7-4

 はる由意ゆいと二人でクラスにいくと、それを見た玄佳しずかは何かを悟ったような顔をした。桜が玄佳の隣の自分の席に座ると、玄佳はそっとノートの切れ端を渡してきて『上手くいった?』と尋ねてきた。桜は『ダメだった』と書いて返した。


 玄佳は何か考えている風だったが、やがてじっくり由意の背中を見始めた。何か物騒な事を考えていそうで、桜は少し怖かった。


 ただ、玄佳も由意も、咲心凪えみなも、特に何かを言い合う事もなく、最近ではもう普通になっている静かな一班として給食までの時間を終えた。


 桜は給食の時間が終わると、玄佳に一言言って、文芸部の部室に向かった。


 ノックして中に入ると、凛々子りりこと、楽要かなめがいた。


宝泉ほうせんさん……」


 桜が名前を呼ぶと、楽要は怪訝そうな顔をした。


「その分だと、作品の相談ってわけでもなさそうだな。座れ」


「は、はい!」


 凛々子はすぐに桜の話を見た。


「どの道宝泉もいた方がいいだろうから呼んでおいた。天文部の事か」


「そうです……」


 作品の方については、もうほぼ見えていて、今の時点で凛々子に相談する事がない。天文部の問題を凛々子に相談するのも筋が違うと桜は思うが、しかし今現在は他に当てがない。


 そこに楽要がいれば――無論、由意の事だと分かるだろう。


「まー町田まちださん最近はそっちが大変そうですしね。作品の方も気になりますけど、私でよければ相談に乗りますよ」


 そして、楽要も相談に乗ってくれるらしい。


「ありがとう。実は……」


 桜は今、天文部で起きている事を話した。由意が咲心凪と喧嘩している状態で他の部活を優先している事、それをどうにか仲直りさせたいが、交渉は決裂した事、ついで程度ではあるが、巴水見はゆみに会って少しの光明が見えた事も話した。


「そう言えば鏡宮かがのみやの奴が桜に会ったような事を言ってたな……」


 やはり、凛々子は巴水見と知り合いらしい。


「その時、桜はどう思った」


 桜としては一つの余談程度のつもりで話したが、凛々子にとって巴水見という人物は重要らしい。


鈴見すずみ先輩に言われた事でもありますけど……絶対に諦めたくないって思いました」


「なら、それが桜のすべき事の答えだよ」


 凛々子にしては珍しく、すぐに答えを照らしてくれた。


 諦めたくない――その気持ちは、今も心の中に残ってる。それを凛々子先輩も認めてくれた。ただ、諦めたくなくても、触れる事すら許されないならどうすればいいんだろう。


 桜の気持ちは落ち込み、種火が燻っていく。


「問題は……華道部と茶道部に入った玉舘たまだての事か」


 凛々子もその部分については分かっているらしい。扇子を広げて、口元を隠した。


「町田さん……知ってて凛々子さまに聞いてます?」


 不意に、楽要が桜の方を見て尋ねてきた。


「え……何を?」


「凛々子さまは文化部全般の相談役として有名なんですよ。凛々子さまでもカバーし切れない所はありますけど……」


「え……」


 凛々子はただでさえ文芸部でやる事が多そうなのに、それ以外の事もしていると桜は初めて知った。そして、それを知っていて相談事を持ちかけたようになってしまっている。


「す、すみません、そういうつもりで相談したわけじゃなくて……」


「まあ待て」


 凛々子は扇子を開いたまま正面の桜に向け、その言い訳を遮った。


「どの道、花会里かえりの方針が変わらん限り、文化部全体に廃部の危機が押し寄せているに変わりはない。ただ――茶道部にせよ華道部にせよ単なるお嬢様倶楽部程度の認識しかなかったからな。玉舘がその中でどういう位置か……」


「講師扱いですよ。文芸部で言えば多門寺たもんじ先輩と寒原かんばら先輩に対する私みたいなポジションです」


 凛々子の疑問に楽要がすぐに答えを出す。確かに、楽要は以前、二年生の二人に指導をしていたらしい。桜は由意がその二つの部活でどういう事をしているのか分からなかったが、楽要は存外そういう噂に詳しい。


「まああの二つで頼りにされるならそういう事ではあるか……私から桜に言える事はあまり多くはないが、少なくとも一つの方策はある」


 凛々子は扇子を閉じ、剃刀色の瞳で桜を見た。その視線は実際の剃刀で体を撫でるより甘やかで、どこか安らぎすら感じる。


「玉舘が身動き取れずにいるのは単に華道と茶道を教えられる人間がいないから。ならば別の人間が玉舘の負担を軽減すればいい。その下準備がなければ逃げ道を作る事になる」


 逃げ道――由意ちゃんは逃げているんだろうか。けど、由意ちゃんは話の途中で明確に話を逸らした。そこに何か、外からの刺激があれば……もう少し、由意ちゃんも考えを変えてくれるのかな。


 桜はただ、凛々子の次の言葉を待った。


「一人ではあるが当てはある。三年三組、神里かんざと安日あひる……こいつなら玉舘の代役くらいできる。放課後に時間があるならここに呼ぶからこい」


 放課後――それは今の桜にとって、鬼門だった。


「すみません……放課後はまっすぐ帰れってお母さんに言われてて……」


「桜の親は一日中家にいるのか?」


「帰ってくるのは六時か七時です……」


「そこまで時間はかからんよ。神里にもあらかじめ話は通しておく。神里が断るとも思えんしな」


 神里先輩――どんな人なのか、桜にはよく分かっていない。ただ、凛々子がかなり頼りにしているのならば、凄い人なのだという事は分かる。


「安日さまをここに……」


 楽要は知っているらしい。どこから情報を仕入れてくるのか、楽要は鳳天ほうてんの事情に詳しい。


「あいつは断らん。ただな、桜」


「は、はい!」


 剃刀の瞳に慈愛を見出して、桜は不思議な気持ちになった。


 凛々子はいつも鋭い表情をしているが、この時は妙に母性的な、桜を愛しているように包み込む視線を感じた。


 剃刀の鳥――桜は脳の中でそんな言葉が出てくるのを感じた。


「部活の中の事情を整える事は私と、一部の三年生でできる。ただ、玉舘と氷見野ひみのの問題そのものを解決する事はできない」


 それは、桜もしっかり分かっている事だった。


「私は玉舘と会った事もないからな。その部分については桜がどうにかするしかない」


 自分が――何ができるかなど、もう考える必要すらない。


「鈴見先輩」


 桜が凛々子に答えると、凛々子は優しい色合いの視線をくれた。


「僕ができる事なんて、ほんの簡単な事しかないんです」


 何故、とんでもなくつらい選択肢を取ろうとしているのに、心はこんなに軽いの?


「ただ、自分の心を由意ちゃんにぶつけるだけです」


 それはもしかすると、由意を今以上に傷つけるのかも知れない。朝のやり取りではそれをしてしまった。


 ただ――凛々子の援護射撃まで貰って、由意と咲心凪の罅が入った関係を直せないならば、玄佳と二人で一人にすら満たない。


 だから桜は、決心していた。


「僕は、絶対に諦めたくないんです」


 桜の言葉を聞くと、凛々子は穏やかに笑った。


「桜ならできるなどと無責任な事は言わん。ただ、自分の心をしっかり聞け。それができれば――」


 閉じた扇子は、桜を指し。


「桜はもっと強くなる」


 魔法のような言葉が、桜に勇気をくれた。


「……ありがとうございます」


 玄佳以外で、こんなに自分を認めてくれる人がいるだろうかと思うと、桜は涙が込み上げてくるのを押さえなければならなかった。


 少しずつ、少しずつしか前には進めない。


 けれど、少しでも進んでいれば、絶対辿り着けると信じる。


 桜の心の種火は、決意に燃え盛っていた。



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