3-3
天文部部室でのやり取りの後、
玄佳がまだ学校にいるのかも分からない。ただ、言葉をそのまま受け止めるならば、玄佳は写真部の活動をしている筈だ。校舎の中にいるかも知れない。闇雲に探すよりは、待っていた方がいいと思えた。
校庭で活動する運動部が片づけを始めて、文化部の生徒は帰り出す頃、桜は一つの影を見た。
絹を染め上げたような黒髪に、首から提げたカメラと、桜より高い身長に影の差す美貌は、玄佳だった。
どうして玄佳が悲しそうな顔をしているのか、知らなければいけないと思う。
「玄佳ちゃん……」
「待っててくれたの?」
桜がどう話を切り出そうか考えるより早く、玄佳は尋ねてきた。
「うん……合宿の話、食事はどうするのかとか、天気が崩れた時の事とか考えてたらまとまらなくて、それぞれ宿題になって、僕一人で考えてもよく分からなくなりそうで……」
桜の言葉は上手く像を結ばない。それは、ほとんど
「そっか。空模様なんてその時々で変わるんだから、もっと気軽に学校泊まっていいと思うけど。いこっか」
「うん……」
玄佳と一緒に、桜は歩き出した。
いつもと変わらず、玄佳は口数少なく桜と一緒に歩いた。その顔容の中にどんな感情が渦を巻いているのか考えると、桜は怖くなる。
「ノープランで合宿始めるのも面白そう」
玄佳は、目を細めて唇の端を少しだけ上げた。本当に、面白いことを思いついたという具合で、愉快そうですらある。油断すると頷いてしまいそうになるのは、彼女の美貌が持つ支配力の所為なのだろうと桜は思う。
「……玄佳ちゃん」
「ん?」
桜が思い切って声をかけると、玄佳は桜に視線を合わせた。
「昨日の事、もう少し詳しく聞いてもいい? 家から逃げてきたっていう、理由……」
桜の言葉は段々縮んでいく。
出来損ないが一端に人間面するな。老醜が桜に侮蔑を投げる。
「桜はさ」
玄佳はいつになく、厳しさを瞳に浮かべて桜を見た。
「な、何……?」
桜は恐怖が胸の中に膨らんで、玄佳の口から恐ろしい言葉が放たれて、それが一〇八の悪鬼となって自分を包むような予感を覚えた。
「……いや、なんでもない」
けれど予感はなんでもなく裏切られて、肩透かしの気分だった。玄佳は桜から視線を逸らし、一ヶ所の喫茶店を見ている。
「ねえ、あそこで話さない? 立ち話してると、倒れそうになるからさ」
倒れそうになるような話をしてくれるなら、幾らでもつきあえる。桜は小さく頷いて、玄佳の後から喫茶店に入った。狭そうな外装の割に広く、二人は奥まった席に向かい合って座った。桜は奥の席、玄佳は入り口に近い席だ。玄佳はアイスティーを、桜はミルクココアを頼んだ。
「正直、家の事、話すのもそんなに好きじゃないんだけどさ」
玄佳は前置きして、話し始めた。
一昨日、今のお父さんとお母さんが一緒に出掛けようって話をしてた。
話してなかったね。
お父さんが死んだ後、お母さんは再婚して、今のお父さんと一緒になった。
今のお父さんは私に遠慮してる所がある。私もそんなに仲いいと思ってない。
三人で歩く事は小学校の頃から何度もあった。その度に私はつらくて、息苦しい気持ちを感じてた。
別に、今のお父さんが私に対して冷たいとか、嫌な事をしてくるとか、そういう事はないよ。寧ろ、甘やかされてるとか、過保護とか、そこまで思うくらい大事にされてる。
だけどなのか、だからなのか、私は今のお父さんと仲よくなるのを拒否してる。家族三人で出かけるなんて、嫌。
玄佳はそこでアイスティーのグラスに視線を落とし。
「だから『明日は友達と約束があるから』って言って、その後桜に連絡してね……」
いつもはきはき話す玄佳にしては珍しく、歯切れ悪く話を結んだ。
「そうだったんだ……」
「あ、誤解しないで欲しいんだけど、別に今のお父さんは悪い人じゃないよ。寧ろいい人過ぎると思う」
玄佳はいつものポーカーフェイスで、念押ししてきた。
嘘ではないのだろうという気持ちが桜の中にある。ただ、玄佳の気持ちの問題なのではないかという気持ちもある。
「うん。玄佳ちゃんの、今のお父さんが悪い人じゃないっていうのは、玄佳ちゃんを見てれば分かる」
寧ろ、玄佳は亡くなった実父をどう思っているのか、それが気になった。
「まあ心配性なのはお母さんと一緒だけどね。鳳天入ったのも『女子校の方が安心できる』って言われたからだし」
「玄佳ちゃん……鳳天入った動機って……」
「それだけだよ。志願動機なんて、大人が満足しそうな文章書いておけばいいから、適当に書いた。まあ、小学校の頃の友達いない環境の方がいいかなって気持ちもあったけど。寮は無理だった」
鳳天には、遠方から受験する生徒の為の寮が存在する。
「それで入れるの、凄いよ……」
「勉強するのはそんなに苦じゃなかった。ただ、公立の共学校にいくと鬱陶しい事言う人いそうだし」
桜も、気持ちは少し分かる気がした。
「僕も、小学校の頃の事知ってる人が絶対いないから、鳳天を選んだ……」
理由はきっと違うのだろうが、似ている所はあった。
「窮屈だよね、過去から襲われるのって」
過去から襲われる、桜は何かが頭の中で動くのを感じた。だが、今はそれどころではない。
玄佳の事をもっと深く知らなければならないから。
「うん。玄佳ちゃんは――」
「
桜が玄佳に声をかけようとした瞬間、桜の事を呼ぶ声が聞こえた。
そちらを見ると、ボブカットにした髪型に優しい顔立ちの人物――文芸部の同輩、
「宝泉さん?」
桜の言葉に、何故だか玄佳は驚いたように目を見開いた。
「奇遇ですねー! 丁度先輩方と一緒にきてたんですよ! 町田さんは……」
楽要は桜の所にきて、桜の向かいにいる玄佳を見て、言葉を止めた。
「……
楽要が何を言っているのか、桜は咄嗟に分からなかった。
そこからの玄佳の行動は電光石火だった。
すぐさま伝票を取り、鞄を持って席を立ち去り、桜が声をかけるよりも早く会計を済ませて、逃げるように喫茶店を出ていった。
「えっ、と……ひょっとして私、物凄くきちゃいけないタイミングできてました……?」
楽要は気まずそうな顔で桜に尋ねてきた。
「ほ、宝泉さん、玄佳ちゃんの事、知ってるの……?」
桜は楽要が玄佳と知り合いらしい事の方が気になった。楽要も気まずいだろうが、それより駆け去った玄佳が気がかりだ。
「いえまあ、小学校で何度か同じクラスになったって程度なんですけどね……町田さんと月守さんは?」
玄佳は小学校の頃を知る者がいないのがありがたいという主旨の事を言っていたが、楽要を見て何も言わずに去っていったという事は、知らなかったのだろう、同窓生が同級生にいるとは。
「クラスメイトで、天文部が一緒……」
「オウ……あの感じ……いや私がいたらそりゃいづらいか……」
楽要は肩を落とした。二人の間に何かあったのか、それとも小学校の頃の玄佳に何かあったのか、判然としないが、なんにせよ楽要は何か知っている。
「宝泉さん……話、聞いていい……?」
「構いませんよ。お手洗い済ませてきますね」
楽要は奥の方にあるお手洗いに入っていった。
桜はどうすればいいのか分からず、玄佳が残していったアイスティーを飲み切った。
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