8-7
放課後になると、
週末に得た成果は『IBMの観測に適するのは冬』という事とつきのひさしと
これらの情報を元にまず『氷鏡山星落とし』についての情報を募る事になった――天文部に関してはつきのひさしの関係者との繋がりもあるが、それでも簡単にはいかないという手応えがある。
いずれにせよ、桜が気になるのは火曜日、文芸部の部室に久しぶりに全員がそろうと言う事だった。
放課後がくると桜は
桜が凛々子の対面に座ると、凛々子は持っていた紙袋を取り出した。
「そろったな。話を始めるが……私自身の本題の前に、各々桜の参加作は読んだか?」
凛々子は『球根』の原稿用紙を桜に返してきた。桜は受け取る。
自分の作品――凛々子はコピーして配ると言っていた。その上でどういう反応が凛々子も含めた四人から返ってくるか、桜は不安はさほどなかった。
「それぞれどう思ったか。多門寺」
凛々子はまず、隣の席の多門寺に声をかけた。
「いや……正直、
「寒原」
続いて、桜の隣の寒原に話がいく。
「もんちゃんと同じ感じで……はい……」
「
最後に、桜から寒原を挟んで隣にいる楽要に話が向く。
「これに勝てなきゃ受賞できないって考えると絶望します。完成度に於いては既に凛々子さまの過去の受賞作に並ぶ出来、ですが――」
楽要はそこで立ち上がり、寒原越しに桜を見た。
「町田さんがどれだけ作品を練り上げても、私は絶対に勝ちます」
それは一つの、宣戦布告だった。
以前ならば、委縮していたかも知れないと桜は思う。
しかし、この時の桜には明確に自信と呼べる物があった。
立ち上がり、まっすぐに楽要を見る。楽要は少し、驚いたようだった。
「絶対に、負けない。僕だって宝泉さんの作品を凄いと思う。だからこそ、勝ちたい」
その言葉に、楽要は奥歯を噛んだ。
「……なら、もっと私は練り上げますよ」
楽要はそれだけ言って、座った。桜も座る。
負けたくない、勝ちたい、それは以前ならば絶対に出てこない言葉だった。だが、今の桜は明確に楽要に勝ちたいと願っている。自分の心の声を掬い上げる事が、この時は明確にできていた。
「一つ、桜に助言を送る」
そして無論、凛々子からの講評もあるだろう。
「はい」
桜はその言葉をしっかり脳に刻み付けようと決めた。
「一言一句このままの状態で出せ。変えるならばまず私にどう変えるか相談しろ。下手な改稿は蛇足になりかねない所まできている」
出てきたのは、今の桜の実力を肯定してくれる優しい言葉だった。
「……はい」
だから桜は、頷いた。
今の状態はベストを尽くせたと思う。多門寺先輩も、寒原先輩も、宝泉さんも認めてくれるくらいに僕の最高傑作――玄佳ちゃんに、読んで貰いたいな。
そんな事を考えるくらいには、桜は浮かれていた。文芸部の話が終わったら、玄佳と連絡しようと決めた。
「桜の作品については以上、続いて私の個人的な話に移る」
そして、凛々子は紙袋から数冊の本を取り出した。見た所、同じハードカバーの本を数冊纏めた物だった。
「凛々子さま、それは……!」
「浮舟堂の新刊紹介に出ていた……!」
多門寺と寒原がそろって尋ねる。
桜は浮舟堂を追いかけていないので分からなかったが、二人は知っていたらしい。
「凛々子さまのプロデビュー作品ですか」
楽要が答えを言う。
「そうだ。発売は少し先だが、献本が届いたからお前達には渡しておこうと思ってな。桜」
「は、はい!」
本を差し出してくる凛々子に、桜は慌てて受け取った。綺麗な装丁で『ドレスコードはいらない』というタイトルがついている。
「多門寺」
「はい!」
「寒原」
「はい!」
「宝泉」
「はい」
凛々子は一人一人に『ドレスコードはいらない』を渡して回った。それぞれの思いを胸に、本を受け取る。
桜はその本の一ページ目を開いた。
『鳥籠で踊る美しき愚者へ』と書いてあった。
何故だか桜は悲しくなった。
まだ内容を読んですらいないが、凛々子の作品が纏う恐ろしい迫力が既に満ち溢れている気がしていて、自分はまだそこまで到達していない事が実感できる気がした。
「去年、浮舟賞を受賞してから話を貰って、三月に書き上げた物だ。ひとまずこれが――」
凛々子の剃刀色の視線は、多門寺、寒原、楽要、そして桜を順繰りに見回した。
「今の私の全力だ。そして、これ以降私はプロの世界に移る。文芸部でも年刊誌に作品を発表するが、活動としては縮小し、お前達の育成に時間をかける事にする」
やっと。
やっと凛々子先輩と近い所までこれたと思ったのに。
凛々子先輩はもっと凄い所まで進んでいる。そして僕達を導いてくれる。
弱気になるな、町田桜!
心の声は、何故だか明確に聞こえた。
凛々子先輩が導いてくれるなら、必ずそこまで辿り着く。僕にできる恩返しなんて、それしかないんだから。
「いますぐに、とは言わん。だが、お前達もいずれ、ここまで上がってこい。ひとまずは浮舟賞……」
凛々子は扇子を開き、桜達を順に見た。
「持てる力の全てを出せ。一度でも全力を出す経験は、豊饒な物をもたらす。桜については既にその境地にいるが……」
凛々子は扇子を閉じ、自分の眉間をこつと叩いた。
「全ての感覚を全開放しろ。あらゆるものを己のものとして物語の中に組み込め。恐ろしくつらい作業だが、各々」
凛々子の話は続く。
「それができるに足るものは持っている。それから、各自私に相談する時は事前にアポを取るように。四人同時となると流石に厳しい」
凛々子の方でも、それくらい桜達四人に期待してくれていると言う事だと、桜は受け止めた。
「はい」
「はい! 励みます!」
「頑張ります……」
「必ず、受賞を目指します」
それぞれ、了解の返事を返す。
「ならば、今回の会合はここまでだ。各々、自分の原稿に戻れ」
凛々子の一言によって、桜達四人は解散となった。
桜は文芸部の部室を出る時、玄佳に〈この後会えないかな〉と送った。
天文部の活動がない火曜木曜に玄佳が何をしているか、桜はよく知らない。ただ、すぐに連絡は返ってきた。
〈
玄佳が茶道部の部室? 桜は咄嗟に何を言われているのか分からなかった。
〈えっと……どうして茶道部に?〉
〈写真部の活動を茶道部に協力して貰ってる。文芸部は分かんないけど、結構文芸部の相互互助関係ができてる〉
確かに、桜は文化部間の関係を初めて知った。文芸部に関しては凛々子という文句の付け所のない人物がいるので自立できるが、他の部活はそうでもないのだろう。
〈僕がいって大丈夫なのかな……〉
〈あー、なんなら早めに切り上げるから、十分後にどこがいい?〉
〈玄関……かな〉
〈分かった〉
物凄い速度で話を進めていく玄佳についていけている事は、桜にとっては少し嬉しかった。ただ、玄関というのは咄嗟に間違えたかも知れないと思う。『球根』の原稿を読んで貰うのが目的だが、原本は渡せないので。
どうするか考えながら、桜は玄関に向かって、玄佳を待った。
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