業
石造りの城壁に、古より残る化石のように無機質な骨の塊が迫っている。その骨は左右に存在するエメラルドドラゴンより更に大きく、人類を守る砦が頼りなく思えるほどの威圧感を持っていた。
「化け物が……!」
「今さらだぞ!泣き言を言うなよ!」
その異様を見て、騎士たちは呟いた。
魔王軍の操る死霊魔術によって蘇り、呪いによって生前の力を凌駕した屍竜。その骨は
スカルドラゴンが、生前のドラゴンのようにその口腔を開く。エメラルドドラゴンのブレスを凌ぐ圧倒的な魔力の奔流が人類を守護する砦へと放たれんとしていた。
「突撃いーっ!!!!!!!」
その時、ボルハルム率いる小隊がスカルドラゴンの顎目掛けて一筋の矢のように迫る。一歩間違えば至近距離からのブレスによって消し炭になりかねない捨て身の特攻だった。
「
至近距離からボルハルムたちの絶技が叩き込まれる。絶技。騎士や冒険者が研鑽の果てに身に付ける技を昇華させ、絶対に敵を殺すための奥義として開拓してきた人類の誇る奥義である。
騎士団長ボルハルムが解き放つ聖なる斬撃の輝きが死霊の顎を揺らしのけぞる。オーラブレードを遥かにしのぐ出力を持つ聖剣技は、直撃と同時に爆発的な衝撃波を相手に叩き込むのだ。
ボルハルムとほぼ同時に、海人族のワンドスから支援魔法を受けた海人族の女性騎士サファイアスが氷の魔力を帯びた三叉槍による突きを放つ。三叉槍から解き放たれた魔力は確かに骨を砕き、顎の骨を凍らせることに成功する。
そして無防備になったところに、全身の筋肉をバネと化して飛んだサンドラの拳が突き刺さる。
魔力を外部に放出することなく零距離から炸裂した拳は、凍らされ無防備になった顎へその全ての力を骨竜へと叩き込んだ。
「っらあああああっ!!」
すかさず
最も魔力が集中する攻撃の瞬間の顎部こそ、竜の死角である。魔力探知によって敵の位置を大まかに察することができる竜でも、生命体としての物理的な構造まで超越しているわけではない。アンデッドである骨竜もまた、物理的な構造に縛られている。膨大な魔力を放出するには、ブレスという形でなければならないのだ。
弱点に絶技を叩き込まれればいかなる竜であったとしても損害は免れない。スカルドラゴンは数秒の間、微かによろめき機能を停止した。その瞬間、氷結系魔法による支援攻撃が砦から放たれる。痛手を与えるためではない。間接の繋ぎ目を凍らせ、スカルドラゴンの動きを阻害しようという算段だ。
「サファイアス!スカルドラゴンを凍らせるのだっ!サンドラ!来るのだ!!!背に乗る将軍を討ち取る!」
「ご武運を!姐さん!」
「ゴル坊の援護だねぇ!任せなっ!あんたの彼氏は死なせないよっ!!」
ボルハルムは部下の一人に足止めを命じ、サンドラと共に魔力を放出してスカルドラゴンの背中を駆け上がる。行き掛けの駄賃とばかりに細かな斬撃や蹴りがスカルドラゴンの体に刻まれていくが、その傷はみるみるうちに癒えていく。
まるで司祭によって癒されているかのように。呪いのような禍々しい魔力がスカルドラゴンを癒している。
(……おかしい、あそこだけ治りが遅いっ!)
ボルハルムは歴戦の騎士として、小さな違和感を感じ取った。敵の治癒魔法らしき瘴気によって傷が治るという悪夢にはもう慣れた。スカルドラゴンに治癒能力が備わっているにしても、敵がスカルドラゴンを治癒しているにしても、骨折が治るのが遅すぎる。
【サンドラっ!右に回避するのだ!】
ボルハルムは息つく暇もなく元冒険者の部下へとテレパシーを飛ばす。テレパシーは本来、中央の騎士が習得する技ではない。しかし口を動かして指示を出すより早く部下へ指示を出すことができるので、ボルハルムは寝る間も惜しんでこれを会得したのだ。
一瞬前までボルハルムとサンドラがいた場所に、骨の弾丸が降り注ぐ。直撃すれば鎧によって身を守れるボルハルムはともかくサンドラは重傷を免れない。
「助かったよ隊長!」
【左後方から来るぞ!右上に跳ぶのだ!跳ぶのだサンドラ!】
僅か数秒の間にボルハルムとサンドラは死と隣り合わせの道を突き進む。その先に待つ仲間を救うため、二人は己の出せる最大最速でもってスカルドラゴンの背面へと辿り着いた。
ボルハルムとサンドラがスカルドラゴンの背中に辿り着いた先では、既に激戦が繰り広げられていた。
「
スカルドラゴンの背に乗る二人の騎士は、激戦を繰り広げていた。一人は
黄金の騎士が展開する障壁は、一秒と死霊騎士の攻撃を止められない。死霊騎士は攻撃に大した魔力も込めていない。二年前から、人類の持つ聖属性魔法の効力は著しく低下していた。本来であれば一度の展開で十数秒は維持できるし、薪のように割れたりはしない。二年前であれば。魔王軍が宣戦を布告して依頼、ゴルドの障壁は薄氷のように頼りなくなっていた。
力の差は歴然だった。ゴルドの鎧の肩当ては吹き飛ばされ、少し分厚い自慢のロングソードには刃毀れが目立つ。それでもゴルドがボルハルムとサンドラ到着まで持ちこたえたのは、ゴルドが人一倍継戦能力に優れていたためだった。
「シルヴァ!お前はいつも訓練に遅れてきてたよなぁっ!そんなお前が魔王軍になって何をしようってんだ!騎士団の面汚しがよぉ!」
「……そんなだから、サファイアスにフラれんだよ!お前は所詮騎士団長にはなれない器だったのさ!」
「愚か者め、その名を呼ぶな!!!」
ゴルドの言葉を聞いた瞬間、死霊騎士の動きは明らかに精細を欠いた。スカルドラゴンの骨を加工し作り上げた骨剣はゴルドを捉えること無く空を切る。
精神口撃。それがゴルド、そして人類の武器である。
死して敵の手に堕ち、死霊騎士として蘇った騎士は、生前の騎士を凌駕する力を持つ。生前より強化された仲間が人類に向けて牙を向く悪夢のような光景だ。しかし、辺境の精鋭たちは生き延びるため、それを逆手に取るしかなかった。
未練を残した騎士の生前の友人。恋人。或いは、子供。彼らから話を聞き、或いは彼らの友人を使い、口八丁で時間を稼ぐ。
知性も理性も持たないアンデッドに、人間と同じ感情が宿る。その瞬間、死霊騎士は生前の面影を取り戻し一瞬だけ隙ができるのだ。
「
「
ボルハルムの絶技を背後からの不意打ちで叩き込まれた死霊騎士シルヴァは、サンドラの絶技を感じ取り、咄嗟にスカルドラゴンの骨を使い身を守る。聖属性の攻撃より、サンドラの絶技の方が脅威だと感じ取ったのだ。
死霊騎士は、聖属性魔法に対する高い耐性を獲得していた。二年前であれば、聖属性魔法を受けたアンデッドは身を覆う瘴気を吹き飛ばされ消滅する筈だった。しかし、今は掠り傷を負わせるのがやっと。それは聖属性魔法の習得を必須とする騎士と、聖属性魔法のため長い時間をかけて己を磨く司祭を抱える騎士団にとって絶望を意味していた。
「将軍っ!この手で殺されてもらうよっ!くたばりな死に損ない!」
「だまれだまれ黙れ!私を見下すことは許さんっ!下等な亜人の分際がっ!!」
生前の高潔だった面影は既になく、魔王軍の傀儡と成り果てた死霊騎士は魔力を放出しようとしていた。生前のシルヴァを知る三人は、それが生前得意としていた大規模氷結魔法であることを察する。
【ゴルド!挟み撃ちにする!障壁を展開しサンドラを護るのだ!】
ゴルドは明らかに満身創痍だった。それでも、騎士として団長の命を遂行せんと奮起する。無言の命令を受け、無言のまま展開された聖なる障壁がサンドラを包み、護る。
……しかし、死霊騎士から放たれたのは氷結魔法ではなかった。
「
「!!!?」「しまった!!」
圧倒的な瘴気の奔流が、死霊騎士の盾から放射される。サンドラはゴルドが展開した障壁によって事なきを得た。ボルハルムもゴルドも意表を突かれていた。生前より強化された死霊騎士が、生前苦手としていた炎熱系統の魔法をくりだすことはこれまで無かった。
瘴気の炎熱は三人に少なくない痛手を与えただけではなかった。氷結系魔法で覆われていたスカルドラゴンの体が再び動き出す。シルヴァは攻撃と同時に、足場であるスカルドラゴンを回復させる手段を持っていたのだ。ゴルドの盾は吹き飛ばされ、ボルハルムもまた地に落ちてしまう。
(……これは……まずいねぇっ!!)
本能的に、サンドラは骨の上を疾走した。死霊騎士の魔力放出後の硬直を狙ったのだ。生前のシルヴァは、絶技使用後の弱点を克服できていなかった。
結論として、サンドラの拳がシルヴァへ届くことはなかった。
「クソッ……タレ……!」
魔力放出後硬直したシルヴァを、スカルドラゴンが護ったのだ。骨竜は、その硬質な骨をシルヴァとサンドラの間に挟み込み、サンドラの絶技の威力を極限まで弱めていた。
サンドラは離脱せんと距離を取ろうとするが、足元から生えてきた骨に右足の甲を射抜かれる。
(強く……なっている。敵も……!)
サンドラは朦朧とする意識のなかで、絶望を感じていた。二年前より、サンドラたち個人の力は強くなった。しかし、それでもなお彼我の戦力差は縮まっていない。それどころか開いている。
人類が力をつけるように。
魔王軍もまた、力を付けている。
「ぐあああっ!!」「サンドラ―っ!!」
サンドラの右腕に、死霊騎士の炎が当てられた。森人族であるサンドラにとって、炎は弱点のひとつだった。
「やめろ、やめろ、シルヴァ!お前は高潔な騎士だった筈だーっ!殺すなら俺を殺せ!」
魔力が尽きかけていたゴルドに出来ることは口撃しかなかった。しかし、この状況の精神攻撃になんの意味があるというのか。全滅までの時間を引き伸ばすだけでしかないと、ゴルドは分かっていた。先に殺された挙げ句、死霊騎士となった自分が仲間を殺す順番が先になるだけだ。
「私を見下すな、見下すな人間っ!黙らせてやる!舌をひきちぎり、目をくりぬき、腸をドラゴンの餌としてくれるっ!その上で殺し私の部下としてくれるわっ!私はここを落とし、その功績で王となるっ!魔王になるのだっ!」
「残念だがそりゃ無理だ」
醜悪な形で生前の人格を取り戻し、興奮していたシルヴァの腕が切り裂かれる。鋼鉄のような死霊騎士の腕が、あまりに容易く斬り裂かれたことにゴルドは驚きを禁じ得ない。
(つ……強い……!!)
その男は、黒い髪を持ち、ボルハルム団長と同じ
しかし、自分より一回り小さいその少年の背中が、ゴルドには頼もしく見えた。その鎧に刻まれた傷の多さ。それだけで勇者が修羅場を潜ってきたことがわかるのだ。何より、男はボルハルム団長を背中に担いでいた。落下した団長を救出してくれた。ゴルドの目には涙が浮かんだ。サンドラも解放され、今は必死で右手を止血している。
(い、いや!)
ゴルドは己の手に魔力を込め、シルヴァの腕を微塵切りに斬りさいた。
「気を付けろ!そいつは傷を回復できる!魔法で跡形もなく粉々にするか、こうして微塵切りにでもしなければ何をするか分からんぞ!」
「……わかった。ありがとうおっさん。それだけ分かれば充分だ」
「そいつは氷の魔法も使う!!足元から骨も来る!油断するんじゃないよっ!」
「助かるよおばさん」
「あたしゃまだ若いんだよっ!」
男……勇者は雑にボルハルムをゴルドへ放り投げる。後ろでわめくサンドラを無視し、男と死霊騎士シルヴァは対峙していた。うかつに動けば、死は免れないと分かっていたのだろう。死霊騎士シルヴァは沈黙を守った。その間に、サンドラは右腕を無視し、利き腕ではない左腕を握り直す。
(撃てたとして、あと一撃ってところかい……!)
足の傷があるため、本来の威力とは程遠い。しかし、あと一回だけ絶技を使う魔力がサンドラには残されていた。
「隊長。起きているでしょう。……あたしの声を、あの坊やへ届けて下さい」
「……勿論だとも」
死霊騎士は、そんなやり取りを繰り広げる彼らに気付くことはなかった。目の前の勇者に全神経を集中させていたのだ。
先に動いたのは死霊騎士だった。絶技を模した突き。勇者を仕留めるために繰り出されたそれは騎士団の絶技を優に超える。直撃すれば、鎧を貫き勇者を絶命せしめるだろう。
勇者はそれを前に進みながら躱した。サンドラや騎士が持つ、攻撃のための回避行動。身体の中心を相手からずらすこと無く常に相手を見据えて動く。騎士の基本に忠実な動きだった。
(……勝ったっ!)
サンドラはそんなシルヴァの心の声を聞いた気がした。
【後ろは任せな!あたしが護ってやる!!】
サンドラは、勇者に声を届けた。瞬時に絶技を勇者の後方に向けて放つ。
瞬間、勇者の後方に出現した骨を、サンドラの拳撃が吹き飛ばした。
勇者の姿が、サンドラの視界から消える。溢れる魔力が、その居場所を教えてくれていたが。
「……なっ……!」
死霊騎士の眼前に現れた勇者は剣を振り下ろした。それは、絶技というにはあまりにも基本的すぎた。騎士達が毎日毎日当たり前のように振り下ろす基本動作。芸も何もないただの面。
しかし、それは死霊騎士を屠るこれ以上ない技であるようにゴルドやサンドラには思えた。
死霊騎士は跡形もなく粉々に吹き飛ばされた。サンドラの絶技を超えるほどの斬撃。死霊騎士は防御することができなかった。そしてそのまま、死霊騎士の全身は微塵切りに切り刻まれる。
「……な……に……?そ、そんな……」
「ベラベラと御託を並べて仕事をサボってるやつじゃあ、王様になんてなれやしねぇよ」
勇者が斬撃を終えた時、死霊騎士は跡形もなく消え去っていた。ゴルドは勇者へと礼を述べた。
「……ありがとう、勇者。仲間を眠らせてくれて……」
「離脱しろ。俺の仲間にスカルドラゴンを屠らせる」
勇者はゴルドの礼に一瞬目を見開いた。
(照れているのか?案外可愛いところあるじゃあないか)
サンドラがそう思った次の瞬間には、勇者はゴルドから顔を背けていた。そして、ゴルドたちの顔を見ずに言った。
「礼を言うのは俺の方だ。助かった、ボルハルム、おっさん、おばさん。……お前たちのお陰で命拾いした」
「そういう言葉は人の顔を見て言うもんだよ!」
サンドラの声に答えること無く、勇者はボルハルムを背負いスカルドラゴンの背中から離脱するのだった。
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