5-12

 放課後まで、はる達四人の空気は回復しなかった。由意ゆいはホームルームが終わると咲心凪えみなを無視して教室を出ていった。


 凹んでいる咲心凪を桜と玄佳しずかが励まし、部室で今後を話す事になった。


 桜は文芸部の原稿もある。細かい所を調整して、その中で天文部の話も聞いた。


 玄佳の家には玄佳の父が遺した様々なメモがある。玄佳が生まれた頃の事も書き残しているらしい。それは丁度、彼がIBMを見た時期に重なる。


 咲心凪は少しでも天文部の活動を前に進める方針らしく、玄佳の家に上がれないか尋ねた。玄佳はすぐに引き受けた。


 桜も合わせた三人で、可能なら由意も加えて、玄佳の家を探る――五月の残りはその活動に割く。


 活動が終わる頃、桜は『球根』の原稿用紙に結びの印を入れた。


 三人で玄関を出ると、正門前の花壇で何人か、園芸部員が活動していた。リボンタイの色は一年生の青だった。


「二人共、ちょっと待ってて」


 咲心凪はすぐにその一年生の方に向かっていった。


「いこっか」


「うん」


 玄佳の言葉に頷いて、桜は一緒にその二人の方に向かった。


玉舘たまだてさんですか?」


 咲心凪はもう話を始めていた。話しかけられた同級生は不思議そうな顔をしている。


「うん。由意ちゃん……あ、私もこっちの二人も由意ちゃんと同じクラスで、同じ天文部なんだけど、由意ちゃん最近忙しいみたいで……でも理由言ってくれなくて……」


 咲心凪はしどろもどろになっている。


 分かる気がするな――咲心凪ちゃんの気持ち。


 玄佳ちゃんの昔を人に聞いていた僕と、似ている気持ちだと思う。けれど、この世に一つとして同じ悲しみがないなら、一つとして同じ苦しみもないんだと思う。


「玉舘さんは確か……当番の時と、園芸部全体で何かする時くらいしか顔を出せなくなるって言ってました」


 彼女から出てきた言葉は、玉緒から聞いた事の裏付けになりそうだ。


「何か別の部に顔出すみたいな事、言ってなかった?」


 玄佳が会話に割って入る。彼女は少し怯えた顔をした。


「あまり詳しくは……ただ、部活をかけもちする予定が増えそうとは聞きました」


「待って。その中に天文部は入ってるの?」


 咲心凪は必死になっている。由意を繋ぎ留めたいという気持ちが、桜にはよく分かった。


「というか……あの……天文部で四月にあれこれやっていたので予定が狂ったって――」


読山よみやまさん」


 不意に、穏やかで柔らかい声が聞こえて、桜達は振り返った。


 由意が静かに、侘びしそうに立っていた。


「あ、玉舘さん……すみません」


 読山と呼ばれた少女はぺこりとお辞儀して、作業に戻った。


「由意ちゃん……ごめん、さっきは――」


「華道部と茶道部の先輩から聞いたんだけど、三人で私の事探ってたよね?」


 玄佳を通して動いていた事は、既に由意に知られていた――恐ろしい気持ちが、桜の中に湧いてきた。


 赤錆色の恐ろしい魚に食べられそうな自分自身――先週、由意に感じた突拍子もない空想が湧き上がってきた。


 今の由意の表情は――顔の造りの所為で穏やかには見えるが――般若のようだった。溜まっていた怒りが噴出したように。


「それは……」


 咲心凪は言葉を詰まらせる。


「由意に聞いても暖簾に腕押しだから、人づてに聞いたんでしょ」


 怖じないのは、玄佳だ。


「ならはっきり言うけど、今私は華道部と茶道部の方とも兼部を考えてて忙しいの。これ以上邪魔したり、裏でこそこそ探ったりしないでくれる?」


 冷淡な光が、由意の穏やかそうに見えて激情を秘めた目に浮かんでいた。


「なら、なんで最初から言わなかったの?」


「言えば面倒になるかなと思ったからだよ……」


 由意はそこで玄佳から視線を外し、天を仰いだ。


時間割いてたお蔭で、最初のプランが狂い続けてた。それを直接言うと空気悪くなるかなって思ったけど、もういいよ」


 桜は思わず咲心凪を見た。


 咲心凪は、信じられない事を聞いたように目を見開いていた。


「待ってよ……合宿の時、あんなに楽しそうにしてたじゃん……あれも、嘘だったの……?」


 咲心凪は、泣き出しそうな顔で由意の顔を見る。


「別に、嘘ではないよ。その時その時で楽しめる物は楽しいし。ただ、天文部の活動だけにどっぷり浸かるつもりは最初からなかったっていうだけ」


 由意は、なんでもない事のように言って、歩き出した。


 すぐに、由意は三人の横を通り過ぎる。


「待って……私達、この後のプランを考えて――」


「三人でやればいいでしょ。別に退部するわけじゃないし」


 咲心凪の言葉を遮って、一方的に言って、由意はちらりと桜達を振り返った。


「活動に参加して欲しければ、私に寄りかかるのやめてくれないかな」


 その一言で、玄佳が一歩踏み出した。


「由意!!」


 大声を出す玄佳の腕に、桜はなんとか追いついた。


 玄佳が驚いた顔で桜を見る。由意も意外そうな顔をしていた。咲心凪はただ泣いている。


「由意ちゃんが言いたい事は、分かる……ごめん、僕達の所為でずっと負担をかけてて……でも」


 玄佳を止めながら、桜は由意に届けたい思いを形にした。


「由意ちゃんがきちんといられる天文部になるから、その時はまた、部室にきて……お願い」


 それが、今の桜の精一杯だった。


 誠心が由意に届いたのかは分からない。


 ただ彼女は、侘びし気な顔をした。


「……分かってるなら、私がどれだけつらかったかも分かるでしょ」


 小さく言って、由意は去っていった。


 桜自身、涙混じりになっている自分がいる事は分かっている。


 ただ、由意が言っていた事を繋ぎ合わせると、一つの結論が出てくる。


「桜ちゃん……」


 咲心凪が、桜と玄佳の方に歩いてくる。


「どうすればいいの? 由意ちゃんはもう……」


 その言葉を聞いて、桜は眼鏡を取った。そして、両の眦に溜まった涙を払う。


「玄佳ちゃんの事があってから、合宿の計画を立ててる間も、合宿で僕が倒れてる間も、由意ちゃんはずっと苦しんでたんだと思う……」


 桜は、分かった事を話した。


 玄佳ちゃんが休んだ日に一番冷静に分析できてたのは由意ちゃんだし、部活の事を考えてたのも由意ちゃんだった。


 本当は、由意ちゃんは別の部活にも顔を出したかったんだと思う。


 でも、玄佳ちゃんの問題は放っておけなかったし、合宿は大事な活動だから、我慢してた。


 僕が倒れた時も、由意ちゃんは心配してくれてたけど、実際は迷惑だったと思う。


 ただ、僕達がもう少ししっかりして、由意ちゃんに負担をかけないようにしていれば、こんなにこじれなかったと思う。


 悔しさは、鼻の奥をツンとさせた。


「一番迷惑かけてる僕が言える事じゃ、ないけど……」


 桜が悲しい言葉を吐くと、ぽんと玄佳がその頭を撫でた。


「大丈夫。桜より私の方がよっぽど酷い。って、それより咲心凪、今できる事はひたすら天文部の『未来』を考える事。手掛かり探しは手伝うけど、生憎私は未来の事を考えるのが得意じゃない」


 すぐに、玄佳は話を始めた。


「この先どうすれば四人、纏まって一つの目標に向かえるか、そこを考えられるのは咲心凪だと思う。だから、しっかりして」


 玄佳の言葉は随分厳しかった。


 それでも、咲心凪はなんとか袖で涙を拭った。


「うん――絶対、四人で〝Icy Blue Moon〟を見る……その為にできる事、沢山考える」


 咲心凪は桜の目を見た。


「ありがとう、桜ちゃん」


 その言葉がどういう事なのか、桜にはよく分からなかった。


 ただ――自分も急いで天文部に合流しようという気持ちがあった。


 その後、三人は一緒に帰った。




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