくしも驚きました。……しかし、どうやらこの砦の皆様は精強無比。細かい手傷こそあれ、命に関わる手傷を負ったものはおりません」


「あなたが敵を打ち倒したからこそ、砦に活気が戻ったのです。砦の中にお戻り下さい、勇者様」


 暫くの間、勇者は無言だった。それから、勇者は恐る恐るリオレスに尋ねた。


「…………ゴラクロスは無事か、リオレス?」


「ゴラクロスどのはご無事です、勇者様」


 その言葉を聞いて、今度こそ勇者は張りつめていた激情を鎮めた。リオレスは天馬の前に勇者を乗せ、自身は勇者の腰にしがみついて砦へと戻った。


 砦に戻ったとたん勇者はレオナルドやピッケルといった若手の騎士達の歓待を受け、目を白黒させていた。


「勇者様だにゃー!」


「うおおおっ!今日は寝かさねえぞ!敵の将軍との一騎討ちをしたんだろう!俺に教えてくれーっ!」


「おい、やめろ!くっつくな!髭を近付けるな!……湯を持ってきてくれ、誰か!」


 リオレスは穏やかな目で勇者を見ていた。それからふと、ここに居ない魔女のことを思った。


(……フーチどのは何処に……?)


 砦を守った英雄として崇められていた魔女のことが気になったが、リオレスは怪我人が養生している病室へと足を運んだ。司祭として、まだ生きている人間に手を差しのべねばならなかった。


***


「……ゴラクロス=ティンクル様……」


 銀色の髪を持つ魔女が、一人の若者と別れの場に立っていた。その一人の若者とは、騎士見習いゴラクロス。金色の髪と均整のとれた顔を持つゴラクロスは騎士としては華奢であったが、どこか浮世離れした雰囲気を持つ魔女と並ぶと違和感の無い存在だった。


「……フーチどの。私はどうやら足手まといのようです。……勇者様や、貴女の手を煩わせる前にそれに気付けて良かった。……私は王へ勇者様のご活躍と、その功績を伝えます」


 ゴラクロスはアンデッドに押し退けられ、軽い打撲傷を負ったもののすこぶる軽傷だった。騎士達の戦いに参戦せず、砦の中にいたことで足手まといにならずにすんだのである。砦の騎士達は、フーチとゴラクロスが二人きりになれるよう気を利かせていた。


「……そんな、ことは……わたくしは勇者様があなた様を追放すると言ったとき、あなた様を御守りするべきでしたのに……」


 ゴラクロスはいいえ、とフーチの言葉を否定した。


「……いいのです。私は、カーボン卿の志を継ごうと躍起なるあまり大切なことを見失っておりました。貴女に手を上げたことも、謝らなくてはいけません。騎士の振る舞いではなかった」


(……ゴラクロス様、声が震えている……きっとわたくしに怒っているのだわ……)


 ゴラクロスに向かい合うフーチの心情は気まずい、等という言葉ではとても言い表せない。それはゴラクロスも同様だろうとフーチは思った。勇者一行から追放された側と追放した側なのだ。その溝は一朝一夕で埋まるものではない。

 

 それでも、防衛戦が終わった後フーチはゴラクロスの姿を探した。そして、話すことに決めたのだ。今を逃せば一生告げられぬかもしれない思いを。


「いいえ。ゴラクロス様……わたくしは、あなた様に出会えてとても嬉しかったのです。女扱いされたことも、とても……」


「な、何と……?」


 ゴラクロスは奇怪なものを見るようにフーチを見た。フーチは羞恥心で震える。


「わたくしは、幼い頃から人間族の中で異端の鬼人族として育ちました。それはコロッセオに売られてからも変わりません。人間族より魔力の強いわたくしを、女子と見て助けて下さったのはあなた様とカーボン卿でした」


「人類を奴隷として扱うことは禁じられております。ましてや、それが女子供ならなおのこと捨て置くわけにはいきません。騎士として当然のことをしたまでです」


 ゴラクロスの言うとおり、ゴラクロスと、勇者親衛騎士団長カーボンがフーチをはじめとしてコロシアムに囚われた人類を解放した。今から8ヶ月前の話である。


 人類の中でも人類として認定されるのが遅かった人種は存在する。腕力と魔力に優れた鬼人族は、高い戦闘能力を有していたがゆえに二百年前魔王軍に与した一族もいた。それらの経緯と人間離れした魔力も相まって、鬼人族を迫害する地方もあった。魔王軍に占領された沿岸部の都市を解放する作戦の途中で、フーチはゴラクロスに救われたのである。


「わたくしは己の鬼人生というものを諦めておりました。他人に恋することもなく、ただあの岩籠のなかで生涯を終えるのだと。ですが、私の人生には先があった。あなた様が助けてくださったからです」


 そして、フーチは三角帽子を脱いだ。黒く美しい角と、絹糸のように銀色に輝く髪がゴラクロスの前に現れる。人類とは思えないほど肌は白く、興奮によってか瞳の色は黒から赤く染まっていた。


「美しい。この世のものとは思えないほどに……」


 リオレスが一言そう言うと、フーチは少し頬を赤くした。


「このようなわたくしを女子と見てくださったのは、ゴラクロス様がはじめてです……」


「……フーチどの……」


 暫くの間見つめあい、やがてフーチは顔を伏せた。そして、おもむろに掌に魔力を集中させた。


「な、何を!?」


撫風トルネイヴ


 フーチの肩まで伸びた銀色の髪は、自分自身の魔法によってバサリと切り落とされる。それから、フーチは切り落とした髪を紐でくくり、布袋につめて渡した。


 勇者一行に同行する前に、ゴラクロスも同じことをした。己の身体の一部を家族に預けておくのだ。もしも旅の中で戦死したとしても、弔って貰えるように。


 フーチは己の髪を、ゴラクロスに預けた。


「わたくしのことはお忘れください、ゴラクロス様。どうかあなた様は、カーボン卿に負けぬほど立派な騎士におなりください」

 

「言われるまでもなくそのつもりだっ!」


「……このようなものを預けられて……忘れられるものか!」


 ゴラクロスはフーチを抱き締めた。フーチはゴラクロスの肩越しに勝利の笑みを浮かべた。


 そんなフーチの姿を覗く騎士もいた。魚人族の女性騎士、サファイアスであった。


「……ふーん。なかなかどうしてやるわね、あの子……フーチと言ったかしら」


 騎士の宣誓は、ただ誓うという形式によるものではない。その騎士が心の底から考え、悩み、そして信ずる信念に基づいて誓ってはじめて宣誓とみなされる。


 心の底からの言葉を嘘にしないために、ゴラクロスという見習い騎士はこれから精進を重ねるだろう。フーチという魔女の存在が過去になったとき、ゴラクロスは今より強く逞しい騎士になっているだろう。それは魔女にとっての勝利なのだとサファイアスは思った。


 魔王軍との戦いの最中、一人の騎士見習いが戦線を離脱し王都へと帰還した。見習い騎士は勇者一行から離れ、騎士としての道を歩み始めたのである。

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