2-3
昼休みに入部届を取った
入部届に志望動機は書いた。
打たれるかも知れない。
部室をノックする時、桜の脳裏にそんな考えが差し迫った問題として立ち現れた。
先輩と友達と、どちらを優先する事など桜にはできない。
全部選ぶと、僕は決めたんだ。
妄想の中の凛々子は何故だか夢魔よりも弱弱しく思えた。惰弱な思考を捨てて、桜は部室に入った。凛々子は部長席に座って、昨日桜が渡した既存作を読んでいるらしかった。
「こんにちは……」
か細い声で挨拶して、桜は凛々子の対面にかけた。
「昨日の問題は片づいたか?」
凛々子はすぐに話を始めた。思考がはっきりしている。
きっと、凛々子先輩は頭の中が理路整然と整っていて、検索してそこから言葉を随意に取り出す事ができるんだ。どうして僕によくしてくれるのか分からないけれど、僕とはまるで違う世界に本来なら住んでいる人だ。
「えっと……『白日の鵺と魔笛』については、昨日の内に最後までいきました」
「え」
「嘘……」
多門寺と寒原が、驚いたような声を上げた。いや、彼女達は確かに驚いて二人を見ていた。何を驚かれているのか、桜にはよく分からなかった。
「気にするな。もう一つは?」
「もう一つ『
卑屈になるなと怒鳴る声が桜の耳に聞こえた。その声が桜を卑屈にさせる。怖い。凛々子の鋭い、剃刀のような視線が切れ味鋭く桜の目を狙っているように思える。
「別に執筆活動は自由だが……何かあるのか?」
勿論、その疑問が出てくる事も承知していて。
「僕……僕のクラスで、同じ班の人が、天文部を作ろうとしていて、その力になりたくて、兼部になるんですけど、入部したいと思って……」
たどたどしく、桜は話した。
「天文部か。去年先輩方が卒業してから廃部になったが、復活させるのか?」
「はい……その友達は、他に二人集めていて、僕も入れれば四人で、活動要旨もできていて……」
言葉はどんどん弱くなり、息はどんどん細くなり、視線は段々縮んでいく。
「え、町田さんが天文部に……」
「勿体ないでしょ……凛々子さまが初めて認めた逸材……」
凛々子は審議するように扇子で口元を隠しているが、多門寺と寒原は反対のようだった。
「駄目でしょうか……」
きっと、駄目なんだろうな。諦める事は日常になっていて、疑問にも思わない。
「多門寺、寒原、どう思う」
凛々子は桜には直接答えず、二年生二人に尋ねる。
「町田さんは凛々子さまの元で文章を学ぶべきです! せっかく光る物を持っているのに!」
「凛々子さまの後継となるにはそれが不可欠! 文芸部一本に絞るべきです!」
二人は立ち上がって、凛々子に意見を具申する。阿吽の呼吸は、去年一年をこの部室で過ごしたのだなと思わせる。
先輩三人の内、二人が反対しているなら、やっぱり駄目か。
桜が憂鬱に頬を腫らしていると、凛々子がスパン! 勢いよく扇子を閉じた。
「短絡! 偏狭!」
次の瞬間、凛々子は立ち上がり、閉じた扇子で多門寺と寒原を差しながら一喝した。
いつも、凛々子の行動は桜の予想を超える。きっとずっとそうなんだと、憧憬に似た確信が存在する。
「そもそも文芸とは己の体験から生まれる物だろう! 空を見ればその色合いに思いを馳せ、大地に転べばその硬さに沈む熱を思い、己が得たもの全てを作品の中に吐き出して初めて一つの世界が生まれる!」
凛々子に怒鳴られた二人は怯え竦み、椅子に縮こまった。
「先に桜の作品には
凄まじい勢いで叱責されて、二年生の二人は泣き出しそうになっている。
「文芸部の活動とは書く事だけではなく、視野狭窄に陥らぬ為に歩き回り風の匂いを感じ空の気紛れに笑い陽の光に刺され水の冷たさに泣き火の優しさを知り大地の深さを知る事も含まれる! 桜に負けじと書いてはいるが、凡そ自然の何も知らずに紙資源を無駄遣いしているてめえらじゃ一生かけても桜の影すら踏めはしない!」
一しきり怒りが収まったのか、凛々子は座り、扇子を開いた。
「桜」
「は、はい……」
以前も思ったが、自分が文芸部に入った事で二年生の二人には物凄い心労をかけてしまっているだろうと桜は気分が沈んだ。二人の作品を読んだ事がないが、凛々子はいつも強い言葉で二人に対して物凄い罵声を浴びせる。
「天文部でも他の部でも、興味がある所があるなら顔を出して、そこで得た経験を己の物に変えろ。お前にはそれが必要だ」
凛々子は、桜が天文部に入る事を否定しなかった。寧ろ、認めてくれた。
「ただ一つ、私が求める事があるとするならば」
もっとも、そんなに桜が楽になれる言葉をかけてくれる程、凛々子は優しいだけではなくて。
「文芸部の中にいては決してつかめない『音』を手にしろ」
扇子を向けられて言われた事が何を意味するのか、桜にはよく分からなかった。
「音……?」
「音だ。桜の作品は心の声が大きな原動力となっている。今はそれを一つの持ち味に昇華すべき時、しかし外界の音が桜の作品では淡白だ」
改めて説明されると、桜は自分が『音』に対して鈍感である事に気づく。確かに、自分は心の声を聞く事に必死になっていて、色々な音を知ってはいても、それを自覚的に使って作品に落とし込む事はほぼしていない。
音を手にするという言い回しもおかしいが、桜には雑音にしか聞こえないような音であっても、それには何か意味があるのだろうか?
「風の匂い、空の色、太陽の無惨、水の尊さ、火の強さ儚さ、大地の深さ、お前が知っている自然の中に『音』を入れろ」
音――桜は、自分のノートを取り出して、大きく『音』と書いた。
「声とはとどのつまり音の波形」
先生の話を聞くよりもっと真面目に、桜は凛々子の言葉をノートに書き留めた。
「お前は音に無頓着だが、そこに着眼した時、自分の心の声を自在に捉えられるようになっていく」
まだ、文芸部に入って凛々子から習った事は少ない。
けれど、これが凛々子から桜への『レッスンワン』だった。
「それができるなら、どんな部活でもきっと桜自身の血肉となり、力へと変わる。止める理由なんぞないよ」
どこか不敵に、凛々子は笑った。
「ありがとう、ございます」
桜は――自分が穏やかに微笑んでいる事を自覚しなかった。ただ、目の前の凛々子が何故か満足そうだと感じていた。
こうして桜は天文部との兼部が決まった。
その日、凛々子に渡した『白日の鵺と魔笛』は凛々子が預かり、桜は部活時間と家の時間を合わせて『膚』を完成させた。
どんなものでも、自分の物にする。そしてまだ自分の物にできていない『音』をつかむ――桜は、一つ目の目標を得た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます