5-7
給食もこの四人で食べる。席の配置の関係で四人は担任で顧問の
咲心凪が話を始めたのも、給食の時だった。
「
その言葉を聞いた由意の一言目がこれだった。
「あ、私の『今のお父さん』の事」
「家族の呼び方かな……文貴さんの同僚の人に話を聞くの?」
咲心凪の話の要点だけを纏めて、由意は尋ねた。
「そう。つきのひさし先生が何かIBMについて書き残してないか調査するのに一番いいのはその当時一緒にお仕事してた人……連絡先も玄佳ちゃん経由で貰ってる」
由意の言葉に答えて、咲心凪は机の中から一枚の名刺を取り出した。桜は大人の人が使う名刺を見るのが初めてだったので、覗き込んだ。咲心凪はすぐにそれを由意に差し出す。
「うーん……話は分かるんだけど、玄佳ちゃんは知ってる? 玄佳ちゃんのお父さんがIBMを書いた当時の事」
何か、彼女には別の考えがあるらしく、由意は玄佳の方を見た。
「お父さんが何人かの人と結構遠くまで天体観測にいった時に見た……っていうのはちらっと聞いた程度の事なんだけど、細かい条件とかになると全然聞いた事がないかな」
玄佳の情報は心許なかった。もっとも、IBMが描かれた当時、玄佳にせよ桜達にせよ、まだ生まれたかどうかくらいの時期だ。その頃の事を知っているというのもおかしな話ではある。
「そう……」
由意は左目の下の泣き黒子に悲しげな色を浮かべて、俯いた。
どうして、由意ちゃんは悲しそうなんだろう。
何か言いたい事を我慢してるみたいに見えるけれど、それは僕が触れてもいいものなんだろうか。もしも触れたら、由意ちゃんがどろりと溶けてなくなってしまいそうな感じがして、できない。
「今現在は他に当てもないし、今の所の活動はこれくらいしかないよ。桜ちゃんもいいよね?」
咲心凪はすぐに話を進めていく。
「うん……」
待ったをかけたい気持ちがあるのに、理由が曖昧模糊としているからできない。もう少しすっきり、人と話したい。桜はそんな事を思いながら給食のご飯を食べた。
「じゃあ、玄佳ちゃんも言い出してるし、決定だね」
話を決めたのは、他でもない由意だった。
由意ちゃんの顔が少し険しいのはどうしてだろう。聞くと、怒られるんじゃないかっていう気持ちがある。
桜が逡巡している内に、咲心凪は由意から受け取った
「連絡は先生を通さないといけないので、日程決めてください」
そして、すぐに要件を言う。
「……あなた達も大分たくましくなったわね……」
食事していた西脇はその名刺を受け取った。
「すぐにってわけにはいかないでしょうけど……あなた達も話す事纏めておきなさいよ? 生徒会からも色々言われてるみたいだし」
「うぅ……」
西脇が生徒会の事に言及すると、咲心凪が情けない声を上げた。
「じゃ、今日の放課後はそれで決定?」
由意は少し急いでいるような風で尋ねた。
「玄佳ちゃん達がよければ……」
咲心凪は珍しく、自信なさそうに答えた。
「ぼ、僕は大丈夫……!」
桜は必死に話についていこうと、すぐに参加を決めた。
「桜、文芸部の方大変そうだけど、そっちはいいの?」
「うぅ……」
桜は悲しくなってさっきの咲心凪みたいな声を上げた。
どちらかと言えば、今は執筆の方に専念したい。『球根』に書きたい事は途中で止まっているが、その部分をしっかり考えておかねばのちのちまずい事になると本能が告げている。
ただ、天文部の方を放っておくわけにもいかないのは事実だ。両方を選んだのは桜だが、桜の体は一つしかない。
「玄佳ちゃんの写真部は?」
「んー……まあ部室で写真撮っていいなら大丈夫」
「じゃあ、玄佳ちゃんと咲心凪ちゃんで大筋だけ纏めておいてくれるかな」
不意に、由意は自分を会話から弾いた。
「あれ……由意ちゃんは?」
桜は疑問に思った事を尋ねた。
「今日はちょっと、園芸部でやる事があるから……先月天文部の方に時間割いてた分、今月はそんなに頻繁に出られないかも」
確かに、由意も園芸部との兼部なのでそれは分かる。
分かるが、それだけではないような気持ちも桜の中に存在している。
なんだろう、この感覚は……自分が水の中にいて、赤錆色の恐ろしい魚に食べられそうになっているような……。
「桜ちゃんは文芸部の方で期待されてるんでしょ? だったらそっちは下手に邪魔できないし、一人作業だろうから」
「う、うん……」
本当は、みんなと一緒がいい。
桜はその言葉をまた出せなかった。
また、孤独を選ぶような言葉を使っちゃった……桜の中にとめどない後悔が押し寄せる。ただ、後悔の後ろに立つ事ができないのはいつもの事で、桜には震えるような気持ち悪さが押し寄せてきた。
「じゃあ細かい事決まったら共有するね。西脇先生、連絡今日中に取れそうですか?」
「あなた私の事を便利屋と思ってない? 向こうはお仕事中だから取れるかも分からないわよ。決定次第連絡するけど。一応今日は部室に
西脇はてきぱきと話を進めていく。
これくらい早く、話に混ざれたらいいのに。
どうして僕はこんなにつらい選択肢にしがみついているんだろう。
一人なんて、もう嫌なのに。
桜は本心に反する自分の言葉を呪った。無難に落ち着いてしまう自分の心はいつも本心を蹴り飛ばしていて、痛みばかりが激しく募る。
「じゃ、今日の予定は決定ね」
給食を食べ終えた由意は、どこかよそよそしく食器を戻しにいって、自分の机を元に戻した。
桜達もそれぞれ食事を終えて、言葉少なに机を戻した。
なんだかとても情けない気持ちがする。
桜はあちこち直しを入れられている『球根』の原稿用紙と新しい原稿用紙を取り出した。直す所を直して、一度、凛々子が言っていた部分について考えたい。修正作業はそれほど時間を使わないだろう。
問題なのは、話の根幹の部分で凛々子に『足りない』と指摘された部分だった。
その部分を埋めるのに、何か決定的な物が足りない気がする。それがなんなのか分からないので、途方に暮れるしかない。
桜はノートを取り出して、そこに幾つかの言葉を書いた。
茎、水、雨、泥、泥濘……不意に湧き上がる、思考の間欠泉がある。
[もしも今、雨が降って泥濘ができて僕がそこに転んだら? きっと僕の体は泥となってその泥濘の中に消えていくだろう。何にもなれずに消える恐怖はいつも急に襲ってくる。その中にあるものはなんなのか分からない。分からなければならない。考えられるのは水……水は何をもたらす? 水は土に溶けて、海に流れて、空に上がって、雷雨となって降り注ぐ……雷雨、雷、雷……]
桜の紡ぐ言葉は途中で止まった。
今ここに雷がなったら、何かが完成するような気持ちがあるのはどうしてだろう……そんな事を思うのは、桜の心が波乱の予感を感じながら刺激を求めているからに他ならなかった。
雷と雨――桜はメモにその二つの言葉を書き、学校と家にそれぞれ置いている紙の辞書で意味を詳細に引いて、引用した。
由意が、恐らく本来の意図のついで程度に用意してくれた時間は、桜にとっても有意義に過ぎそうだった。
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