4-7

 シャワーを終えた五人は一度天文部の部室に向かい、観測器具を持って屋上に移動した。


 天体望遠鏡を持って屋上に出ると、咲心凪えみなが手際よくそれを屋上の真ん中に置いて、調子を確かめた。はるが聞いた所によると、撮影もできるタイプらしい。


 それから天体観測が始まった。


 桜は不思議な気持ちを抱いていた。月は黄色く欠けている。もしかするといつか見た桂男は桜を見逃してあの月に帰ったのかも知れない。星は瞬いていて、空に色があるならば、それはどんな絵具でも表現できないのではないかと思えた。


 咲心凪は持ってきたノートに記録をつけ、玄佳しずかは夜空を眺めながら手帳に何かを描き(それは桜だけが知っている)、由意ゆいと桜は交互に天体望遠鏡を覗いて空を見ていた。西脇にしわきはいつになく物憂げな顔で空を眺めて、時折桜達に視線をやっている。西脇だけは個人的に持ってきたバッグを持っていた。


 やがて、西脇が腕時計を見た。


「そろそろ寝る時間ね」


 月は青くならず、星は静かに並んでいて、夜は少しずつ更けていく。


「仕方ないけど、今日はこんな所かな」


 咲心凪が全員に向けて言う。


「あ……待って」


 その時、桜は空に流れ星が走るのを見た。


「流れ星……だよね?」


 傍にいた由意が言う。


「うん……もう、消えちゃったけど」


「違う」


「え?」


 桜の言葉は、玄佳に否定された。


 何事かと思って桜が空を見上げると、音もなく幾つもの流星が空を駆けては消えていった。それは途切れる事なく、空を満たしている。


「流星群だ!」


 すぐに、咲心凪が望遠鏡に駆け寄った。


「今日ってこういうのあるってニュースとかで言ってなかったよね?」


 由意が空を眺めながら咲心凪に尋ねる。


「中には突発的な物もあるんだよ! 急に始まる奴!」


 どうやら、偶然に流星群に出会ったらしい。


「あのね……時間……」


「天文部が流星群に出会って活動しなかったら嘘ですよ!!」


 歯切れ悪く四人を部屋に返そうとする西脇に、咲心凪が真っ向から反論する。


「……はあ。見逃すから、見逃してよね」


 西脇はバッグから、煙草の箱と、お酒が入った小さな瓶を取り出した。


「西脇先生が煙草吸ったりお酒飲むのも意外ですね」


 由意がおっとりと言う。


「自分でも子どもの頃は何がいいのか分からなかった。でもたまに一本吸って、ウイスキーを一口二口舐めないとやってられない時がある」


 いつになく、西脇は疲れたように言った。


 そうなのかな。


 別にお酒を呑みたいとか、煙草を吸ってみたいっていう気持ちは起こらない。ただ、嫌悪感もない。いつか僕が大人になった時、西脇先生みたいに……なりそうにないなって思っても、なるのかも知れない。


「願い事叶え放題じゃん」


 玄佳は桜の隣にきて、そっとその肩に手を置いた。


「うん……」


 もう二度と、過去に襲われませんように――願っても、無理なんだろうな。


 夜空を駆けていく疎らな流星群は頼りなくその光を届けている。この東京の空の中でどれだけの人が空にカメラを向けているのか分からないけれど、玄佳ちゃんもその一人だ。


 せめて、玄佳ちゃんの隣に立って恥ずかしくない、一人の人間になれますように――きっとそれは、星に願いをかけなくても、自分自身に言い続ければ、いつか叶う事のような気がする。


 なら、何を願おうか。


 いつになく強気な気持ちはきっと神秘的な光景が見せる精神の昂揚の為だと思う。


 ひとまず願う事は、僕達四人がいつまでも一緒に、一つでいられますように。


 桜は、静かに両手を組んで、星に祈りをかけた。


 目を開けると、玄佳はカメラをいじっていた。


「玄佳ちゃん?」


「どうせだからさ」


 玄佳はカメラを持って、西脇に走り寄った。


 西脇と玄佳が何事か会話する。桜はなんだろうと思った。


「桜ちゃん、咲心凪ちゃんも」


 由意は、察したらしい。桜に声をかけて、望遠鏡で天体写真を撮っている咲心凪の肩を引く。


「何ー?」


「写真、今度はちゃんと撮ろうって」


「あそっか!」


 すぐに、玄佳が桜達の所に戻ってくる。


「いくわよー」


 西脇はカメラを頼まれたらしく、四人にカメラを向けている。


「三脚は今度部室から調達するとして……三引く一!」


 玄佳はしっかり桜の肩を抱いて、前方にピースサインを向けた。桜は小さくピースサインを作る。


「え?」


「撮れたわ」


 咲心凪が咄嗟に何を言われたのか分からないと言う顔をした瞬間、西脇はシャッターを切っていた。


「普通一足す一だよね……」


「私変な顔してなかった!? 先生ちょっと写真見せてください!」


 由意が呆れたように言って、咲心凪が急いで西脇に駆け寄る。玄佳がゆっくり、由意が少し急いで、桜はおずおずとその後に続く。


 ふと空を見ると、突発型の流星群はもう終わっていた。名残りのように、一条の流星が空に流れた。


「やっぱり変な顔してる!!」


「あー、私も妙な映り方しちゃってるな……」


 咲心凪と由意はそれぞれ、不満を漏らしている。


「まあいいんじゃない? 星をバックにしてて」


「先生適当に言ってますよね!?」


「はい、月守つきもりさん」


「ありがとうございます」


 玄佳は何事もなかったかのように西脇からカメラを受け取る。


「玄佳ちゃんもう一回!! もう一回撮ろう夜空はまだ逃げない!!」


「先生酔ってるから、ここまでかな」


「酷い!」


 桜は自分がどんな風に映ったのか気になって、玄佳の顔を見上げた。玄佳は桜に写真を見せてきた。


 頭の上に疑問符をつけるのが正しい顔をした咲心凪、半笑いの由意、ばっちり決め顔を作っている玄佳、どこか安心しているような顔でピースサインを作っている自分が、流星群の降る中に立っている。


「玄佳ちゃん……この写真、後で頂戴……」


 桜は少し照れっぽく、玄佳に頼んだ。


「ん、いいよ」


「桜ちゃんそれはダメ!!」


「写真は私のだ」


「玄佳ちゃんが撮ったんじゃなくない!?」


「それより片づけ入ろうよー。咲心凪ちゃんじゃないと望遠鏡任せられないし」


 なんだかんだ騒ぎながら桜達は片づけに入った。


「ま、こういうのも一つの思い出になるでしょ」


 西脇は煙草と酒をしまって、手をひらひらと振った。その手が桜には、夜に舞う白い大きな蝶のように見えて、どうしてあんなに不自由そうに飛ぶのかが不思議だった。


「もー……でも、いいかな。お祖父ちゃん以外と天体観測する事って、なかなかなかったし」


 咲心凪は天体望遠鏡を片づけながら呟いた。


「……ねえみんな、明日うちにこない? 御馳走するよ」


 そして、思い切ったように尋ねる。


「いいんじゃないかなー。カレー大量に食べたから、少し運動しながら帰る感じで」


 由意がのんびり答える。会話に混ざる方法が、桜にはまだ分からない。


「咲心凪ちゃん、御馳走って、何を?」


 それでも、勇気を出してみる。


「焼肉!」


「今日散々お肉食べたのにまだ食べるの!?」


 咲心凪の言葉に、由意が悲鳴を上げた。


「アイスとかもある!」


「寧ろそっちをメインにして欲しいよ……」


 咲心凪の家が焼き肉屋な説が濃厚になってきたなと桜は思う。


「ま、焼肉は焼肉で楽しむのもありじゃない?」


「玄佳ちゃん、太るの怖くないの?」


「動けばいいじゃん」


 天体望遠鏡を解体して片方を桜に渡す咲心凪の横で、玄佳と由意がそんなやり取りをした。


「IBMを見れるのはいつかな……」


 ぽつりと零れた咲心凪の本心は、やはり未来を見ていた。


「見れるって、思う」


 桜が小さく呟くと、咲心凪はくしゃっと笑った。


「その時は、四人一緒だよ」


「……うん!」


 それから、桜達は片づけをして、部屋に戻って就寝した。




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