2-6

 放課後、はる咲心凪えみな玄佳しずか由意ゆいと一緒に部室棟を歩いていた。


 朝の約束通り、西脇にしわきはホームルームが終わると咲心凪に部室の鍵を渡した。下校時間厳守、その時間になったら部室にいくと言っていた。


 桜は帰りに凛々子りりこから原稿を返して貰う約束をしている。桜は咲心凪と由意の後ろから、ひっそり玄佳にそれを話した。玄佳は楽しみと呟いた。『はだえ』も読ませる約束だ。


 天文部の部室は、部室棟の最上階である五階に存在した。五階に到達する階段のすぐ脇に部室があり、屋上へすぐに出られるようになっている。


「天文部の部室って、何があるのかな」


 由意が咲心凪の後ろから尋ねる。


「観測用具がある筈。何はなくともそれはなくちゃ困る」


 咲心凪は鍵穴に鍵を入れて、回した。扉が開き、四人は中に入る。


 桜は文芸部の部室のような所を思い浮かべていたのだが、部室の雰囲気は文芸部とはまるで違った。


 縦に長い部室は入って右側に長机が置いてあり、そこに幾つかの椅子――丁度四つだった――があった。机の前にホワイトボードがあり、何か書けるようになっていた。入って左側には長椅子が置いてあり、座れるようになっている。


 部室の奥には地球儀、天球儀、本棚に入った幾つもの天文学・地学関連書籍がある。手前には望遠鏡の類がケースに入って存在した。掃除用具入れもある。


 その一切が、埃を被って静謐の中に存在していて、静かな興奮が桜を満たした。


「……活動その一は、ここの掃除かな……」


 静かに、咲心凪が呟く。


「そうだね……」


 由意は掃除用具入れを開けた。


「えーと、どういう分担にする? 窓も汚れてるし……」


 咲心凪から窓と聞いて、桜はそちらを見た。何かの汚れが窓についていて、それが人の顔のように見えて不気味だった。


 どうするのか――思った時、由意がちらりと玄佳を一瞥して、すぐに視線を逸らした。


「窓は危ないから私やるよ。観測器具が使えるかは咲心凪ちゃんじゃないと分からなくない?」


「じゃあ由意ちゃんお願い。私が観測器具と、あと活動日誌が纏まってる筈だからその確認、玄佳ちゃんと桜ちゃんで拭き掃除と掃き掃除かな……」


「桜、どっちやる?」


 由意がすぐに方針を固め、咲心凪は玄佳と桜に話題を回した。由意が玄佳にくれた一瞥の意味が、桜には分からなかった。


「ぼ、僕はどっちでもいいよ……」


 玄佳の美貌は鋭利に研ぎ澄まされた刃物のようで、黒曜石の瞳は氷面のように桜の顔を不吉に映す。少しは近づけたと思ったが、その美貌は相変わらず地獄めいたときめきをもたらしてくる。


「じゃあ私拭き掃除で。桜は箒お願い」


「う、うん……」


「桜ちゃん、入り口の方からやって。観測器具見るのに場所取るから」


「分かった……」


 桜は文化帚を取り出して、部室の入り口の方をぐいぐいと掃いた。咲心凪は塵取りを持ってゴミを集めるのを手伝っている。玄佳と由意の二人は部室の外に出ていった。


「それにしても……天文部的な物あるかと思ったけど、観測器具程度かな……」


 咲心凪が、ゴミ箱にごみを入れながら言った。


「天文部的な物……?」


 桜は天文部に漠然と『天体観測をする』イメージを持っているが、他の活動になるととんと分からなくなる。


「天文学って地学と切り離せない所があるから、そういう参考になる物もあるかなって」


 咲心凪は塵取りを置いて、部屋の入り口側にある観測道具を取り出した。そこに二人が戻ってくる。


「じゃあ、窓終わったら手伝うね」


「うん」


 由意と玄佳は軽くやり取りをして、それぞれ窓と机を拭き出した。


 窓の汚れはかなり手強いらしく、由意は無言でゴシゴシやっている。玄佳は手際よく、拭き掃除を進めていく。咲心凪は先輩達が使っていた観測器具を見て、使えるのかを小声で確認している。桜はその中を縫うように箒を走らせ、ゴミを一ヶ所に集めていく。


 静けさの中に音がある。窓をキュッキュと吹く音、テーブルの上に濡れた布が這うなだらかな音、箒の毛先が床を撫でる穏やかな音、観測器具が立てる音は無機質だ。


 こういう静かな音にも注意してみると、その音を立てている人の性格が分かる気がする。


 咲心凪ちゃんは念入りな性格だ。何度も何度も器具の調子を確かめている。由意ちゃんはしっかりしている。窓の汚れを落として、その周りまで吹いている。玄佳ちゃんは手際がいい。素早く、けれど丁寧に仕事を終えている。


 僕は……自分の事だけが、分からない。


「できたよー」


 少し経つと、窓の方を終えた由意が部屋の中央に戻ってくる。


「由意、桜の方手伝って。私の方はもう終わる」


「オッケー」


 由意は玄佳の指示に従って、塵取りと箒を取り出して桜が集めたごみを一緒に回収した。その頃には咲心凪も一通り道具の確認は終わっていた。


「器具はよし! 活動日誌!」


 咲心凪は元気に本棚の方に向かった。桜がちらっと見ると、ノートが置かれているスペースがある。


「じゃあ、私雑巾絞ってくるね」


 由意が玄佳から雑巾を受け取って外に出ていく。


「桜」


「ありがとう……」


 掃除用具入れを前に玄佳が手を差し出すので、桜は小さくお礼を言って文化帚を渡した。すぐに、由意が戻ってくる。


「ただいま。活動計画とかどうする?」


 由意は、左手首に巻いた腕時計を見た。


 そこで桜は部室の、ホワイトボードの上にある時計に気づいた。


「あ……」


 見た感じに、アナログのそれは電池が切れて止まっている。


「どうしたの桜ちゃん」


「ここの時計、止まってる……」


「わお……これは先生に頼まないと無理だなー」


 天文部の時間が止まっているような、そんな気持ちが桜の中に湧いてきた。


 これから。


 僕達が天文部の時間を再開させる。それはいつ止まるか分からない懐中時計のような物だ。止まらないように慎重に、針を進めていくしかないんだ。


 なんだかつらくなって、桜は長椅子の窓側に腰かけた。その隣に玄佳が座る。


「時計は置いといて、第一の活動を決めよう!」


 長机の窓際に腰かけた咲心凪が、活動日誌の一冊を示す。


「咲心凪ちゃん一人で何か考えてたよね?」


 その隣に座った由意が尋ねる。


「活動日誌に書いてないかと思ったけどやっぱりあった! 天文部が何をするかのパブリックイメージ天体観測!!」


 咲心凪は活動日誌を開いて三人に見せる。桜からでは読みづらかった。


「先輩方もしてたわけだ。屋上でできるようになってる……待って」


 玄佳は正確に読み取って、咲心凪の手にある日誌の一部に指を置いた。その指は白く、清い水から生まれた魔物のように見えた。一本一本の指が取れて蠢き出しそうな、そんなイメージを抱く不吉さ。


「〝合宿用の設備は倉庫に保管した〟って……」


「そりゃ合宿はあるよ。夜の活動が一番大事なんだから」


「それを確認する作業もあるよねって事だよ、咲心凪ちゃん」


「おう……」


 こことは別に、倉庫がある。桜はそれを記憶した。


「いくしかないかー」


 玄佳が立ち上がるのに合わせて、三人も立ち上がった。


「西脇先生に確認もいるよね」


 由意の言う通りでもあるので、四人は部室に鍵をかけて、職員室に向かった。


 結局その日は部室と倉庫の設備の確認で終わり、桜は帰り際、玄関で待ち伏せていた凛々子から預けていた原稿を受け取り、『膚』を玄佳に渡した。


 本格的な活動に関しては何も決まっていないが、これから決めればいいと咲心凪は強気で、桜にはその強気が羨ましかった。


 羨望は酷く喉を乾かせ、夕日の中で桜は無性に水を欲していた。


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