7-8
今が悲しい――
その言葉の真意は、咄嗟には飲み込みかねた。
ただ、尋ねる間もなく。
「私は過去の事なんてどうでもいい。未来の事なんて分からない。ただ今を楽しめればそれでいい。なのに
迷いながら――その言葉で、桜は由意の悲しみの核心に触れた気がした。
ずっと。
ずっと由意ちゃんは迷ってたんだ。
由意ちゃんは凄く頼りになるって思ってた。でも、いつも揺れながら、寧ろ強くあろうとしてたんだって、今なら分かる。
迷いながら、自分の言葉にしっかり責任を持って、誰かから寄りかかられてもしっかり支えて、それでも倒れずにいるのは、つらいと思う。僕には、できないから。
「どうしたいかなんていつも分からない。分からないのにいつも私が何かする度に周りが頼ってくる! 放っておけないからその人の傍にいて、依存されたら捨てて、ずっとその繰り返しだったんだよ! 私はただ、自分のしたい事をしたいだけだったのに、もうそれも見えなくなってる!」
感情的になる由意の言葉で、桜は以前、由意に対して抱いた一つの感覚を思い出していた。
由意ちゃんはずっと『今』を見てる。過去の事を考えて、未来に目指して進む『今』の転轍機を握っているような動きをしてくれる。
けど、今分かった事は、それは決して由意ちゃんが望んでやってたやってたわけじゃないっていう事だ。
「由意ちゃんの事は、分かったよ。ううん、分からないけど、前よりは近づけたと思う」
桜は、由意の手を取った。
「由意ちゃんが凄く頼りになるって思ってた。それは多分、僕だけじゃなくて咲心凪ちゃんも、玄佳ちゃんも感じてる。でも、由意ちゃんにとってはずっと嫌だったんだね……」
決して、望んで頼られているわけではない、由意は。
ただ、彼女は『今すべき事』を見る事がしっかりできていて、人格的にも落ち着いている。多くの人が『頼りになる』と思ってしまう物を持ち合わせているだけで、それが本人の望みではない。
「嫌だよ! 自分で当たり前にできる事が周りの人には全然できない、それは桜ちゃん達もそう! それにずっと苛つきながら隠して角立てないようにして、そうやってずっと続けていればどんなに疲れるか、桜ちゃんなら共感できなくても分かるでしょ!!」
いつもの由意では絶対できないくらい、感情を爆発させる言葉に、桜は――さほど戸惑わなかった。
由意の悲しみに触れていると明確に分かるから、そしてその心が傷だらけだと分かるから、ただ寄り添う為に必要な事を考えるだけだ。
「由意ちゃんの昔を僕は知らないけど、一つ分かるのは」
ほとんど由意は桜につかみかかろうとしていたが、その一言で動きを止めた。
「由意ちゃんは過去をどうでもいいなんて思ってない。今まで自分の周りにいた人、由意ちゃんの言葉で言う『捨てた人』をずっと後悔してる――そうでなければ、こんなに傷だらけにならないよ」
それは、桜が由意の言葉を聞いていて抱いた、率直な印象だった。
由意は過去をどうでもいい物としているが、過去にあった様々な事を悔いているからこそ、その後悔が一つの大きな塊となって彼女を圧し潰そうとしている。
「私は……」
「ずっと迷ってたのに、強いふりをしてくれていて、ありがとう」
桜の言葉に、由意は目を見開いた。
「僕達にできる事は、由意ちゃんに今までの事を謝って、一つの提案をする事だけだよ」
桜は、由意の手を取った。
由意は、不思議そうにその手を見た。
「これからは、一緒に迷って、少しずつでも強くなっていこうって」
桜の言葉に、由意は――涙を零した。
「どうして……」
桜の手を離して、由意は目元を拭った。
「どうしてそこまで私にこだわるの!? 酷い事沢山言ったよね!! 嫌われるって分かっててやってたのに、今更そんな事言われても、やり直せるなんて思えないよ!!」
由意の気持ちは、気まずさもあるのだろうと桜には見えた。
「やり直せるよ」
その言葉に答えたのは、咲心凪だった。
由意は彼女の方を見た。桜から顔が見えなくなる。
「私が悪いって所もあるんだけどさ、由意ちゃんが本当の事を話してくれたから、もう大丈夫なんだって思う」
咲心凪の方ではもう、全然、由意に言われた事を気にしていないようだった。
「私が部長として頼りないから由意ちゃんに負担かけて、こんなになるまで気づけなかったのは、ごめん。でも、私も、桜ちゃんの提案に賛成だからさ」
咲心凪の顔は、笑っていた。
「今まで由意ちゃんが頑張ってたその頑張りを、今度は四等分して進んでいこうよ。多分、これからも私達はIBMを目指して迷ってくけど、私もコンパス役くらいにはなれるからさ」
咲心凪は、優しい顔で由意と、桜と、玄佳を見た。
「いつかIBMを見る時に、四人一緒って約束したじゃん。だから四人で支え合っていけると思う」
その言葉を聞いた由意は、咲心凪から視線を外し、そっと正面を見詰めた。そして、涙を流す。
「いいの……? 私が、ここにいても……」
そして、戸惑っているような、つらそうな声で尋ねる。
「いて欲しいよ、私は」
咲心凪は、すぐに答えた。
「僕も、由意ちゃんにいて欲しい」
桜も答えて、会話にあまり入っていない玄佳を見た。
「由意は最初ここにきた時、私がそこの窓から飛ぼうとしたの防いでくれたじゃん。私ももう二度と同じ事はしないけど、その時の恩返しまだしてないし」
玄佳も内心では由意にいて欲しいという事だ。少しつっけんどんだが。
「……居場所なんて、なくてもどうにかなるって思ってた」
由意の涙が、机の上に零れていく。
「でも、ここにちゃんとあったんだね……」
桜はポケットに手を入れて、ハンカチを取り出して由意に渡した。由意はそれで、目元を拭った。
「ありがとう……ごめんね、酷い事、沢山言って」
もう、由意は大丈夫だろうと思えた。
寧ろ――問題なのは、由意を支えながら進んでいく強さを、桜自身が身に着けていかなければならない事だ。
「いいよ、由意ちゃんには由意ちゃんのつらさがあるって、私は見えてなかったし……」
咲心凪の言葉は、少し悲しそうで――と思った瞬間、グス、咲心凪が泣き出した。
「え、咲心凪ちゃん!?」
桜は不意の事に驚いて、立ち上がった。咲心凪は両手で涙を拭きながら、ぐずぐずぐに泣いている。
「ごめん……由意ちゃんがまたここにきてくれるって思ったら、嬉しくて、私が不甲斐ないからって考えたら、情けなくて……」
咲心凪の中にある大きな感情が、今になって爆発したらしい。
「しっかりするって言ってすぐこれなんだから、やっぱり咲心凪ちゃんだけは放っておけないよ」
由意は少し微笑みを浮かべて、咲心凪に桜のハンカチを渡した。
「原因の人に言われたくはないよ……」
咲心凪はそれを受け取って、涙を拭った。
これくらい軽口が叩けるなら、もう大丈夫だろうと言う気持ちが桜の中にあった。
「由意も今後は意地張らないようにね」
「ずっとしたい放題してる人に言われたくはないかな」
玄佳の一言に、由意は笑顔で返した。
五月に入ってから張り詰めていた空気が緩んでいるのを感じて、桜は張り詰めていた物が緩んで、席に戻った。
「ありがとう、桜ちゃん」
由意のその言葉に、桜は「ううん」と答えた。
その後ろで、
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