3-5
恐ろしい希望が玄佳の中に存在している。それはずっと昔から玄佳の中に存在し続けていたものだと、楽要と話して分かった。
どうすればそれを取り除けるのか分からなくて、桜は大きく丸くなって眠りに落ちた。
夢の中で、不思議と桃色の鳥に抱かれる暖かい心地がした。
朝起きてぼんやりと、どうしてそんな夢を見たのか考えて、現実逃避だなと顔を洗った。
学校にいくと、玄佳の姿は見えなかった。
僕の所為だ――桜はそんな事を考えた。
玄佳が昨日別れてから体調を崩したとは考えにくい。ならば、玄佳と話をして、不意に居合わせた楽要と上手く話しできなかった自分が悪いのだと、桜は頭を抱えた。
給食の一つ前の休み時間、
咲心凪が一言「いこう」と言って、桜達は部室に移動した。
窓側に
「桜ちゃん……玄佳ちゃんがどうしてるか、分からない?」
由意が尋ねてくる。
「……分からない。昨日、玄佳ちゃんと一緒に喫茶店にいって、文芸部の友達が居合わせて、その人が玄佳ちゃんと同じ小学校で、会った瞬間、玄佳ちゃんが何も言わずに、物凄い勢いで出ていって……それだけ」
きっと、玄佳を傷つけてしまったんだろうと思う。桜は二人のどちらの目も見れない。伏し目がちに話すだけだ。
「こっちも合宿の計画はまとまらなかったけど……小学校の頃の玄佳ちゃんの友達って、何かあった感じなの?」
由意は穏やかに見える目に鋭い光を宿している。
「その友達が何かしたっていうわけじゃないんだけど……玄佳ちゃんが小学校の頃にどんな感じだったかはよく知ってて、どうして玄佳ちゃんが出ていったのかは分からないけど……ごめん」
楽要が言っていた事を考えると、桜は謝るしかない。
「その頃の事は、あんまり人に言うべきじゃないし、話してくれた友達も秘密でって言ってたから、話せない。僕と玄佳ちゃんが二人で話した事も、まだ話すべきじゃないと思う……」
咲心凪と由意は神妙な顔をして聞いていた。
申し訳ない気持ちが、桜を満たした。
本当に、ごめんなさい。
玄佳ちゃんは小学校の頃の事を知ってる人がいないから
どうして。
いつも世界についていけない人間未満の僕に、由意ちゃんは微笑んでいて、咲心凪ちゃんは僕なんかを撫でてくれるの?
「桜ちゃんは頑張ってるよ」
咲心凪から出た言葉に、桜は顔を上げた。視界はぽろぽろと歪み、自分の無力がひしひしと伝わってくる。咲心凪の暖かい手は、桜に元気を注入しているかのようだった。
「玄佳ちゃんの事、一人でどうにかしようとしてる。何か必要ならいつでも言って。必ず助けるから」
咲心凪は、明るく言った。
「でも、僕が玄佳ちゃんにできる事なんてない……」
桜は眼鏡を取って、零れる涙を拭いた。
「あると思うよ、今の桜ちゃんになら」
咲心凪を挟んで、由意がハンカチを差し出してくる。桜は震える手で受け取る。
「前の桜ちゃんなら、さっきみたいに強く自分の意見は言えなかった。でも、今の桜ちゃんはしっかり自分でどうすべきっていう事が見えてる。なら、きっと玄佳ちゃんの気持ちと向き合える」
慰めよりももっと暖かい気持ちが、由意の口から零れた。
「僕は――できるのかな」
もしも。
もしも玄佳ちゃんの本当の心を聞けるなら、聞いて、その悲しみを今度こそなくしてあげたい。けれど僕にそんな事ができるとは思えなくて、ただ無力だけがたなごころにあってそれを握り締めた所でどうにもできない気持ちだけ湧いてきて僕は……。
心の声はどんどん小さくなっていく。どうして僕は何かしたいのにいつも動けないの? 今は玄佳ちゃんの事が気になるのに小さな心の声が聞き取れなくて、どうすべきなんて分からない。理性で考えられる程僕は器用じゃない。
「できるって信じなきゃ、何もできなくなっていくよ」
由意が、諭すように言った。
「できるって、信じる……」
桜は、鸚鵡返しに言葉を吐いた。
「桜ちゃん」
咲心凪が、桜の眦にある一滴を指で拭う。
「できるかどうかなんて誰にでもある不安だよ。それでも信じるしかないんだからさ」
咲心凪は童顔ににこやかな表情を浮かべている。
「簡単にできる事は『未来の予定に失敗を書き込まない』これは私の行動方針でもあるけどね」
前向きな言葉は、桜にも響いた。
できると信じる。未来の予定に失敗を書き込まない。
簡単にできる事のようで、桜には随分難しく感じた。
それでも、眼鏡を取る桜の気持ちは、固まっていた。
「由意ちゃん、咲心凪ちゃん、合宿の事、任せちゃっていいかな」
桜の言葉に、二人は少し面食らった顔をした。
「今日、玄佳ちゃんの家にいってみる。少しでも玄佳ちゃんの本心が聞けたらいいけど……とにかく、今のままじゃ何も解決しないと思うから……」
大きく切なくなるから、大切なんだろうな。桜はそんな事を考えた。
「うん、任せて。咲心凪ちゃんに任せてると酷い計画になりそうだし」
「酷い計画って何!? 由意ちゃんの希望叶えようとすると学校の設備じゃ足りなくなるんだけど!?」
どうやら、二人は二人で前途多難な様子だった。
「話、まとまったみたいね」
不意に、毎日聞いている、しかしこの場では一度も聞いた事のない声が室内に入ってきた。
「西脇先生!」
咲心凪の言う通り、顧問の西脇だった。
「部室開けろって、ホームルーム終わった後で言うから
西脇は部室に入り、入って左側にある長椅子に腰かけた。桜達は彼女を見る。
「どの道今日は帰りに授業参観周りのプリント配るから、
「は、はい!」
「場所分かる?」
「玄佳ちゃんの友達から聞きました……」
西脇は視線を落として「そう」と呟いた。
「月守さんの細かい事は、私も聞いてるわ。ただ――」
どこか遠くを見るような目で、西脇は桜を見た。
「月守さんはきっと大人には心を開かないってタイプね。町田さんくらい親しい同い年なら、別だけど」
どこか虚しいその顔にも、桜達への思いやりが溢れていた。
「先生……」
「頼りない大人でごめんなさいね。
「あれ、先生忙しいんじゃ……」
「あなた達二人じゃ今週中に計画纏まらないでしょ」
咲心凪がギクッとした顔をした。
「町田さん」
不意に、いつもは見せない『大人』の顔になって、西脇は桜の方を見た。
「は、はい」
何か、とても大事な言葉が出てくる。桜は身構えた。
「この世に一つとして同じ悲しみはない。人が人に同情しても、できる事は結局、お互いに寄り添う事だけよ」
けれど、西脇は続ける。
「たったそれだけで救える心がある事も、また事実」
西脇の言葉も、由意と咲心凪と同じくらい大切な事だと、桜は記憶の中に刻み込んだ。
「ありがとうございます」
いつになくはっきりと、桜はお礼を言った。
その後、四人は部室を出た。
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