3-1
不意に玄佳がいなくなるような、そんな気持ちが桜の中には存在していて、落ち着かなかった。いつもよりも足取りが遅いのは、正体不明の不安の為だろう。
桜が鞄を背負って教室の中に入ると、玄佳はきていた。桜が挨拶すると、玄佳はいつも通りに返してきた。そのいつも通りが、何かいつもと違う気がした。
さりげなくというには露骨に、桜は玄佳を観察していた。いつもと違う所はないように思えて、日曜のあれはなんだったのだろうと疑問は深まった。
昼休みに、桜達は天文部の部室にいって、天体観測の計画を練る事になった。部室は
桜はノートと筆記用具を持って、先をいく
部室に入ると、咲心凪から順にホワイトボードがある壁際の机に座った。窓に近い順に咲心凪、由意、玄佳、桜だ。
「じゃあ会議始めるよ」
咲心凪は一冊のノートを取り出し、三人に見せた。
「できたんだね、今年度の活動記録」
由意が言う通り、天文部活動記録の文字がそこにはあった。
「そう! プラネタリウムいった時の事も書いといた!」
いつの間にか、咲心凪は記録をつけていたらしい。中を見せてくる。詳細が分かるように、しかし見やすく土曜日の事が書いてある。
「それより、天体観測でしょ。連休にできないかって言ってたよね、咲心凪は」
玄佳が話を進める。その様子は、いつも冷静でポーカーフェイスな彼女と変わらないように見えた。
なのにどうして、玄佳は破裂寸前の風船のように見えるのか。桜はそれが不思議でならなかった。
「まあどうせやるならゆっくり時間が取れる連休がいいかなって思って。西脇先生には今週中に計画まとめて提出するようにって言われてる」
一年で部長をやっているだけあって、咲心凪はかなりしっかりしていた。西脇とも話は通してあるらしい。
「みんな、予定は大丈夫なの?」
活動方針の大きな所を決めるのは咲心凪だが、細かい所に目がいくのは由意だ。
「私は勿論大丈夫!」
「言い出した本人が駄目ならびっくりだよ。桜ちゃんは家族で予定とか入ってない?」
由意は咲心凪を軽くいなして、桜に話を振ってくる。
「僕は……今の所、何も予定ない……」
「まあ桜は家で予定がなくても文芸部の活動ありそうだけどね」
「う、うん……」
玄佳の言う事はもっともだった。
今、桜の中には大小三つの発想がある。『球根』『
「玄佳ちゃんは?」
由意は玄佳にも話を回した。
「私は寧ろ学校の予定が入ってくれた方がありがたいかな。合宿ならなおさら」
これだ。
桜は昨日感じた事と同じ違和感を感じた。由意が思案気な顔で玄佳を見ている。同じ違和感を感じているのだろうか。そんな風に思うのは、きっと桜が一人で考える事を恐怖しているからに違いなかった。
玄佳は、家にいる事を避けている節がある。桜自身も家族仲がいいとは思っていないが、玄佳に感じるのはただただ闇だった。
「じゃあ、予定は四人共大丈夫だね」
由意は、どこか寂しそうに言った。
「由意ちゃんは?」
「一日二日くらいなら大丈夫だよ。日程だけ先に決めて貰えれば他の予定はずらせるし」
由意も、あまり自分の事を話す方ではないのではないか。
桜はそんな事を思った。
いつも、由意ちゃんは僕達に合わせてくれる。でも、自分でどうしたいっていう事はあんまり言わない。園芸部もある筈なのに、その事で文句を言ったりもしない。
僕は文芸部の活動があるからって、度々休んでるけれど、由意ちゃんはどうなんだろう。
桜が考えている内に、話は進む。
「合宿で考えようか。メインは天体観測だから集まる時間は午後で、次の日の午前に解散する感じで。昭和の日……はダメって先生に言われたな……」
咲心凪は何か思い出したように言った。
四月二十九日、昭和の日と言えば、授業参観がある。
「あー……先生が忙しい、みたいな事?」
すぐに、由意が察して尋ねる。
「うん。先生方とPTAで色々あるから翌日以降にしなさいって」
そうなると、日程は四月三〇日と、五月一日の振り替え休日になる。
「学校に泊まれる設備あるし、三〇日と一日にまたがる感じでいいんじゃない?」
玄佳が提案した。
「みんな予定大丈夫なら、そこで日程組むよ。ダメな人」
咲心凪の言葉に、誰も手を上げなかった。
「じゃあそこで決定として……」
「ねえ咲心凪」
「何? 玄佳ちゃん」
咲心凪に向く玄佳の顔がどんなのか、桜の位置からでは見えなかった。
ただ、何かを切望するように引き絞った声が無性に切なく聞こえただけだった。
「天体観測するだけじゃダメでしょ。連休中、観測した物をあれこれするのに部室入れない?」
いつから玄佳はこんなに天文部の活動に熱心になった? 桜が知らない内に天文部に熱を上げるようになったのか? それは違う。もしもそうならば、咲心凪はこんな戸惑った、困った顔はしないだろう。由意も、困ったような顔をしている。
「いや……その分先生もいて貰う事になるから、連休中にそこまで集中的に活動するのは無理だと思う……」
いつもとは違って、咲心凪の語気が弱い。
桜は、咲心凪と由意、二人を見ている玄佳の顔がどんなか、気になった。だが、玄佳はじっと二人を見ていて、身じろぎ一つしない。その支配的美が二人に向いている事を考えると、なんだか胸が掻き毟られるような心地がしてくる。
「そう……」
玄佳は、小さく頷いて、前を向いた。
桜がその横顔を覗き込むと、酷く思い詰めた顔をしていた。
「玄佳ちゃん……?」
桜は(どうして心配なのに言葉がこんなにでてこないのかな)玄佳にどう言葉をかければいいのか分からないまま彼女の名前を呼んだ。
「そんな都合よくはいかないよね」
立ち上がり、玄佳は椅子を戻した。
「私、写真部の活動もあるから、合宿の細かい事決まったら教えてね」
それだけ言って、誰が何を言う間もなく、玄佳は出ていってしまった。
「……先週の桜ちゃんと同じって感じではないよね」
咲心凪が閉じられた扉を見て言った。
「……桜ちゃん、何か、玄佳ちゃんの様子がおかしかった事、ない?」
由意は、桜に意見を求めてくる。
玄佳の様子がおかしかった事――土曜から数えて、幾つもある。表面張力でかろうじて零れるのを防いでいるコップ一杯の水に一滴が落ちるその数秒前を見ているような違和感。
「えっと……」
桜は、あった事を話した。
先々週も玄佳ちゃんに誘われて『透明な場所』を探しにいったんだ。
土曜日の夜、玄佳ちゃんが急に会いたいって言い出して、昨日会った。
その時、玄佳ちゃんは家から逃げてきたって言ってた。
何か、家にいるのが嫌な事情があるみたいだったけど、玄佳ちゃんの家の事だから、詳しくは聞けなかった。
桜が話し終えると、三人の間に気まずい沈黙が下りた。
誰も何も言わない中、予鈴が鳴った。
「桜ちゃん、放課後もこれる?」
「う、うん!」
由意の言葉に、桜は強く頷いた。
何かが玄佳の身に起こっているような気配があって、桜は落ち着かないまま午後の授業に向かった。
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