2-4

 翌日、はるは登校すると完成した『膚』の原稿用紙を持って三年一組を尋ねた。凛々子りりこは預かると言った。班の四人の間では今日から活動できないかと話しているので、今日は部室にいけそうにないとも伝えた。凛々子は責めもしなかった。


 凛々子先輩の作品への感想も書かないといけないかな……口から出てくる言葉は僕には上手く使えないものばかりで、だったら紙の上に吐き出してしまうのがいいんじゃないか。感想文……やる事は感想文だけど、それを凛々子先輩に送るのはきっと許されると思う。


 桜がそんな事を考えながら教室に戻ると、咲心凪えみな由意ゆい玄佳しずかがクラスから出てくる所だった。


「桜ちゃん!! 天文部への入部届ある!?」


 咲心凪が物凄い剣幕でまくしたてる。


「う、うん……鞄の中に……」


「桜ちゃん戻ってきたら西脇にしわき先生に提出にいこうって話してたの。いけそう?」


「うん!」


 由意に説明されて、桜は早足で自分の席にいって、入部届を取り出して三人に合流した。


「これでいよいよ部室の鍵が開く……!」


 咲心凪は余程感極まっているのか、桜の細い腕を抱いている。由意はいつも通りにこやかにしていて、こちらもいつもと変わらず、ポーカーフェイスで玄佳がついてくる。


 いつも通り?


 そうかも知れない。けれど、そこにある微細な表情の変化が、僕には謎めいて見える。神秘に思える。妖気を纏って見える。


[膚に包まれた神秘は、瞼の裏に正体を隠して、そっと見つけられる時を待っている]


 桜は慣れないフリップ入力でスマホにそれだけ書いた。もう『膚』は凛々子に渡しているが、この一文をつけたすかどうか、質問したい。


 瞼の裏から膚の神秘が零れたら、それは涙の形をしているのかな。涙に形はないけれど、形象としてはそうだ。


 とめどない思考が桜の中に湧いてくる。ノートを持ってこなかった事を後悔する。


「桜」


 静かに、玄佳が耳元で囁いて、桜はいつの間にか職員室の前まできていた事を知った。


「ご、ごめん……」


「桜ちゃんしっかりー! 入部届出すだけだから!」


「う、うん……」


 咲心凪が桜に声をかけて、職員室の扉をノックして開ける。咲心凪が先頭をいき、由意、桜、玄佳と続いて、最後の玄佳が扉を閉める。


 桜は用事らしい用事が今までなかったので、職員室に入った事がなかった。幾つも並んでいる机の上には、教師が使う様々な本や書類がある。パソコンも置いてある。その置いてある物の種類は先生によってまちまちで、一定の規律の中で統一された自由がそこにあるように見えて、桜は少し不気味だった。


 咲心凪はきた事があるらしく、すいすいと中を進んで、担任の西脇の席に辿り着いた。


「西脇先生!」


 元気よく、咲心凪は西脇に声をかける。


「お、おはよう……」


 西脇はどこか気まずそうな顔で、四人を迎えた。


「おはようございます!! 天文部の活動要旨とそれを元に入部動機を固めた部員を集めてきました!! 入部届を受け取ってください!!」


 いかにも咲心凪らしく、強気に元気に西脇に声をかける。


「えっと……他の先生に頼むとか考えない?」


「西脇先生どこの部の顧問もしてないんだから丁度いいじゃないですか!!」


 大人に対して、ここまで強気になれる咲心凪が桜には少し羨ましく見えた。


 西脇は、咲心凪から差し出された活動要旨と咲心凪自身の入部届を見て、頭を抱えた。


「……分かったけど、入部動機はしっかり見るからね」


「どうぞ見てください! 由意ちゃん、桜ちゃん、玄佳ちゃん、入部届出して!」


 咲心凪はてきぱきと話を進めていく。由意、桜、玄佳の順に入部届を西脇に渡す。


 西脇は活動要旨を読み、渡された順に入部届を読んだ。


 由意ちゃんに添削して貰ったけど、あの入部動機で大丈夫かな、文芸部に専念しなさいって言われないかな、言われても凛々子先輩は大丈夫って言ってくれたけど……。


「えっと……玉舘たまだてさん、園芸部は?」


「活動に自由があるので二つくらいなら兼部できます」


月守つきもりさんの写真部は?」


「人の被写体を三人に頼めるので御の字だし、天体写真も撮れそうなので先輩から勧められました」


「……町田さん」


 どうにか天文部復活を阻止したいらしく、西脇は次々に質問を出していく。


「文芸部の部長から『色んな事を体験するのも文芸部の活動だから、兼部してきなさい』って言われましたッ」


 桜は、勇気を出して、昨日凛々子から言われた事を話した。少し噛んでしまった。


「……逃げ場なしかー。でもこの『Icy Blue Moon』……御伽噺じゃないの? なんか子どもの頃にそんな絵本あった気がするんだけど」


「その絵本、玄佳ちゃんのお父さんが書いた物です」


「え」


「活動要旨に書いた通り、私のお祖父ちゃんも見ている何かの現象を探す事を独自の活動にする……部員も確保してますし、いいですよね!?」


 思い切り西脇に顔を近づけて、咲心凪は尋ねる。


 これだけ元気に言われたら、それだけで頷いてしまいそうなくらいに強い言葉だった。


「……分かったわ。じゃあ、放課後に部室開けるから、役職四つ決めるのは今日中にやりなさい。そこ届けないと部として再始動できないわ」


 西脇も観念したらしく、事務的な事を伝えてきた。


「ありがとうございます!!」


 咲心凪は大きくお辞儀して、職員室の中に響き渡る声でお礼を言った。桜も倣ってぺこりとお辞儀する。


「部室の場所は……氷見野さん知ってたわね。帰りのホームルーム終わったら鍵渡すから、案内してあげて。それと……」


 じろりと、陰険でいやらしい目つきで、西脇は四人を睥睨した。


「各自、勉強を本分として元の部活にもしっかり取り組む事。これができないならこの話はなしよ」


 どうして自由を貴ぶ学園で、こんなに疲れる事を言われなきゃいけないんだろう……桜は無性に悲しくなった。


 桜達四人はその言葉にそれぞれ返事をして、職員室を出た。


「ありがとうみんな!」


 咲心凪が三人にタッチを求める。玄佳は静かに、由意は楽しそうに、桜はおどおどと応じた。


「役職決めるのどうするの? 部長は咲心凪ちゃんしかいないと思うけど」


「あー……桜ちゃん書記頼める?」


 咲心凪は急に桜に頼んできた。


「う、うん、大丈夫……やる!」


 思わず、桜は大きな声が出た。書記。やる事はよく分かっていないが、どの道何をするのか分からない役職のどれかにはつかなければならない。


「副部長と会計……どうしようか」


 咲心凪は玄佳と由意の間で視線を彷徨わせた。


「会計となると部費の管理あるよね……玄佳ちゃん、どうする?」


「んー……由意の方が得意そうだけど、私が副部長ってのもなんかおかしくない?」


「いやおかしくはないよ。『Icy Blue Moon』……長いから私達の間では『IBM』って呼ぼうか。それの話出したの玄佳ちゃんだし」


「そっか。咲心凪、私副部長、由意会計でいい?」


「決まればなんでもいいよ」


 咲心凪は妙な所で雑だった。


 しかし、四人それぞれに役職が決まった事になる。


「ほ、放課後、何をするの……?」


 桜は気になって尋ねた。西脇が言っていた事に関してはもう終わった。届はスムーズにいくだろうし、放課後はかなり時間が余る。


「第一の活動を決めるのが今日最初にやる事!」


 咲心凪は部長らしく、すぐさま舵を切った。


「じゃ、放課後案内よろしくね、咲心凪ちゃん」


「任せて!」


 頼もしい部長だ――桜は、そんな事を考えた。


 始まりはいつも、わくわくした気持ちになる――桜は、三人と一緒にクラスに戻った。


 いつもより弾んだ足取りで。


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