5-3

 昼休みを終えて、放課後までの授業時間だった。


 はるは昼に感じた例の魚の事を思い出して、頭の中を吐き出す為のノートを開いた。


[魚。魚群。土の上に積み上げられて顧みられる事もない魚群を元に戻そうとすると大きくてごつごつした手が僕の髪の毛を引っ張る。その手は生臭くて、別の嫌な臭いも纏っていて、つかまれる度に僕の脳に傷が増える。魚は段々何も言わなくなる。パクパク、パクパク、口を開ける動作も少なくなって、最後には死んでしまう。もしかすると生き地獄を味わっているのかも知れない。そうであるなら、僕はきっと夏がくる度に魚に同情しながら窒息していく。夏。もう夏の匂いがする。青草の匂いの代わりに、乾いたアスファルトの匂い……]


 書いていると、それだけで授業時間は過ぎていった。


 どこか夢現のまま、桜はホームルームを終えて、玄佳しずか咲心凪えみなと一緒に生徒会が大規模な会議をする時に使うという部屋まで向かった。


 鳳天に文化部が多い事は知っていたつもりだが、改めて全ての部長副部長が並んでいるのを見ると壮観だった。


 魚群みたいに見えるのはどうしてだろう……桜は咲心凪と並んで天文部の席に座り、始まるのを待った。


「それでは、ただいまより臨時文化部総会を始めます。まずは、生徒会長から皆さんへのお話があります」


 生徒会長――上座にいた彼女は立ち上がる。


 美しい金髪の前髪を跳ね上げて、他を長くまっすぐに伸ばしている。顔立ちは異国の貴族と言われても納得できる程に整っている。赤い瞳は一度見たら忘れない。


 彼女はにこやかな表情で居並ぶ生徒達を見回し、笑った。


「この度はお集まり頂きありがとうございます。生徒会長の黒崎くろさき花会里かえりです。早速ですが――要件の方を話させて頂きます」


 形だけは礼儀正しく、花会里はお辞儀した。


「まず、教職員連中から『文化部に所属している生徒の成績不振』が挙げられました。間もなく中間考査ですね。補習となった者を出した部はその人数分、部費を下げます」


 花会里の言葉に、部屋の中にはざわめきが起きた。


「静かに」


 だが、花会里の一言で静まり返る。


「発言は所属と名前を言ってから、そして要件はこれだけではありません」


 花会里は顔の前に指を一本立てた。


 怒っている――この人は怒っている。桜はほとんど本能で、それを感じた。今の花会里から受ける印象は、とんでもなく大きな怒りだけだった。


「文化部の皆さんに於かれましては月に一度、活動報告を出して頂いていますね? しかし――」


 場の空気が、明確に変わった。爆発物の音でもするかのような空気だった。


「あまりにも成果が薄い。何ゆえに鳳天ほうてんの文化部はここまで不甲斐ないのか、私はそれが疑問でなりません。充分な環境、充分な部費を与えているにも関わらず対外的に出せた成果はほんの僅か。今月以降、活動報告を閲覧した上で『成果なし』『見込なし』と判断した部に関しては部費の削減だけではなく、廃部も視野に入れた処分を下します」


 燃え盛る炎のような怒りが、緋色の瞳に浮かんでいる。この場にいる人間を全て殺そうとするかのような恐ろしい表情が花会里の美貌には浮かんでいた。


「以上が私からの提言です。以下、質疑応答に移ります」


 質疑応答と言われて、桜は咲心凪を見た。ただ怯えた顔をしている。


「演劇部、虎渡とらわたりはやて


 その時、女子としては大分低い声が上がり、一七〇を優に超す身長の持ち主が立ち上がった。


「なんでしょうか、虎渡さん」


「成績の問題は大いに結構。その程度の気概で部活に臨むならば漫然とした成果しか出せないだろう。だが、月ごとの成果報告とはどういう事だ? 大会がある運動部と違い、文化部は成果を出せるタイミングが限られる。それを毎月行なえと言われても、できない部活の方が多いだろう。事実、演劇部は文化祭までほぼ練習に明け暮れる」


 虎渡颯と名乗った人物は座った。


「成果を出せるタイミングが限られる……噴飯ものですね」


 花会里はにこやかに、しかし恐ろしい迫力を持って微笑んだ。


「今の時代、様々な『活動の成果』を外に出す機会は大いにあります。なのに去年一年で例えば演劇部が何をしたかと言うと文化祭で高等部の前座を務めた程度、まるでお話になりません」


 花会里の言葉は白熱していき、虎渡颯を見る目が強くなる。


「例えばですが文芸部の鈴見すずみ凛々子りりこ部長は外部のコンテストで大きな賞を受賞しています。けれど今の鳳天文化部の大半は外部に活動成果を出す事すらしない体たらく。知っていますか? 私達が入学する以前、高等部との合同文化祭ではテレビの取材も入っていました。しかし今はそれすらない。それは高等部の堕落、何故高等部が堕落したかと言えば今の高等部生が中等部の間を漫然と過ごしたからに他なりません」


 まくしたてる勢いで、花会里は話していく。


 やっぱり、凛々子先輩は凄い――会長に例に出されるような事をしているんだから。桜はほとんど他人事のように考えていた。


「結論から言えば私達の上の代の生徒会の怠慢でもあります。だからこそ今年から鳳天は変わるのです。誰もが憧れる栄華の時代に回帰する……その為にあなた達に必要な事は――」


 花会里の話の途中で、スパン! 扇子を勢いよく閉じる音がした。


 桜がその方向を見ると、凛々子が立ち上がっていた。


「文芸部部長、鈴見凛々子。話は分かった。要するに鳳天にそれだけの『力』を求めると。大筋で不満はない」


「流石と言った所ですね。ところであなたは今年度から新人の育成を行なっていると聞きますが……」


「今年、私個人が積極的に何かの『成果』を出す事はないと思って貰いたい。それ以上に――この場に天文部として出席している町田まちだ桜と、文芸部として出席している宝泉ほうせん楽要かなめ、この二人が必ず大きな成果を上げる。言いたい事は」


 凛々子の剃刀色の瞳はきっと、花会里のルビーの瞳を見ていた。


「貴様の短絡で『見込なし』とは判断するなという事だ。文化部の活動とは虎渡が言う通り長期に及ぶもの。必然審議する側にも長期的なヴィジョンが求められる」


 圧倒的に強い言葉が出た――凛々子先輩は僕達の味方をしてくれている……けど。


 僕が何か大きな成果を出せるの? 宝泉さんはできると思う。けれど、まだ一度も公募の賞に出した事がない僕にそんな事ができるとは思えない――。


 桜は、胃がきゅっと締まるのを感じた。


「なるほど……長期的なヴィジョン、覚えておきましょう。しかし――」


 怜悧な赤い瞳は、文化部の全員を睥睨し。


「特別な理由なく成果報告を怠るのならば、こちらも相応の処置を講じます。提出は毎月末日です。四月分を出していない部は本日中に出すように。我々が目指すのは――」


 花会里は、人差し指を天に向けて立てた。


「鳳天の黄金時代です。各自、各々が『鳳凰の羽である事』をお忘れなく……では、今回の文化部総会を終えます」


 緊迫していた空気は、不穏な空気に変わってその場に停滞した。


 何か、恐ろしい事が起こりそうな予感を、桜は感じていた。


「桜ちゃん……大変な所で悪いんだけど……」


「うん……活動報告、出しにいこう……」


 今は、できる事をすべき時だ。桜は咲心凪と、写真部にいた玄佳とも一緒に花会里に活動報告を出した。


 恐ろしい笑みはトラウマよりは弱く、けれど実際的な恐怖を伴って桜の瞼に張り付いた。


 その後、桜は文芸部の部室に向かった。




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