3-2
放課後、
議題は無論、合宿の事ではない。
「玄佳ちゃん……どうしたんだろう」
部室に入って、それぞれホワイトボード前の席に着くと、咲心凪がぽつり呟いた。
咲心凪の顔は暗く、何か不吉な話をされた人間のそれであるように桜には思えた。きっと自分も同じような顔をしていると思う。由意はもっと思案気で、何かを知っているような顔をしていた。
「……ねえ咲心凪ちゃん」
由意が口を開く。
「学校で天体観測するなら、観測場所は屋上だよね?」
その話は、妙に現実的だった。
「え? そうだけど……」
「今は、危ないんじゃないかな」
由意は控え目に、咲心凪の顔を見た。
危ない? 由意ちゃんは何を言っているんだろう。咲心凪ちゃんも戸惑ってる。危ないって、先輩達はそこで活動してたんだから、気をつけていればいいんじゃないの?
それとも――眩暈。
「由意ちゃん……玄佳ちゃんが何か考えてるの、分かるの……?」
声が震えているって、自分で分かる。玄佳ちゃんが何か怖い事を考えていて、由意ちゃんだけがそれに気づいてる。咲心凪ちゃんは多分、まだ分かっていない。僕は……気づいていたんじゃないの? 見ないふりをしてただけなんじゃないの?
お前は――やめて。
「私が思ってる事がそのまま起きるとは思わないけど……玄佳ちゃんは少し危ない感じがする」
「待って二人共。なんの話?」
咲心凪はやはり分かっていないらしい。
「一から話すね」
由意は、両手を机の上に置いて話し始めた。
『透明な場所』っていうのが絵本にあるって、知ってた。生き抜いた人がいく『どこにでもあってどこにもない場所』……玄佳ちゃんはそれを見つけたいって言ってたでしょ?
ほら、IBMを理由に天文部を復活させようとした時に。
あの時から違和感は感じてた。危ないなって。
部室に入った時、妙に不安だった。玄佳ちゃんが窓を見て、わくわくしてる顔で外を見るから。
玄佳ちゃんに窓を任せるべきじゃないなって思ったから、窓の掃除を担当した。
もっと危ないと思うのは、土曜に駅で電車もないのに写真を撮ってた事。
人も電車も撮らずに、玄佳ちゃんは駅の線路とホームの境目辺りを見てたように見えた。
由意は、そこで桜を見た。
「桜ちゃんは、玄佳ちゃんの写真を見てたよね」
ドキン、桜の心臓が弾む。
やっぱり、由意ちゃんはしっかり観察してたんだ。
「うん……駅のホームの下にある、人が落ちた時に避難するスペース……線路と一緒に、そこが写ってた……」
あの時から? もっと前から? 玄佳ちゃんが怖い事を考え始めたのは。
「何気なく撮ったんだとは思う。桜ちゃん……玄佳ちゃんがあれだけ桜ちゃんと話すって、桜ちゃんも『透明な場所』を読んでるよね?」
由意の言葉は桜に向いた。
「うん……透明な場所は――」
頓馬! 桜は自分に向けられる罵声を聞いた。
気づく要素なんて、幾つもあったんだから。
「死者の魂がいく場所。そこにいきたいって考えるなら、それは――」
三人の中で一番入り口側に座っていた由意は、そこで言葉を止めた。
あまりにも恐ろしい言葉を出さないように、気を使った結果なのかと桜は思う。咲心凪も今の話で察した顔になっている。
透明な場所を探しにいくと言っていた玄佳の言葉の意味を考えると、それは一つの強い、口にするのが憚られる願望に収斂する。
桜にかける言葉の端々にあった違和感も、今ではそのヴェールを剥がされた。
何故だかいつも、玄佳は近い内に会えなくなり、その先で桜の幸せを祈念するような言葉を投げていた。
それは恐らく。
「昨日会った時、玄佳ちゃんは『透明な場所にいくのが楽しみ』って言ってた……」
自分が透明な場所へいく事を切に望んでいるからだろう。
「待ってよ、じゃあ玄佳ちゃんはずっと……」
咲心凪が、言葉を詰まらせる。
「IBMの作者が玄佳ちゃんのお父さんだって聞いたから、それでかな。桜ちゃんは何か知らない? 玄佳ちゃんがお父さんの事をどう思ってるのかとか、今の玄佳ちゃんのお家の事とか」
由意は、あくまで目の前に存在する問題を片づける方針でいるらしかった。
「……玄佳ちゃんの家の事は、よく分からない。でも、家にいるのが嫌で、昨日、僕を呼び出したんだと思う。それに、玄佳ちゃんはお父さんが亡くなった事を凄く引きずってるみたい……」
どうして、こんなに大事な事に今まで気づかなかったんだろう。
玄佳ちゃんはずっと、亡くなったお父さんの所に自分もいきたいって願ってた。
それは、ほんの簡単な切っ掛けで叶う事で、屋上で天体観測をするっていう事は、透明な場所への近道へ玄佳ちゃんを連れていくっていう事なんだと思う。
だから、由意ちゃんは天体観測に注意を促した。それに、玄佳ちゃんの行動にはずっと気をつけてた。
僕はただ、気づかないふりをしてただけの頓馬だ。
「この感じだと、玄佳ちゃんの今の環境に何かあるなあ……」
どこか他人事のように、由意は両手を脚の上に置いて息を吐く。
「どうしよう……天文部の活動、このまま進めるの危な過ぎるよね?」
咲心凪は玄佳が今のまま天体観測に参加する危険性を充分に理解したらしく、顔が青くなっている。もしも敢行すれば、玄佳がそこで、という事もある。二の足を踏んで当然の事だ。
「可能性の話だけどね。怪しいのは玄佳ちゃんが連休中、家にいるのが嫌みたいな事を言ってたっていう所。何かあると思うんだけど、軽々しく触れない事だしなー」
由意は何かもどかしい気持ちを誤魔化すように、巻き毛を指先でくるくると集め出した。
「……僕、玄佳ちゃんに聞いてみる。玄佳ちゃんがどうして透明な場所へいきたいのか、今の玄佳ちゃんはどうしていたいのか……」
桜は、勇気を振り絞って二人に言った。その二人のどちらも目も上手く見れない。それでも自分がやるしかないと誰かが告げている。それは自分自身の心の影であるに違いなかった。
「桜ちゃん……私達も何かできれば――」
「玄佳ちゃんに対してなら、やめた方がいいよ、咲心凪ちゃん」
先走る咲心凪を、由意が止める。
「どうして!? 一大事でしょ!?」
堰を切ったように、咲心凪は桜を挟んだ先にいる由意に身を乗り出す。桜は小さくなってしまった。
「咲心凪ちゃん、『透明な場所』で全然ピンときてなかったでしょ」
「う……」
「その相手に何を言われても、玄佳ちゃんの本心は聞けないよ」
「でも……!」
「何かしたいのは分かるけれど、したい事とできる事は別なんだよ」
普段とても仲がいい由意と咲心凪が険悪な空気になっていて、桜は挟まれて胃が痛くなる思いをした。
「じゃあ、私と由意ちゃんには何ができるって言うの!!」
咲心凪が叫んだ。
「桜ちゃんが玄佳ちゃんに近づく間、合宿の計画を練る事。そしてそれを玄佳ちゃんに怪しませない事」
由意は冷静に、現在できる事を考えている。
「玄佳ちゃんも現実は見えてる。合宿の計画が全然進行してませんは通らない。かと言って桜ちゃんが玄佳ちゃんを探ってる事を悟れば私達のこの会話にも辿り着く」
整然と並べられる玄佳への解像度が高い意見に、咲心凪も冷静さを取り戻したようだった。
「だから、役割を分担する。他にできる事なんてないよ」
「……分かった」
強く言われて、咲心凪は頷いた。
玄佳の事を探る――桜は、玄佳の心を探す事に決めた。
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