8-1

 玄佳しずかの家での調べ物はある程度時間がある時にする事になり、咲心凪えみなは祖父の方が何か遺していないか、もう一度洗いなおすと言う。


 火曜日については天文部の方は(部室は開くが)活動がないので、はる由意ゆいはそれぞれの部に顔を出す事になる。玄佳は父の遺品を整理するらしい。


 放課後になると、桜は凛々子りりこに会いに文芸部の部室に向かった。


 中に入ると、凛々子が一人で部長席にかけていた。


「お疲れ様です……」


「きたか」


 凛々子は一言言って、自分の対面を示した。桜はいつも通り、そこに座る。凛々子は扇子を広げて口元を隠した。


宝泉ほうせんさん達は……」


「今はそれぞれの原稿に追い込みをかけてる。そう言えば、考査は大丈夫だったか?」


 あまり気にしている感じでもなかったが、凛々子も一応、花会里かえりが言っていた補習者の人数分部費を引くという話は聞いている。


「昨日今日で全部返ってきて……平均九〇くらいです」


「それは重畳。天文部の方はどうなった?」


 由意の問題を解決する過程で、凛々子には何度もお世話になっているので、話さないと言う選択肢は桜の中になかった。


「揉めてた由意ちゃんが戻ってきてくれて……ちょっと、活動体制を見直す事になりました。月・水・金が主な活動日で、僕は文芸部で何かあれば優先していいって……」


 それを聞いた凛々子は、少し安心したような顔をした。


「まあ聞くに天文部は桜含め兼部が多いからそうもなるだろう……しかし、いい機会だから言っておくが、文芸部で桜に教える事はまだまだある。週二で充分だから、もう少し文芸部の部室にもきてくれ」


「は、はい!」


 現時点で自分は凛々子の後継者に選ばれて、事実副部長でもある。流石に文芸部の方に顔を出さないというわけにもいかなくなってくる。


「事務連絡はそれくらいでいいとして……『球根』については読んだ」


 ここからが本題――桜は少し、気を引き締めた。


「過去、現在、未来にストーリーラインが上手くまとまって一定の読みやすさもあり、桜自身の長所をそれで削ると言う事もない。元々桜の文章の難点は今風と呼ぶには硬い事だが、そこも上手く現代的になった」


 確かに、凛々子が言うような部分については気を付けているし、事実自分の文章は現代の文章と考えると大分硬い方に入るので、『球根』では凛々子のノートを元に大幅に直している。


 それで元々あったものがなくなるという事もなかったようだ。凛々子の反応を見るに、少なくとも自分の長所は潰れていないらしい。少し安心できた。


「ただ――三つの時間に跨る部分の接続という物を考えると、ここまでシームレスにいくわけではない。現在から見た過去は遠く、思い描く未来は更に遠い。それぞれに断絶と地続きな部分の両方がある」


 桜はノートを出して、凛々子の言葉を書き留めた。


「どの部分で断絶し、どの部分で繋がっていくのか、そこをもう少し明確にした方が話に締まりが出る」


 締まりが出る――話が引き締まる事は、凛々子が意識している事だと、彼女のノートを読んでいる桜には分かった。


 ただ、と思う事もあって。


「あの……凛々子先輩」


「なんだ?」


「この作品のヒロイン……モデルがいて」


 凛々子は剃刀色の瞳を細めた。内容を考えるに桜にしては過激な事を書いているので、そこにモデルがいるというと意外なのかも知れない。


「その人物造形に、もう二人、天文部の友達を足していて、そこで過去・現在・未来っていうのを出してるんですけど……その人とずっといたいって思うから、シームレスになるんだと思います……」


 自分でも何が言いたいのか分からない形になってしまったと、桜は内省した。


 ただ、過去も現在も未来も、ずっと一緒にいたいという気持ちで書いていた。


「桜ならば知っているだろう?」


 視線を下げていた桜は、凛々子の言葉でその剃刀の瞳を見た。


「どれだけ知りたくとも人は人の過去と同じ体験はできない。同じ時間を過ごしていても気持ちはすれ違う。未来で一緒にいたいと願っても、人と人の繋がりは容易く切れる。そこに『断絶』がある」


 断絶――凛々子の言う事はいつも鋭い。桜はその言葉をメモした。


「ならば、接続を担う物は何か。答えは一つではないが、桜自身にとっては明確だろう」


 僕自身に――? 桜は咄嗟に分からなかった。


 ただ、以前、玄佳が『過去』を見ている事を知って、由意が『今』の事を見る事に巧みで、咲心凪が『未来』へ邁進している所を見て、自分自身に思った事を思い出した。


「『心』……ですか?」


 繋ぎ止める物があるとすれば、桜にとっては自分自身の『心』に他ならなかった。


「その一つを加えるだけで、作品は明確に変わる。更に言えば」


 凛々子は扇子を閉じ、桜がノートに書いた『断絶』という文字をなぞった。


「桜は優しいから躊躇するのかも知れんが、つらい事をつらい事として書いておかなければ真価は出ない。まして『球根』は『痛み』と『涙』が大きな動力となる作品、そこを基軸に話を整理し、その感覚を己の物とすれば……」


 凛々子は少し、遠い目をした。


「桜の実力は今の私に届く」


 自分の実力が、凛々子に届く――桜は咄嗟に、何を言われているのか分からなかった。


 ただ――少し考えると、凛々子の言葉が分からない理由が分かる。


 桜は文芸部に入部する時に凛々子の作品を読んだ。ただ、それは去年の物で、『今の凛々子の本気』はまだ桜にとって未知の領域だ。


 凛々子先輩の本気を知らないけれど、僕がそこに届いたらどうなるのか――疑問はあり、それは桜の中でこの時、明確な『目標』になった。


「鈴見先輩は……三年生として作品を出さないんですか?」


 聞くも愚かではある。そもそも今、桜達が戦っている浮舟賞を凛々子は去年受賞している。実績に関しては既に充分過ぎる程、挙げているのだ。


「私の戦場は既に別だ。桜が『今の私の本気』を見るのは、しばらくお預けだ。今の桜は、自分自身の事をしっかりしろ」


 凛々子は扇子を広げ、自分の顔を隠した。


「既に充分に入賞ラインにいるお前が、更に力を練り上げたならば、その時明確に、『町田桜の世界』が完成する」


 入賞ラインにいる――その言葉はありがたかったが、桜にとってはもっと別の所が重要だった。


 自分の世界を完成させる――自分自身で生み出した言葉ではないが、凛々子が言ったその部分の為に自分は物語を書いていると言っても過言ではない。ならば、桜が迷う理由は何一つなかった。


「ありがとうございます。必ず――鈴見先輩のいる所までいきます」


 本音を言えば、凛々子とも一緒がいい。


 それが桜の希望だったが、桜は人が流れていくと知っている。凛々子は既に、自分が中等部を卒業した後の事まで考えているだろう。


「凛々子先輩がどんなに先に進んでも、必ず追いつきます」


 その誓いこそ、桜にとって何よりの原動力となる物だった。


「楽しみだな」


 凛々子は嫌がるでもなく、笑った。


「競える相手など、今までいなかったから」


 競う相手がいない――凛々子の強さがどれ程の物か、桜は知りたくなった。


 ただ、待っていても凛々子には追い付けない。ひたすら、前に進むしかない。


 だから桜は――。


「凛々子先輩から言われた事、しっかり考えて、自分の力に変えます。それが、僕を拾い上げてくれた事への、恩返しです」


 桜の言葉に、凛々子は「楽しみにしてる」とほほ笑んだ。


 その後、桜は重ね重ね凛々子にお礼を言って、家路に就いた。



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