7-7
翌日、朝のホームルームの時に
西脇の後から四人、部室への廊下を歩いていく。その感覚は桜にとっては酷く懐かしく、しかしこんなに張り詰めた空気は初めて、戸惑いばかりが新鮮だった。
西脇が天文部の部室を開けると、咲心凪、由意、桜、玄佳の順に中に入った。
入って右手にホワイトボードがある。その前に長机があり、四人がかけられるようになっている。窓際の方から順に咲心凪、由意、桜、玄佳が座った。西脇はその机の後ろ、入って左側にあるソファーに座った。
「さて、と」
四人が西脇の方を見ると、彼女は一つの書類の束――昨日桜達が見た講演会の案内を脇に置いて、桜達を鋭く見た。
「今後の活動を固める前に、まず四人で今ある問題をしっかり話し合いなさい。それがないと、先の事は考えられないでしょ。私は口出ししないから」
話し合いの場を作るという玄佳の要望に、西脇はしっかり答えてくれていた。桜達は西脇から視線を外して、自分達の中で視線を交錯させる。
「由意ちゃん」
真っ先に口を開いたのは、咲心凪だった。
「この間はごめん……園芸部の時の事。でも、由意ちゃんにいて欲しいっていうのは、本当だよ」
気まずそうに、咲心凪は自分の気持ちを紡いでいく。
「そう」
由意の答えは、彼女の音にしては酷く平板だった。
一つ間違えば、決定的な破局になる予感が、桜の中にずっとある。
だからこそ、慎重に話さなければならない――由意は、何を言うのか。
「私はもう、どうでもいいかな」
酷く投げやりな言葉は、いつもの由意とは違った。
「え……」
咲心凪が、戸惑いがちに声を上げる。
「昨日、華道部の活動をしてる時に
それは桜が裏で
「神里先輩は華道の事も茶道の事も教えられるくらいにできる人だし、もう私がその二つにこだわる理由もなくなってる――桜ちゃん」
薄墨色の瞳に恐ろしく怜悧な色を浮かべて、由意は桜を見た。
「神里先輩に頼んだの、桜ちゃんだよね?」
安日が言ったのか、由意が推測したのかは分からない。
ただ、桜達の中で誰が安日に辿り着けそうかと言えば、桜しかいない。ならば由意は気づくだろう。
その瞳がどんな地獄を秘めているのか、桜は怖くなりながら、体が震えるのを必死に抑えた。
「そうだよ……文芸部の
否定する事なく、桜は本当の所を説明した。
由意はどこか悔しそうな顔で、ギリ、歯軋りをした。
「そんなに、私はここにいなきゃダメかな。好きな事をしていたいっていう気持ちは、否定されるべきなのかな」
由意も、余裕がなくなっている。桜にはよく分かった。恐らく、以前玄佳とぎりぎりの喧嘩をした事で、相手の間をつかむ事ができるようになっている。
「由意ちゃんにいて欲しい気持ちは勿論あるよ……でも、神里先輩に聞いた話」
桜は、安日から聞いた事を話す事にした。
「由意ちゃんは昨日まで、茶道部と華道部で先生役をしてたんでしょ? そこでずっと誰かに頼られて、それは由意ちゃんが嫌う『寄りかかられる事』じゃないの?」
なおの事、由意の顔色は悔しそうになる。桜は自分が由意の図星を突いている事を自覚しながら、なお注意深く話を進める。
「四月の間、僕達はずっと由意ちゃんに寄りかかってた。嫌になるくらいだって思う。でも、他の部活でも同じ事を繰り返してて、由意ちゃんは平気なの?」
それは、昨日安日と話してから、桜がずっと気がかりだった事だ。
自分が嫌う『寄りかかられる』を繰り返して、嫌になったら離れてを繰り返して、由意の居場所はどこに残るのか。
「……桜ちゃんがそこまで見透かしてるって思うと、ちょっと怖いな」
「由意」
彼女の一言に立ち上がりかけた玄佳を、桜はそっと手で制する。玄佳を押さえられるのは、自分しかいないと分かっている。
「……由意の事を誰より考えてるのは、桜だよ」
桜の意思が伝わったのか、玄佳は座りなおして一言言った。
「私の事?」
疲れたような顔で、由意は玄佳の言葉を一つ繰り返した。
どこか、虚無を感じさせる瞳だった。
「そんなの、考えなくていいのに、桜ちゃんはお人よしだね」
由意の顔を見ている桜は、後ろで玄佳が立ち上がりそうな気配を感じて怖かった。喧嘩になると玄佳が一方的にまずくなる。
そして、今日の由意は様子がおかしい。疲れたとは以前も聞いたが、その疲れを隠そうともしない。
「待ってよ由意ちゃん。桜ちゃんは由意ちゃんの負担をなくそうとしたって事でしょ。それは上手くいってるし、あとは由意ちゃんがどうしたいか、それだけだよ」
咲心凪の一言で、由意は彼女の方を見た。
その瞬間、咲心凪はびくっと体を弾ませた。
「人の気も知らないで好き勝手やって、よくそれだけ無責任な事が言えるよね」
不意に、由意は怒りを前に出した。
桜からでは由意の顔が見えなかったが、その声から感じるのは紛れもなく激怒だった。
無責任――咲心凪の言葉がそうとも思えない。ただ、由意の考えはまだ全部分かってはいない。だから桜は、由意の肩に手を置いた。
「由意ちゃん……由意ちゃんが何を考えてるのか、教えて欲しい。どうして天文部にこなくなったのか、どうして他の部活にいってるのか、今何を考えてるのか……話せる事なら、なんでもいいから」
桜の言葉に、由意は泣き出しそうな、しかし怒りを感じさせる瞳で彼女を睨んだ。
「元々天文部だけにいたかったわけじゃないよ。私は家の都合で茶道と華道もやってて、そっちにも興味があった。園芸部にもお花が好きだから入った。その四つを上手くやっていけるならそれでよかった」
堰を切ったように、由意は話しだした。
「でも、天文部の活動はいつまでたっても前に進まない、園芸部も長期的な活動になる、茶道と華道は誰もまともにできる人がいない。頼られると断れないけど、私の体は一つしかない。だから一番負担になる天文部を切った」
一番の負担――その言葉に、咲心凪が悲しそうな顔をするのを桜は確かに見た。
「茶道部も華道部も少しずつではあるけど上手くいってた。けど、いきなり神里先輩がきて代役をやるって言い出して、先輩方もそれをありがたがって、寧ろ私は神里先輩のフォローを任されて、結局行き場がなくなって……」
由意の事を考えて安日に頼んだ事は、かえってよくなかったらしい。桜は、自分の選択がいつも裏目に出る事を悲しんでいた――否、今は悲しんでいる暇もない。
「私がどうしたいも何もない。何をするにも責任が伴うって私は知ってる。ただ今を楽しみたいだけ。それができるなら、いっそ全然他の部活に入ったっていい。天文部にこだわる必要なんて、私にはないんだよ」
桜を睨んで語る由意の言葉の怒りに滲む一点、悲しみの色は何故か。
「由意ちゃんは、何が悲しいの?」
桜の言葉で、由意は怒りに染まっていた顔から一転、虚を突かれた顔になった。
悲しみ――由意の中に深い悲しみがあるのを、桜は明確に見抜いた。
その言葉で、由意は――。
「今だよ」
短く、答えた。
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