スカルドラゴン


「総員退避、退避ーっ!!!」




 騎士団長ボルハルムの怒号が戦場に木霊する。気絶から息を吹き返したばかりであっても、部下への指示を停滞させるわけにはいかない。騎士ゴルド、サンドラ、そして氷結魔法でスカルドラゴンの足止めを任されていたサファイアスは即座にスカルドラゴンから離れ、天馬を聖属性魔力で呼び出す。


 儚く消え入りそうな輝きであっても、天馬は聖なる魔力を見逃さない。


「ブルル……!」


 二頭の天馬の片割れがドラゴン達を威嚇するように嘶いた。


「ありがとうな、シュレム」


 ゴルドは騎士団長の愛馬を愛おしそうに撫でた。砦の従卒は交代で馬の世話をする。ゴルドも当然団長の愛馬とは付き合いがあった。


 騎士団員が操る天馬は悪しきものには決して従わない。白い体躯に金色の髪、何より全身から唸るような覇気を持つ雄の天馬がボルハルムとゴルドの下に駆け付け、しなやかな細身で白鳥のような羽根を待つ天馬がサファイアスを拾い、サンドラがその後ろに飛び乗る。天馬は魔力の防壁を展開し、ブルードラゴンのブレスやレッドドラゴンの爪をかいくぐった。ブレスの炎が天馬の体に傷を与えようとも、天馬は決して怯まない。



「勇者様は!?どうかなさったの!?」



 今まさに雷撃の吐息を放とうとしていたエメラルドドラゴンの口を”凍結”させたサファイアスは、必死の形相で背中のサンドラに尋ねた。絶技の連続使用に加え魔法の行使までしたサファイアスに余裕はない。彼女は既に携帯していた聖水を使い切っていた。




 人類が魔力を補充する手段は何通りか存在する。聖水はそのなかでもっとも手軽な魔力の回復手段だった。シスターや司祭の手で聖なる魔力を練り込んだ水は聖水となる。人類の魔力を回復するために用いられるのだ。


 聖水の効力も、二年前と比べて弱くなっている。魔力補給効率の低下は騎士団にとって死活問題で、人類を蝕んでいた。



「とっくの昔に離脱したよ!……7時の方角にね!紙屑のようにドラゴンを引き裂いてるよ!」



「それは良かった!」


 サファイアスが進行方向のドラゴンを凍結によって足止めしながら砦に進む一方、サンドラは聖属性魔法によって天馬についた擦り傷を癒す。ドラゴンに対して何らかの攻撃魔法や遅延魔法をかけこちらへの注意を向けるより、足である天馬を癒す方が最優先だと判断したのだ。



 聖属性魔法の効きは途轍もなく悪い。しかしなにもしないよりはましである。サファイアスの駆る天馬がゴルドの天馬に合流したとき、サンドラは背後で魔力を爆発させる勇者の姿を感じ取った。その魔力のあまりの雑さにサンドラは振り返る。


(何て勿体ない魔力の使い方だい!?)



 サンドラは驚きと苛立ちが沸き起こるのを抑えきれなかった。勇者はサンドラ達が離脱するための時間稼ぎをしてくれている。


 鎧をドラゴンの返り血で染めた勇者は、主を失い暴走するばかりのスカルドラゴンと、それを宥めようとするエメラルドドラゴンの群れに突入し、勇者はエメラルドドラゴンを紙細工のように引きちぎっている。


 勇者の戦い方は騎士の戦闘というにはあまりにも無様すぎた。冒険者のそれとも異なる。まるで怒った子供が駄々を捏ねているようないびつさだった。



 勇者や騎士が用いているロングソードは武骨な武器だ。切れ味はそこそこではあるが頑丈で、断ち切るというよりは押しつぶす、吹き飛ばすという使い方の方が多い。多少は雑な使い方でも折れたりはしない。


 勇者はロングソードの武器の扱いが雑であるにもかかわらず、鋼鉄の皮膚を持つ竜種をいともたやすく吹き飛ばし、その肉を抉り取っている。完全に魔力量だけでそれを成し遂げているのだからたまらない。



(……あれじゃ宝の持ち腐れってもんだ)


 しかし、その動きは剣術が不得手なサンドラから見ても雑だった。元冒険者で、剣を振るより拳で殴る方が強いサンドラであっても分かるほど動きに無駄が多い。雑に肩に力を込めただけの大振りは無駄な隙を生んでいる。

  

 無駄な動きとはつまり、体力と魔力をドブに捨てていることに他ならない。それは些細なミスを引き起こしやがて致命的な死へと至るだろう。



 魔族や盗賊との対人戦においてフェイントを織り交ぜることはままある。一見すると、無駄に思えるような動きをすることはある。しかしそれは、生き残るための意味のある動きだ。サンドラの目には勇者は死にたがっているようにしか見えない。




「油断するんじゃなよ、坊や!さっきの剣戟はどうしたんだい!まるで別人じゃないか!それじゃあ剣が泣いているよ!」



 思わずサンドラは叫んでいた。しかし、勇者にサンドラの声が届いたかどうか。届いた上であえて知らんぷりをしたのかもしれなかった。


 サンドラは武人趣味ではない。戦闘を楽しむ戦闘狂でもない。


 拳を用いてモンスターやアンデッドを殺害するのは、それがもっともサンドラの強みを生かすことのできる手段だからだ。拳に美学を感じているわけではなく、仕事を効率よくこなすことができる手段だから拳を用いているに過ぎない。だから、自分に武人趣味はないとサンドラは思っていた。




 しかし、目の前で見たこともない未完の器を見たことで、サンドラの中で思いもしない感情が芽生えた。


(なんて勿体ない……!なんて無駄な戦い方だ!)



(このままでは、いつかあの坊やは命を落とす……!)




 それは冒険者時代から続くサンドラの勘だった。サンドラは今までの人生で何度か同様の直感を幾人かから感じ取り、そのうちの何人かは命を落としている。別次元の強者であるはずの人間も、つまらないミスや些細な油断、人間関係のもつれが原因で死ぬことがあるように、勇者も今のままでは偉業を成し遂げることなく死んでしまうだろうとサンドラは歯噛みした。



「団長!勇者の坊やに《念話》テレパシーで警告すべきじゃないかい!?突っ込み過ぎているよ!!」



 たまらず意見具申するが、ボルハルムは取り合わなかった。




「既にテレパシーの範囲外である!勇者殿の戦いに無駄な横槍は不要っ!あの御方は我らのために殿を務めておられるのだぞ!!無駄な指示は命取りになるわっ!!!」




 ボルハルムの判断ももっともであった。ボルハルムの大声ならば指示を飛ばすことはできるだろうが、 今まさに戦闘中の勇者が命令を聞き入れるとは到底思えない。どこかねじ曲がりひねくれた性格ならばなおのことだ。



「ならゴル坊!壁で援護を!」


「すまん、魔力切れだ……」


 ゴルドは単騎で死霊騎士を足止めした後だった。消耗の度合いで言えばサンドラよりも酷い。


「そいつは悪かったね……」


 サンドラはもはや勇者を信じるより他になかった。



 勇者は強い。サンドラが思っているよりも底知れない強さを持っている。それは、勇者が将軍である死霊騎士を屠ったことからも明らかだ。


 しかし、死霊騎士はシルヴァだけではない。




 魔王軍の死霊騎士には、人類で名を馳せた冒険者や騎士もその名を連ねている。いずれもシルヴァを軽くしのぐひとかどの猛者たちだ。




 それに加えて、魔王軍には将軍を束ねる総帥も存在する。個人主義が横行し、冒険者以上に稚拙と呼ばれる魔王軍を束ねる総帥が将軍より弱い筈もない。今のままでは勇者が死ぬことは火を見るよりも明らかだった。今この戦場でも、勇者はサンドラから見て三回は隙を晒している。敵にサンドラ程度の技量かまともな知性があれば、勇者の隙を見て絶技を叩き込むくらいは出来るだろう。



 サンドラの懸念はすぐに的中した。勇者が雑に振った剣は、スカルドラゴンの硬い骨に阻まれて弾かれる。勇者は、崩れた体制のままカウンターとしてスカルドラゴンの骨の嵐ボーンストームを受ける羽目になった。




「勇者どの!!一度お下がりを!砦で養生を!」



 砦に動揺が走る。エリックの声だとサンドラは思った。森人族は無駄に耳がよいのだ。勇者は少なくない手傷を負っている。が、そんな勇者を司祭の加護が包み込んだ。



「慈悲深き戦いの神よ。あらゆるものに眠りをもたらす戦女神よ。汝の敬虔なる使徒を癒し、その痛みを取り除きたまえ。鎮痛ペイレス



 サンドラは砦へ帰還したまさにそのとき、勇者を見据えて詠唱しているリオレス司祭を見、その魔法を聞いてしまった。


「!?」



 それは、司祭のごく一般的な補助魔法だった。最も簡単な基本の魔法。聖属性魔法ですらない。



 サンドラが驚いたのは鎮痛魔法にではない。その効能と副作用を心配したがゆえにだ。


 鎮痛魔法は医療を志す人間ならばまず習得する魔法だが、その扱いはとても厳しい。


 確かに手傷による痛みは取り除くことができる。が、痛みを取り除くということは体の感覚も麻痺してしまうということだ。


 鎮痛魔法は治療前に痛みで暴れる人間を取り押さえるための魔法であって戦闘中に使用するものではない。筋肉の適切な動作はもちろん、魔力の適切な行使を阻害してしまうだろう。


 しかし、勇者の動きはそこから目に見えて良くなった。スカルドラゴンの骨の雨を防ぎ、迫る爪を剣で薙ぎ払い、骨の鳥籠を滑らかな剣裁きで切り裂く。


「……なんてこと。あれが勇者様……」


 司祭によって傷の手当てを受けていたサファイアスは勇者の戦いを称賛した。先程までの雑な戦いを見ていなかったのだから無理もない話だ。


 勇者からは余計な力と魔力が抜けきっていた。砦から勇者への支援魔法はなく、あくまでも砲撃のみに留まっている。リオレス司祭の指示に違いなかった。



「何だい……?なんて常識外れの戦い方だ」



 天馬によって砦へと帰還したサンドラ達は、そこでさらに規格外のものを目にする。砦から魔力の高まりを感じ取ったのだ。




 勇者は砦からの魔力に呼応するかのように突如爆発的な魔力を放出し、砦の壁へと着地する。重力を無視した動きだ。


 スカルドラゴンは勇者を仕留めんと全力の突撃を試みる。勇者を殺せばそれでよし、回避されても『砦を破壊する』という主から与えられた使命は果たせる。まさに一石二鳥の行動。追随するドラゴンたちもスカルドラゴンに合わせて羽根を広げる。その動きはよく訓練された群れのそれであり、軍と呼ぶべきものだった。




「万物に怒りの矢を解き放つ。天よ、魔よ、等しく我を恐れ我が足元へひれ伏せ。天地招来エブリレイン


 しかし、ドラゴン達の突撃が成就することはなかった。



 勇者と砦の攻撃によって疲弊していたドラゴンたちに、致命の一撃が降り注ぐ。



 上空から降りる白菜光が、スカルドラゴンたちを照らした。そう思った次の瞬間、スカルドラゴンの巨躯に赤、青、紫、緑、黄の五色の魔力が直撃する。



「……多重属性魔法か!?」


 ゴルドは上ずった声で言った。火炎、凍結、弱体化、感覚阻害、雷撃。強靭なドラゴンの皮膚、固いスカルドラゴンの骨といえど、魔力による防御を阻害する魔法と、皮膚や骨を貫通する出力の魔法を同時にぶつけられてはどうしようもない。


「使用には溜めの他にいくつか条件があるようだね。しかし、これは……」



 スカルドラゴンは、部下のエメラルドドラゴンに庇われまだ動いていた。もはや羽根はもげ、その存在を維持できない。


 それでもせめて一泡吹かせようと言うかのように、原型を失う寸前の骨竜はのろのろと勇者に迫る。



「あばよ、ボーンドラゴン。あんたはかなり強かったぜ」



 勇者の斬撃がスカルドラゴンを仕留めたとき、砦の外で動く生命は勇者だけになっていた。ドラゴンも、その背中に乗っていた人類の成れの果ても、等しく死を与えられ眠りについた。


 

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