8-3

 気持ちがどれだけ沈んでいても、朝は仕方なく目覚めて、一日の中で一番不細工な自分を整えて学校にいく。


 人波に溶けてしまいたいはるの希望は、玄佳しずかの顔を見ると自然に消えた。


 見えない物を信じるのが愚かでも、それが確かな物だと分かるから、桜は玄佳と小さくやり取りをしながら一日を過ごした。


 放課後になると丁度五月最後の金曜日で、成果報告を纏める話になっていた。


 四人で部室にいくと、咲心凪えみなは既に活動記録のまとめを作っていた。桜は知らなかったが、玄佳と二人の間でも随分あれこれ見ていたらしい。


 それを元に、所定の用紙に由意ゆいが成果報告を書いた。講演会の予定に関しても入れていて、簡潔に、しかし『IBMの写真を入手した』という要は強調して、玄佳の家にあったデータを印刷した物も添えた。


「……うん。これで大丈夫。少なくとも、玄佳ちゃんの家にあったデータがある以上、一定の『成果』とは呼べる」


 髪を切ってから、由意は以前より余裕を感じさせるようになった。その顔は少し前までの張り詰めた糸のような緊張感がなく、いつも彼女の顔から受ける穏やかで平和的な印象しかなかった。


「ありがとう由意ちゃん。っていうかこれの書き方私も覚えなきゃな……」


 咲心凪はまだ馴染みがないらしい。もっとも――。


「ごめん……書記なのにそれらしい事何もしてなくて……」


 桜にとっては、書記の自分の仕事をしていないので、申し訳なさが先に立つ。


「いや桜ちゃんはそういう所よりもっと大事な所を担ってるよ」


「そうだね。桜ちゃんいないと私達上手く回らないし。いっそ部長にしたら?」


「由意ちゃん! 私の立場をなくすのはやめよう!」


 冗談っぽく返されると、ここにいていい気になる。自然に笑顔になってしまって、罪悪感は溶けて消えた。


「じゃ、成果報告出しにいこっか」


 玄佳の一言で、桜達は立ち上がった。


 咲心凪と由意の間にあったわだかまりについては、完全になくなっていた。今では以前くらい軽口を叩けるようになっている。


 もっと強くなって、四人それぞれが自立できれば……桜はそんな事を考えて、玄佳から独立した自分が上手く想像できない事に気づいた。


 咲心凪と由意は二人並んで先をいっている。桜と玄佳は並んでその後ろだ。桜はちょっと、玄佳に肩を寄せた。玄佳もそっと身を寄せてくる。


 少し、雑談しながら歩いていた。桜には玄佳の温度が心地よかった。


 生徒会室に向かう途中――毎日見ている金髪のツーサイドアップが見えた。


 一年五組のクラス委員長・黒崎くろさき花咲音かさねが生徒会室の方から

歩いてきていた。


「黒崎さんこんにちは」


 真っ先に挨拶したのは咲心凪だった。


「こんにちは。四人でこっちにくるっていう事は、天文部で何かあった?」


 花咲音は赤い瞳に疑問符を浮かべて尋ねてくる。


「成果報告。ちょっと早いけど、月末ぎりぎりになっちゃうのはまずいかなって思って」


 すぐに、由意が答える。


 花咲音は少し、申し訳なさそうな顔をした。桜にはその顔の正体がよく分からなかった。


「ごめんなさいね、お姉ちゃんの我儘であっちこっちの部に迷惑かけてて……」


 頭を抱えつつ、花咲音は花会里かえりの事を話題にした。


「黒崎さんって会長の……」


 桜はそれを本人と本人に直接確かめた事がない。


「あ、町田まちださんは知らなかったわね。そう、姓が同じなのも名前が似てるのも実の姉妹だからよ。名前は似せ過ぎだと思うけど」


 花咲音は笑う事もなく、真面目に説明してくれた。


 基本的に人当たりが柔らかく、クラスの中でも中心にいる花咲音と花会里が姉妹というのは分かるようで分からない。ただ、綺麗な金髪と言い、赤い瞳と言い、要所は似ている。顔立ちは少し違うが、整い方の問題で済むくらいだ。


「それ聞きたいんだけど、どうして急に成果報告とか言い出したの? 写真部の先輩も大分頭抱えてたけど」


 玄佳が疑問を出す。文化部に所属していれば大体の人は疑問に思うだろう。特に、総会での三年生の発言を考えると完全に寝耳に水の話だったようだ。


「まあ『誰もが憧れる鳳天ほうてんの黄金時代を作る』って言えば聞こえはいいけど……文化部運動部問わず部活を強化する方針ね。運動部の人もそっちはそっちで戦々恐々してるし」


 花会里が投げかけた波紋は部活動全体に及んでいるらしい。


「黒崎さんも演劇部の用事でこっちにきたの?」


 由意が尋ねる。


「そう。本来なら虎渡とらわたり先輩か、他の三年生がやるんだけど、忙しくて一年生の私にお鉢が回ってきてる。天文部の方は大丈夫そう?」


 自分の事はあまり語らず、花咲音は天文部の事を心配してくれている。桜は姉と違って優しさの塊みたいなイメージを抱いた。


「大分重要な資料を手に入れてるから、ひとまず今月は何も言われなさそうかな。この先の計画って考えると頭痛いけど」


玉舘たまだてさん部長でも副部長でもないのによくそこまですらすら言えるわね……」


「だって部長副部長そろって頼りないし、桜ちゃんは文芸部大変だし」


「悪かったねえ頼りなくて!!」


「五月ずっとこなかった奴に言われたくないよ」


 由意の一言に、咲心凪と玄佳が反応する。それぞれ部長と副部長だが、事務的な所と計画の細かい所に目がいくのが誰かとなると由意なので、桜は上手くフォローできなかった。


 もっとも、以前ほど険悪にはならないで済みそうなので、大丈夫かとも思えた。


「まああなた達は四人で話し合うのが気軽にできるし、そういう関係もありだと思うわ。じゃ、あんまり話してる時間もないから、私はこれで――あ」


 花咲音は立ち去ろうとして、咲心凪と由意、玄佳に目を向けた。


「老婆心だけど、天文部でお姉ちゃんが気に入ってるの町田さんだけだから、それは教えておくわ。特に氷見野ひみのさんは気を付けた方がいいし」


「私何かした!? ねえ!?」


 その一言に血相を変えたのは咲心凪だ。目をつけられているのだろうか。


「あの人の逆鱗は全身合わせて一二〇個くらいあるから気を付けた方がいいわ」


「身内のお墨付きって怖いね!! お互い部活頑張ろうね!!」


「ええ。それじゃ」


 花咲音は軽く手を振って、四人と別れた。四人はそれを見送った。


「……咲心凪ちゃん、何か心当たりあるの?」


 由意が訝し気な顔で咲心凪に尋ねる。


「全然ない……いや合宿の計画が急だったとかなら分かるんだけど、あれはもう仕方ないじゃん。やらなかったら四月の活動プラネタリウムだけになるんだし……」


 咲心凪は戦々恐々としている。


 花会里に目をつけられる――考えると、桜は胃が痛くなるのを感じる。凛々子りりこはその時々で済ませてくれるが、花会里はもっとねちっこそうな印象を受ける。


「咲心凪が目をつけられてる分を桜が中和するって考えると、ほんと桜には無理させられないよね」


「ほんとだよ……いこう」


 玄佳の言う通りではあるのだが、花会里にしても自分のどこを気に入っているのか桜はよく分からない。


 丁度いい機会なので聞いてみようか……そんな気持ちが湧いてきた。花咲音が花会里と会っているかも分からないが、言いぶりを考えるに恐らくはいる。


「なんだろう……単なる成果主義ってだけの事じゃない何かを感じるんだよね、話聞いてると」


 由意がぽつりと言った。


「会長が何考えてるかとかどうでもいいけど、毎月こんな思いするのは今年限りでいいよ……」


「咲心凪ちゃん、そういう所」


 そんなやり取りをしながら、桜達は生徒会室の扉をノックした。


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