7-6

 文芸部の部室での話を終えたはるは、玄佳しずかから職員室前にくるように頼まれた。


 職員室と言われて思い浮かぶのは担任で顧問の西脇にしわきくらいだが、玄佳は何か考えがあるのだろうか……桜は疑問に思いながら職員室の前までいった。


 玄佳は綺麗に背筋を伸ばして待っていた。ちらと黒曜石の瞳で桜を見て、軽く手を振ってくる。桜はすぐに玄佳の所までいった。


「玄佳ちゃん……咲心凪えみなちゃんの方は大丈夫そうなの?」


 真っ先に気になる事はそれだった。玄佳は咲心凪と一緒に部室で活動していた。


「ま、あんまり心配いらないかな。内心では気にしてるけど、活動となるとしっかり割り切れる。問題なのは――」


由意ゆいちゃんの方?」


 桜が玄佳を見上げて尋ねると、玄佳はそっと桜を抱きしめた。


「そ。何かきっかけがないと由意は多分動かない。動いても他の部活を逃げ道にする。その逃げ道――潰せた?」


 桜はその部分を担当していたわけだが、恐らく由意は逃げているわけではない。だから桜は、玄佳の唇の前に人差し指を立てた。


「由意ちゃんは逃げてるわけじゃないよ……ただ、どこにもいけないまま迷ってるんだと思う……茶道部と華道部については、先輩が引き受けてくれた。今日の内に話をつけるって聞いてる」


 そこがなんとかなれば、由意の方でもまだ自分達に目を向けてくれる余裕ができるかも知れないと桜は思う。ただ、その先でのミスは許されない。


 玄佳は驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になって、桜の手をどけて、彼女の頭をぽんと撫でた。


「分かった。なら、切っ掛けだけ作りにいこうか」


「うん……西脇先生?」


「そうだよ」


 玄佳は桜の手を引いて職員室に入り、そのまま西脇の席まで向かう。桜は玄佳が堂々と手を繋いでくるので、少し恥ずかしい気持ちになった。


 桜と玄佳は職員室では特に気にもされない。それは、机に向かって何かしている西脇にとっても同様だった。


 西脇のデスクまでくると、玄佳は自然に手を離した。


「西脇先生」


 そして、よく通る声で西脇を呼ぶ。


月守つきもりさん? に、町田まちださん……どうしたの?」


 西脇は少し心配そうな顔をした。思い当たる所があるのは桜の方だった。以前にも家の事で彼女には心配されている。


「天文部……っていうか、咲心凪と由意の喧嘩についてです」


 玄佳の一言で、西脇は頭を抱えた。


「それね……私の方でも考えてるんだけど……氷見野ひみのさんと玉舘たまだてさん二人の喧嘩って感じでいいの?」


 細かい話に関して、西脇は知らないらしかった。もっとも、彼女はしょっちゅう部室にくるわけでもないし、基本的に生徒には放任主義な所があるので、無理もない。


「まあ正直私も由意の事一発殴りたいくらいの気持ちはありますが」


「やめなさい謝罪じゃすまないわよそれ」


「でも、原因についてしっかり話してくれればとは思います。桜は?」


 玄佳ちゃんは、由意ちゃんの事情について少し誤解してるのかも知れない。桜はそんな事を思った。


「今の由意ちゃんの事を考えると、由意ちゃんも悪くないと思う……だから、玄佳ちゃんも危ない事はやめて」


 桜に言われると、玄佳は意外そうな顔をした後、少しだけ微笑んだ。


 そして桜は、西脇を見た。


「僕は寧ろ、由意ちゃんに謝る方です。酷い事を言ってしまったので……ただ……」


 その先が、言い出せない。


「話が大分こじれてて、もう私達三人から由意に話しかけても無駄ってとこまできてるんですよ。だから西脇先生、口実でいいので由意も部室にこなきゃいけないような話用意してください」


 言いづらい部分は、玄佳が代弁してくれた。西脇に頼るのは由意からすれば卑劣かも知れないが、しかし、できる事が他にない。


 桜が一人、後ろ暗い気持ちでいると、西脇はデスクの上に置いていた書類を取った。


「口実でいいってもう少し言い方考えなさい……って言っても、玉舘さんは私から言えばくるわね……」


「由意はそういう奴です」


「あなた玉舘さんと仲直りしたいのか喧嘩したいのかどっちよ……」


 玄佳の一言に、西脇は大分白けた視線を送った。確かに、玄佳の言葉だけ聞いていると由意の事が嫌いのようにも聞こえる。


「単に空気悪いままでいるのも厳しいってだけです。喧嘩はするかも知れません」


 玄佳は淀みなく本音を零していく。


 普段は全然、そんな所見せないのに、玄佳ちゃんはたまに子どもっぽい。西脇先生にこういう事を言っても大丈夫だっていうのは分かるけど……。


 やっぱり、玄佳ちゃんは凄い。けど、危なっかしい。


「玄佳ちゃん……今は、由意ちゃんの事をもう少し考えてあげて」


 桜はそっと玄佳の腕を取り、その美貌を見上げた。玄佳はキリっとした顔をしていたが、桜が言うと少し表情を和らげた。


「まあそれぞれで見えてるものも違うから簡単に比較なんてできないんでしょうけど……そろそろ話はしようと思ってたのよ」


 西脇は一つに束ねた書類を、二人に見せてきた。


「講演会?」


 怪訝そうな顔をしたのは玄佳だ。


 西脇の持っているのは《玉木たまき芳実よしみ後援会‐月の色の移り変わり‐》と題されている。五月末にある物だった。


「まああなた達もそれぞれ活動してるのは分かるんだけど、生徒会長の方の黒崎くろさきさんの話は教師まで届いてんのよ。少しでも天文部の活動実績になる物をって考えて探してたら見つけて、希望すれば学生は無料だったから案内取り寄せたのよ」


「まあそれはどうでもいいんですけど」


「よくないわよあなたも予定空ける事になるんだから」


「それを周知するのに由意を呼び出すんですか?」


「話を聞きなさい。ったく……」


 西脇は案内を置いて、溜息を吐いた。


 玄佳があんまり人の話を聞かないタイプというのはなんとなく分かっていた桜だが、今日はとりわけ西脇の話をどうでもいい物として扱っている。


 感じる物は、玄佳の焦りのような物だった。


 由意の事が先になるか、玄佳の事が先になるか分からないが、話を聞いておこうと桜は決めた。


「私から玉舘さん一人にって話の通し方はかえってまずいでしょ。あなた達を四人一度にそろえる……その上でどういう話にするかについてまではこっちじゃ考えつかないけど」


 西脇は少し険しい顔になって、玄佳を見た。


「さっき物騒な事を言った以上、私も同席するわよ」


 玄佳は少しだけ、気まずそうな顔をした。西脇がそこまで絡んでくる事は予想していなかったらしい。彼女にしては珍しい失敗だった。


「……分かりました。桜は大丈夫?」


 それでも、玄佳は桜を気にかけてくれる。


「うん……話ができるなら、大丈夫」


 少なくとも、由意の負担については軽減できる。あとは由意本人の心に寄り添って、しっかり話をするだけだ。


 一つも、間違えてはいけないという気持ちが桜の中にある。由意の心はずっと天文部から離れ続けているが、ここでまた酷い事を言えば、由意はきっと戻ってこなくなるという確信めいた予感がある。


「じゃ、明日の朝に呼び出すから……町田さん放課後大丈夫?」


 西脇に心配させてしまうのが、桜にはつらかった。


「大丈夫です」


 それでも、諦めたくないから、桜は頷いた。


 明日の放課後に天文部の部室に、部員四人と西脇がくる事になって、桜と玄佳は職員室を出た。


「ごめん、ちょっと焦ってた」


 玄佳は小さく桜に囁いた。


「いつでも、話聞くよ」


 桜は、そっと玄佳の手を握った。


 玄佳の顔は、優しい笑顔だった。


 部室に戻ると言う玄佳と別れて、桜は家路に就いた。




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