3-4

 楽要かなめ多門寺たもんじ寒原かんばらと一緒にきていたらしいが、はると話す事になった途端に二人を追い払った。桜はいたたまれない気持ちのまま、楽要が席に着くのを待った。


 何を聞けばいいのか……桜は、自分が今、知りたい事が多過ぎて、その全部を楽要に聞く事は不可能だと判断した。ただ、楽要から聞けるだけ聞かなければならないとも思う。


 楽要は店員にことわって、自分で注文していた紅茶とケーキを桜がいる席にもってきた。


「いやー……お邪魔しちゃいましたね」


 大分気まずそうな顔で、楽要は口火を切った。


「……宝泉ほうせんさん、玄佳しずかちゃんと何かあったの……?」


 気になる事はそこだった。小学校の頃に何度か同じクラスだったと聞いたが、玄佳は明らかに楽要を避けていた。


「お互いの間では何かあったって言う程の仲でもないんですよ。顔を合わせたら挨拶する。話題があれば話す。でも親しい人間五人挙げろって言われて出てこない程度の仲……なんですけど」


 楽要は頬杖を突いて、窓の外を見た。


月守つきもりさんと一緒にお茶するような友達なんて、小学校の頃はいなかったんじゃないかって思います」


 桜は二人の関係がどんな物なのか、大いに気になった。仲が悪いわけではないが、楽要自身認めるように、特別親しくもない。そして、楽要の言葉をそのまま受け取れば、玄佳と他の級友の距離感はそれが標準であって、桜程近しい相手がいなかった……そこに何か違和感を感じる。


「小学校の頃の玄佳ちゃんって、どんな感じだったの……?」


 桜は酷く自信がない。玄佳に無断で彼女の過去を調べて、玄佳が過去に襲われないか心配でならない。ミルクココアは冷めていて、唇に触れるその唇が春だと言うのに凍えそうになる。


「これ……ご内密にお願いしますよ?」


 楽要は禁忌をこっそり話すように、声を小さくして、テーブルに身を乗り出して桜に囁いてきた。


「う、うん……」


 どんな事でも、それで玄佳を知れるのなら、聞きたい。けれどやましい事をしている気持ちになるから、聞きたくない。


 心は後者の声を無視して楽要の方に肉体を放り投げた。


「一言で言えば『近寄らない方がいい人』です」


 楽要からそんな言葉が出てくるのは意外で、そして玄佳がどうしてそんな風に呼ばれていたかが気になって、桜は眼鏡の奥の目を見開いた。


「私も全部居合わせたわけじゃないんですけど、同じ学年だとそれはもう有名で……」


 楽要は桜にだけ聞き取れる声で話し始めた。


 小学校二年の時、一緒のクラスだったんですよ。そこで初めて知り合いました。


 そんなに家も離れてないんですけど、帰ったらお母さんの所に電話がきて、月守さんが家に帰っていないので見なかったかって聞かれました。


 分かれ道で別れたって答えたのを覚えてます。結局、公園にいたとかで、次の日の朝月守さんの無事を知りました。夜中まで見つからなかったそうです。


 三年生の時の遠足の事はよく覚えています。


 山にいって、いつの間にか月守さんがいなくなりました。


 それはもう物凄い騒ぎで。警察まできましたからねあの時。結局、目立たない所で発見されてます。


 楽要はそこで話を区切り、紅茶を一口飲んだ。


 ずっと。


 玄佳ちゃんは透明な場所を探していたのかも知れない。ずっとそこにいきたがっていたのかも知れない。そしてそれを誰にも言わずに、ただ自分の思うように行動していた結果が、宝泉さんの話に繋がってるんじゃないのか。


 だとしたら、今の玄佳ちゃんは?


 確かめる前に、確かめる事。


「あの……宝泉さん」


「なんですか?」


「一つ……聞いてもいい?」


「答えられる事なら答えますよ」


 楽要が味方でいてくれる事は、桜にとって心強かった。


「玄佳ちゃんのお父さんって、会った事か、見た事ある……?」


 桜の言葉に、楽要は不思議そうな顔をした。


「クラス一緒になる度に、ほら、鳳天でも今度ありますけど、授業参観あるじゃないですか。毎回きてましたよ、夫婦おそろいで」


 それは玄佳の家族にとっては仲睦まじい出来事なのかも知れない。


 けれど、玄佳ちゃん本人にとっては、きっと耐えがたい苦痛だったんだと思う。


「それ、玄佳ちゃんは……どう思ってたか、分かる……?」


「分からないですねー。月守さんって家族の話題振られると決まって塩対応するんで。それこそ二年生か三年生の授業参観で読んだ作文で『本当のお父さんじゃない』とは言ってましたし、それは本人も特に隠してはないんですけど、どう思ってるかになると途端に分からなくなります」


 楽要に聞いて全て分かるようならば苦労はないのだろう。


「でも……本当に月守さんが『関わらない方がいい』って扱いになったのは、小五の時の事件ですね」


「事件……」


 二年、三年と玄佳は事件を起こしている。


「耳貸してください」


 楽要はまた、テーブルに身を乗り出す。桜はそっと左耳を寄せる。



 桜は、全身が総毛立つのを感じた。心臓に剃刀を当てられるような恐ろしい感覚と共に、冷気が体を支配して、どうしても平静でいられなくなる。足が地面から浮いているかのように落ち着かず、冷気を感じているのに汗が滲み出る。


「それって……」


 顔と顔が離れて、ようやく出た言葉は、形を上手く取れないでいた。


「本当にいきなりだったんですけど……」


 楽要は何か嫌な物を思い出したかのように、眉根を寄せている。


「昼休み、私はクラスの友達と話してたんですよ。丁度、教室の窓が視界に入ってたから、入り口側の席だったと思います。月守さんが窓の外を見てたんです。何せ知ってる範囲で二度も行方不明になってる人ですから、ちょっと気をつけてました」


 確かに、小学校の頃の玄佳は下手に目を離せない子どもだっただろう。教室にいて、窓の外を見る。それだけで嫌な予感が湧く。


「そしたら、急に窓を開けて、身軽にそこから飛んで……校舎の前に植えられてた木に落ちて、幸い大きな怪我はなく済んだんですけど、それでも一週間くらい入院してました」


 人が飛び降りる瞬間を見た楽要と、それを思い返す楽要の心境を考えるだけで、桜には申し訳なかった。


「私も大声上げた記憶がありますけどね。後で聞いたら事故じゃなくて、自分から飛んだ……学校では事故として扱っていたみたいです」


「ま、待って!」


 一つ、気になる事がある。


「なんでしょう」


「それ……玄佳ちゃんのお母さんお父さんは、学校に何も言わなかったの……?」


「それですよ」


 楽要はピン、と桜を指さした。


「月守さんのご両親、担任の先生も学校の誰かも責めなかったみたいなんですよ。私も真っ先に気づいたって事で、直接謝られました。なんていうか……」


 言葉を探すように、楽要はティーカップを持って視線を彷徨わせた。


 桜は、窓の外に玄佳がいるような気がした。窓の外を見ても自分の顔が映るだけで、玄佳の美麗な顔容を見つける事はできない。


「月守さんはしたい事をその時々でしていて、それが事件になるんですけど、ご両親はその始末をつけるだけで、特に月守さんを怒るわけでもなく……何か歪なんです」


 歪――それは、桜も感じていた事だ。


「……宝泉さん、月守さんのお家知らない?」


「知ってますけど、今からいくのはダメですよ? もう遅いですし、月守さんって本当に危なっかしいので……」


 楽要が念押しする程というのは、余計に気になる。


 だが、実際問題そろそろ帰らなくてはならない。


 桜は楽要にお礼を言って、駅まで一緒に歩いた。




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