負け犬の砦


 勇者と呼ばれる存在は、人類の歴史において度々現れた。勇気あるものたちの中でも人類のために闘い、偉業を成し遂げた英雄。それが大陸における『勇者』であり、幼子であれば誰もがその称号に憧れる。


 人類。人間族を中心とした、大陸に育つ聖なるものたちである。それらを護るために、恐怖に抗って立ち上がり、悪しき魔王を打ち倒した英雄の物語がある。


 邪智暴虐の限りを尽くし、幾つもの国を滅ぼした魔王。それに唯一対抗せしめ、殺害に成功した英雄、勇者がいた。吟遊詩人の歌によれば、かつてウォーボート王国に勇者が誕生したのは今から190年も昔。勇者は金色の髪と雪のように白い肌を持つ乙女だった。救国の乙女たる勇者を支えたのは、ウォーボートの姫騎士だった。そして魔術師と司祭の四人は力を尽くして魔王を討伐し、ウォーボード王国と大陸の人類に安寧と平和をもたらした。


 

 それから188年の歳月が過ぎた。吟遊詩人の歌によれば、ウォーボート王国が二度その名を変え、聖グレゴリアス王国となって66年。


 人類は、再び滅亡の淵に立たされていた。



***


 太陽がどっぷりと沈み、静寂と暗闇が世界を支配する。魔王軍から人類を守護するための前線基地である砦の食堂には、交代で騎士が訪れていた。


「お勤めご苦労さん、エリック。噂の勇者様ってのはどんなもんだい?」

 

 きらびやかに輝く白銀鋼鎧ミスティリスメイルに身を包んだ一人の騎士に、妙齢の女性が声をかけた。輝く鎧に負けぬほど輝く金色の髪を持つ騎士は、苦笑しながら青い髪を持つ筋骨隆々の女性を振り返る。輝く鎧には不釣り合いなほど、騎士の顔には疲労の色があった。


「誰かと思えばサンドラ姐さんですか」


「誰か、なんて失礼な男だねぇ。あんた、砦の中の休憩時間くらい鎧を脱ぎなよ。休めるときに休むのも騎士の仕事だと教えられなかったのかい?」


「私は着込んでいる方が落ち着くのですよ。特にここ最近はね」


 氷結魔法によって冷凍保存されていた野菜と香草を煮込んだシチューと、長期保存に適した黒パン。そして申し訳程度の干し肉。それが砦に詰める騎士の食事だった。騎士エリックはサンドラの指摘を意に介さず、鎧を脱ぐことはしなかった。


「……勇者どのと直接話す機会は得られませんでした。……その取り巻きに関しては期待できそうもありませんね」


 エリックは淡々と食事を口に運びながら話す。砦に赴任した当初とは比べのもにならないほど、騎士エリックは周囲と打ち解けていた。


(……しかし、バカ正直に全てを話すべきではないな。どこまで話そうか…)


 騎士エリックは、団長ボルハルムの命を受けてゴラクロスを寝室へと運んだ。勇者一行の内部はあまり良好ではない。それを全て明らかにすれば、士気の低下は免れないだろう。




「どうもこうもありませんよ、サンドラ姐さん。勇者の取り巻きが俺を見る目ときたら、同じ人類に向ける目とは思えないっ!」


 ……が。エリックの内心をよそに勇者一行の内情を明かす騎士がいた。エリックと共にゴラクロスの側仕えをしていた騎士である。


「あんたの話は聞いてないんだけどねぇ、レオナルド」


 サンドラと呼ばれた妙齢の女性は怪訝な目で割り込んできた男を鬱陶しそうに見た。


 サンドラに話しかけた男、レオナルドはエリックより若い。レオナルドもまた、人類のために闘う騎士だった。ただし、その身を守るのはエリックの鎧には数段は見劣りする白銀鎧プラチナメイルである。レオナルドは、白い肌のエリックとはあまりに異なる毒々しい緑色の肌を持っていた。


 レオナルドはエリックのような人間族ではない。レオナルドのむき出しになった手の甲には、鋼鉄のように固い鱗がある。レオナルドは、鱗の肌を持つリザードマンと毛を持つヒューマンとの間に産まれた青年だった。その身の丈はヒューマンとしては大きく、リザードマンとしては小さい。


「……この二年間録な救援を寄越さなかったと思えば、あんな糞の役にも立たないガキを送り込むなど。中央は我々を何だと思っているのか……!」


 レオナルドの言葉はゴラクロスという騎士見習いに向けた怨み節だけではない。中央の無為無策にたまった鬱憤が滲み出ていた。サンドラはレオナルドに取り合わなかった。


「それはあたしやエリックじゃなくて団長に言うんだね。邪魔だよレオ坊」


「……確かにその通りですが……」


 しっしっと犬をしつけるようにレオナルドに去るよう言うサンドラは、ふう、と軽いため息を吐いた。


「古の伝説にある勇者ねぇ。そんなもの単なるおとぎ話だってことは皆分かってるさ。だからあの勇者サマに期待なんてしちゃいないがね。この期に及んでたった四人しか援軍がないのはあまりに理不尽さ。あたしらは二年耐えた。援軍と物資の支援もなくね。割に合わないよ」


 お世辞にも旨いとは言えないシチューを胃の中に流し込みながらサンドラは言葉を続ける。


「だのに、待ちに待ってやってきたのはケツの青いボンボンさ。レオ坊みたいに苛立つやつも多くて困ってるんだ」


「無理からぬ話です。…レオナルド君の怒りは正当なものだ。魔王が現れて二年。その間に喪われた命と、無為に時を重ねた中央の失態を考えればね」


 エリックは疲れた様子でサンドラに同意した。サンドラは、エリックに向けて己の耳を晒した。サンドラの耳は人間族のそれより尖っていて少しだけ小さい。森人族の特徴を持つ武闘家のサンドラは、穏やかなエリックに比べどこか粗暴さを感じさせた。


「エリック。面倒な役目を押し付けて、あんたには悪いとは思ってるんだよ。でもね、あたしやレオナルドのような冒険者上がりの騎士はお行儀のいい奴らじゃない」


「こっちの人種を持ち出して和を乱すようなカスならば、居ない方がマシってもんさ。単刀直入に聞く。そこんところはどうなんだ?」


 サンドラの圧によって空間が軋む。ひとかどの武術家だけが持つ圧力を垣間見たレオナルドは息を呑んでその場から後退る。が、エリックは疲労こそあれサンドラへの恐れはないとばかりに断言する。


「団長を通して我らの要望は聞き届けられました。ゴラクロス騎士見習いは本国へ帰還の命令が下されました。我らは心置きなく任務に……」


 そうエリックが言ったとき、砦に鐘の音が鳴り響く。びくりと震えるレオナルドを落ち着かせるように、エリックはあえて穏やかな声で指示を出した。


「総員、戦闘態勢」

「「承知!」」


 エリックの指示のもと、レオナルドとサンドラは持ち場へと駆け出す。エリック、サンドラ、レオナルドの三名はすでに食事を終えていた。手早く食事を終えること。それはこの砦で生きていくための必須技能だった。



***


「……気色悪いことをしやがって、魔王軍め……!」


 年若いレオナルドの声が義憤で震える。リザードマンとしての特徴を持つ彼は、その姿をはじめて見た人間からは必ず恐れられる。しかし、その外見とは裏腹に真っ当な正義感と良心を併せ持つ青年でもあった。そうでなければ志願して冒険者から騎士にならず、盗賊にでもなって好き勝手に生きていただろう。


 今回の襲撃は、魔王軍の翼竜部隊だった。上空から迫る彼らは、砦に貼られた結界によって人類の守護領域まで攻めいることが出来ない。砦を陥落させ結界を破壊することが、魔王軍の目的に違いなかった。


 翼竜部隊のブルードラゴン、クリムゾンドラゴン、そして上位竜であるエメラルドドラゴンの背中には、裸の人類たちがくくりつけられていた。


「砲撃部隊、前へっ!構わん!!一匹残らず撃ち落とせっ!一人たりとも砦へ入れるなっ!迷うなよ!」


 エリックは怒号を飛ばし、砦へ迫る翼竜めがけて聖属性剣技、オーラブレードを解き放つ。


 エリックのロングソードが空を斬るやいなや、翼竜の一体に聖なる斬撃が直撃し、背中に乗る人質もろとも地面へと撃ち落とされる。魔力による肉体強化も不可能な人質は死んでしまっただろう。


 人質となっていたのは人間族だけではない。獣族、森人族、天人族……その他人類として認められている種族たちが、無理やり背に乗せられ闘わせられているのだ。


「畜生があっ!せめて楽に逝きなっ!!!」


「翼竜だけでも殺せ!人質はもう助からん!!」

 

「承知っ!そらぁっ!!とっと逝きな!」


 サンドラの絶技、破壊魔拳デストロイフィストが炸裂する。拳から放たれた風圧は、強力な風属性の魔力となってドラゴンへと襲い掛かる。


 直撃。サンドラの拳に確かな手応えがはしる。


 編隊を組んでいたエメラルドドラゴンと、ブルードラゴンをまとめて粉々に吹き飛ばす。ブルードラゴンの背中に乗っていた人質の森人族もろとも、粉々に。サンドラはそれを確認すること無く絶技を繰り返す。


 砦にいる騎士や魔術師、弓使いの誰もがサンドラのように突出した火力を有しているわけではない。力不足の騎士は補助魔法や結界魔法で翼竜の進行を阻み、複数人がかりで発動させた大魔術によって下位のレッドドラゴンを打ち倒す。その流れは芸術的なまでに淀みなく行われた。ドラゴンの背中に乗る人質たちは例外無く魔力の砲撃の巻き添えになり命を落としていく。騎士たちに恨み言をぶつけながら。


「……すけて」「死にたくな……」

「うわああーっ!」

「母さん……」


 悲惨。凄惨。そんな言葉では言い表せないこの世の地獄がそこにあった。


 それでも、砦の騎士たちは心身ともに精強だった。精強にならねばならなかった。セントグレゴリアスにおいて疑いようもなく最強の精鋭。出自人種も関係なく、魔王の暴虐を阻止せんと立ち向かう人類の守護者として騎士たちは働いていた。


「……あ、ああっ……!!」


 ただ一人、騎士見習いゴラクロスを除いて。


(に、人間が……私達が守るべき、民が……!)


 ゴラクロスは、鐘の音で目を醒まし、即座に鎧を着込み戦闘態勢を整えて砦の上部へと移動した。そこで見たのは、この世の地獄としか思えない光景だ。


 その意味を理解はしている。


 皆がやむを得ずそうしていることも、良く理解している。


 それでも……それでも、ゴラクロスは攻撃することが出来ない。迷いは命取りになることを、ゴラクロス自身分かっていた。分かっているつもりだった。


 攻撃も補助もできず突っ立っていたゴラクロスを穴とみたのか、ブルードラゴンは背中の人質、人間の男性をゴラクロスへめがけて投げつけた。


「ひいいいいいっ!!!助けてくれえっ!」


 ゴラクロスは、恐怖で震える人質の悲鳴を確かに聞いた。硬直していた思考が再起動し、騎士として人間を救わなければと動き出す。


「私が必ず受け止めるっ!来い!!」


 いてもたってもいられず、ゴラクロスは男性を受け止めるため全神経を集中させる。


「いかんっ!あの男を吹き飛ばせっ!」


 騎士団長ボルハルムはオーラブレードを伸ばし、レッドドラゴンを殺害しながらが怒号を飛ばす。しかし、遅かった。ゴラクロスは人質を吹き飛ばすのではなく、受け止めようとしていた。ボルハルムは舌打ちする間もなく次の指示を出そうとする。


 しかし、事態はゴラクロスに構っている場合ではなくなる。海人族の魔法使いワンドスが団長へと進言する。魚の頭を持つ異形の男は、他者の魔力を察知することに長けていた。



「団長おっ!北方距離二十に敵影っ!将軍格ですっ!!」


「……っ!!!勇者だ!勇者を呼べっ!愚図愚図するな働かせろっ!サンドラっ!!ゴルド!サファイアス!私と来い!!」


 ボルハルムは異常事態にあって小を切り捨てる決断をする。その決断の早さこそが、この砦を二年間保たせたボルハルムの実力を示していた。



 ゴラクロスが人質を受け止めようとした瞬間、人質の男性の胸元が黒く輝いた。それが魔王軍の悪しき魔法によるものであるのは間違いがなかった。


 人質の男性の断末魔をゴラクロスは確かに聞いた。人質の男性めがけて、騎士たちの攻撃魔法や多才な攻撃が降り注ぐ。森人族の弓矢は確かに人質の胸元に突き刺さったが、遅かった。


「gyyyyyyyyyyyyyyyy!!!!」

 

 声にならない嘆きの声をあげて人質がゴラクロスへと襲い掛かる。その人質はもはや人間ではない。人類ですらなかった。胸を射抜かれ、攻撃魔法によって手足が吹き飛ばされようと。魔力だけで動く屍はゴラクロスの防御を容易く打ち破る。見習い用の鉄鎧は容易く砕け散った。


 理性と知性なき悪しき屍。


 リビングデットとなった人類は、魔王に仇なす人類を殺す敵となる。


 前代未聞の事態に人類が気付いたのは、二年前。魔王の宣戦布告日を境に、人類は絶望へと追いやられた。


 その日を境に、司祭や騎士の持つ聖属性魔法によって人々を蘇生させることは叶わなくなった。蘇生を試みた人間は、例外無くリビングデッドへと成り果てた。


 その日を機に、命を落とした人間は必ず火葬せねばならなくなった。万が一にも歩く屍に変えないために。


 その日を境に、魔王軍に連れ去られた人類は見捨てなければならなくなった。解放された人質が戻ったとたん、歩く屍に変えられたから。


 魔物や魔王の魔力の影響を受けた人類は死と同時に尊厳を奪われる。騎士が人類の盾となることはもう叶わなくなったのだ。聖騎士の聖属性魔法は、その効力を弱体化させられていた。



「ぎゃあああああっ!?」


(手足もないのに……!魔力だけでなんて圧力!!動けない……!嫌だ、死にたくない……!)


 ゴラクロスがリビングデッドによって体を押さえつけられ、まさにその命を散らそうとした瞬間。ゴラクロスの頭に騎士としての矜持はなかった。恥も外聞もなく泣き叫ぶ。死にたくないと。


 ゴラクロスは全魔力を放出してリビングデッドを振りほどこうとする。が、リビングデッドの体を少し浮かせただけにとどまった。リビングデッドとなった人類は、生前剣を握ったこともない弱者であったとしても騎士見習いなど話にならないほど強くなるのだ。リビングデッドの牙が伸び、ゴラクロスの喉元に迫る。


「嫌だあああっ!死ぬのは嫌だーっ!!」


「邪魔だ」

 

 ゴラクロスが己の死を確信した瞬間、影を目にした。気がつくと、己にかかっていた圧力が無くなっている。


「……?……はっ、ゆ、勇者様ーっ!?」


 鍛え上げた勇者の手によってリビングデッドが粉砕されたのだとゴラクロスが気付いたときには、勇者は砦の上空から飛び立っていた。


 勇者は跳躍した勢いのままにブルードラゴンの背に飛び乗り、ドラゴンを蹴飛ばして一直線に大地を駆けていく。


 勇者めがけてドラゴンたちのブレスが襲い掛かる。雷鳴が勇者めがけて轟き、次いで赤い炎と青白い氷撃がたった一人を滅ぼすべく放たれる。


 勇者はレッドドラゴンの背を蹴り飛ばし、空を駆けながらブレスをかわし、ドラゴンの爪や翼を潜り抜け、天馬に乗りながら将軍と交戦する団長たちの元へと駆け上がる。


「生きとし生けるすべての聖なるものに魂の加護を……!」


 勇者を援護すべく、リオレス司祭の強化魔法が勇者を淡く包み込む。


「炎よ、悪しき御霊を清めたまえ!」


 魔女フーチの炎撃魔法が、指揮役のエメラルドドラゴンを撃ち落とす。


「すげぇ……たった一人で、ドラゴンの攻撃を躱してやがる……!」


 砦の騎士が、誰ともなしに魔法でブルードラゴンに雷撃を浴びせながら呟く。


「勇者……勇者だっ!あいつこそ勇者そのものだっ!!」


 リザードマンらしき男がオーラブレードでレッドドラゴンを切り裂きながら叫ぶ。


「勇者を死なせるなっ!絶対に生きて団長の元へ送り届けろぉっ!!!」


 団長の副官らしき男が恥も外聞もなく叫ぶ。砦は今や、勇者のために一つに纏まっていた。


「すげぇぞ、勝てるんだ!押してるぞっ!将軍相手にっ!!」

 


「手を動かせえっ!団長たちと勇者様を援護するんだよーっ!!」


「絶対に死なせるなよぉっ!!あの人が……勇者……いや、勇者様が死んだら俺達は勇者様に殺されるぞっ!」


「そこの見習いっ!怪我がないなら下がって治療を受けろっ!命令だ!」


「亜人が!ぶ、無礼なっ!私は……」


(……私は……)


 ゴラクロスは、騎士から見て軽蔑にすら値しなかった。指示を出した騎士はゴラクロスを見もせず戦列に戻った。


(なんと……不甲斐ない男なのか……!)


 その時、ゴラクロスははっと思い直した。すでに自分は勇者の騎士ではない。この場においてなんの権限もない、厄介者でしかないのだと。


 活気づく砦の中で、一人ゴラクロスだけは項垂れていた。己の不甲斐なさを痛感したゴラクロスは、勝鬨をあげる砦の宴に加わることもなく砦を去った。

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