6-1
帰ると桜は『球根』の原稿用紙を読み返して、明日に
翌日の桜達四人の班の空気は相変わらず最悪だった。
早くなんとかしないと……桜は無言で終わる給食の時間を過ぎて、文芸部の部室に向かった。
「あの……
桜はおずおずと凛々子の対面にある自分の席に向かい、声をかける。
「悪いな。思った以上にやる事が多い。座れ」
「はい……原稿、渡しても大丈夫でしょうか……?」
「預かる」
桜は凛々子に原稿用紙の束を渡した。その爪は、鋭利に尖っていて、少し怖くあった。
凛々子は桜の作品にさらっと目を通した。
指摘された所はよくなってると思う。幸せの形も僕なりに見えた……と思う。けど、自信がないのはどうしてだろう。
……でも、いつもの事かな。
作品を貶される経験は家で散々に積んでいるから、自信なんて呼べる物は欠片もない。
桜は凛々子の手の中にある自分が書いた原稿を寂しく見た。
「……ひとまず気になる所は改善されてるな。一度コピーを取るのに預かる。放課後に返すから、部室までこい」
「はい……」
「文芸部全体で応募作の読み合いもする予定だ。桜も宝泉や多門寺、
やっぱり、やる事は多いな。当然かな。僕は次の部長なんだし。
「はい……」
桜はどこか虚ろに答えた。この分だと、天文部の方に合流できるのは結構先になりそうで、不安が体を支配していた。
「……何か悩み事か?」
凛々子は目敏く、桜の内心を見透かした。
「……天文部の方で、少し。友達と揉めちゃって」
桜は、話す事にした。
凛々子に話して何か変わるわけでもないが、少なくとも心の負担は少し軽くなる。
天文部の活動としてIBMを探している事、それに付き合えない、自分に寄りかかるなと一人が離れていきそうな事、それをどうにかしたい……そこで桜の言葉は止まった。
「文芸部の活動に割ける時間が惜しい、か」
言わなくとも、凛々子は察してくれる。
「正直、今は少しでも早く天文部の方に合流したい気持ちがあります……」
隠し立てしても、凛々子の剃刀色の視線はすぐに見抜くだろう。ならば、話してしまった方が楽な気持ちはある。
「まあ前に
総会の日の事……桜は思い出して、凛々子に甘えたい気持ちを感じた。何か解決策を出してくれそうな気持ちはあるが、求めるのも筋ではないと思う。
どうすればいいのかな……文芸部の活動は大事だけど、僕がいない間に天文部で何があるのかも気になる。
桜がしゅんとしていると、凛々子はパッと扇子を開いた。
「今日の放課後は天文部の方で予定はあるか?」
「はい……IBMの資料が友達の家にあるかも知れないので、探す事になってます」
「なら、原稿はホームルームに合わせて返しにいく」
「え……」
それじゃまるで、文芸部の方はいいみたいな……。
桜は不思議な気持ちに陥った。凛々子の剃刀色の瞳に穏やかな色を浮かべていた。
「余分な懸念があっては充分に作品を作る事はできん。今は天文部の事を優先すべきだろう――問題は」
パン、凛々子は扇子を閉じ、桜に向けた。桜はその時、不思議と穏やかな気持ちだった。
「IBMという物を探る『未来』に向けて『今』すべき事が何か『過去』から探り出す……必要な事はそれだ」
過去から――それは言い換えれば、つきのひさし先生のメモからってなるけれど、確かにそれが見つかれば、少しは前進できると思う。
問題は、見つかるかどうか……桜には自信がなかった。
「見つからなかったら、本当に友達が遠くにいっちゃいそうで……」
「過去の本質は『不変』……誰かが途絶えさせない限り、必ずそこに何かが残っている物だ。探すのは難儀だがな。それから、文芸部のあれこれには意見を出して貰うが、会議のような形にはしない。桜の予定を優先して、グループで言える時に言え」
気遣いが。傷だらけの心に沁みる。
こんなに痛くても、その痛みに甘さを感じてしまうのはどうしてだろう……桜の心の中には、不可思議な陶酔があった。
「それから」
凛々子は扇子を手に持ち、どこかニヒルに笑った。
「手放したくなければ、強くなれ」
「え――」
それは、桜が全然予想していなかった言葉だった。
由意ちゃんの事だと思う。けれど、強くなるって、どういう事なんだろう。僕には全然分からない。
凛々子先輩は――。
「鈴見先輩は、強いっていう事がどういう事なのか、知ってるんですか?」
きっと、知っている。
「強さとは三つの階梯を経る。一つ目は己の弱さを認める事、次に己が得た強さにしがみつく事、最後に強い弱いの彼岸に立つ事……桜は一つ目はできている。次の階梯にいく時だ」
「僕の、強さ」
そんな事を言われても、分からない。由意ちゃんが離れていくのは、僕の所為でもあるんだから。
「諦めない事だ」
すぐに、凛々子はその正体を解き明かした。
「どれだけ人に打たれても、桜は諦めずに己の作品を絶対の物にしていった。それは紛れもなくお前の強さで、どんな事も諦めない事にしがみつけ。それは――」
凛々子はそこで言葉を区切り、自分の頭をとんと突いた。
「とんでもない量の事を考えなければいけないという事でもある。どれだけ大変でも、しがみつくという事はそういう事だ」
それはきっと。
凛々子先輩の経験からきているんだと思う。凛々子先輩は、強いから。
僕にできるのか――ううん。
「前に、今離れていきそうな友達が言ってくれたんです」
桜は、弱弱しい視線に希望を灯して、凛々子を見た。
「できるって信じる事は、簡単にできるし信じなきゃ何もできなくなっていくって」
今の自分にできる事はきっと――。
「だから僕は、強くなれるって、信じる事にします」
その言葉に、凛々子は麗しく微笑んだ。
「その壁を越えれば、桜は今より一回り大きくなる。文芸部で何か必要な時は私の方から知らせる。今は、天文部の活動に向かえ」
凛々子の手を煩わせるのは申し訳なかったが、ありがたかった。
「ありがとうございます……少しだけ、天文部の方に寄り道するのを、許してください」
「私が許す事じゃない」
桜の言葉を、すぐに凛々子は否定する。
「桜自身が決める事だ。人の道は一人分の幅しかない。その中で誰かと一緒にいたいなら、この言葉を忘れるな――絶対に、諦めるな」
諦めない――そうだ。
僕はいつでも、『諦め切れない』と思って何度も同じ課題にぶつかってた。
けど、それは『諦めなかった』事でもある。
僕なんかに何ができるのか分からないけど、たった一つ、諦めない事だけはできると思う。
たった一つ、僕に自信があるとしたら、諦めが悪い事だけだから。
「頑張ります!」
桜は両手で拳を作って、立ち上がった。
「ああ。文芸部の事は――私がいる間は私に任せておけ」
凛々子の言葉には、絶対的な力が宿っていた。
だから桜は「お願いします」と言って、文芸部の部室を出た。
教室に戻って咲心凪と玄佳に今日は一緒にいけると告げると、二人共小さく喜んでくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます