2-2

 ホームルームが始まる前、由意ゆいは活動要旨を昼までにまとめると言った。はるは書き上げた『白日の鵺と魔笛』を玄佳しずかに渡した。


 一時間目から昼休みまでの間、桜は天文部への入部動機を書いていた。本来、そんなに悩んで書く物ではない。ただ、天文部に関しては兼部だし、朝話した通りならば主題は『Icy Blue Moon』になる。


 その事に興味を持って、観測してみたいと思ったという話を桜はレポート用紙一枚にビッシリ書いた。


 給食の時間を過ぎると、担任の西脇にしわきは職員室へ去っていく。


 それを見た瞬間、桜の前の席の咲心凪えみながガタッと椅子を動かして、桜達三人の方を見た。


「由意ちゃん! 活動要旨できた!?」


 給食の時は静かにしていたが、内心では気になって仕方なかったらしく、咲心凪は弾けたように由意に尋ねた。


「書くの初めてだから上手くいってるかは怪しいけど、一応……桜ちゃんは入部動機書けた?」


「見せて!!」


「うん……」


 由意は咲心凪にレポート用紙を渡し、桜は由意に自分が書いた物を渡す。


「はい、桜」


「あ、うん……」


 いつの間にか読み終えていたらしく、玄佳は桜に原稿用紙の束を返してきた。桜はそれを受け取って、じっと見詰めた。


「桜の中にある、現実と地続きの異世界を見せて貰ってるみたいだった」


 何を言われているのか、桜は咄嗟に分からなかった。


 感想を貰った。


 家族と文芸部以外の誰かから、初めて。


 それは事実だけでとんでもなく嬉しくて、桜は目元を押さえて、必死に涙を堪えた。油断すると、垂れ流しそうになる。


「ありがとう……」


 それしか、言葉は出てこなかった。ただ、とても大切で、得難い経験をしていると分かるから、気持ちが柔らかくなっていく。


「大事な話してる所に無粋な事言って申し訳ないんだけど……」


 由意が、赤ペンを片手に話に入ってくる。


「う、うん……」


 きっと書き過ぎた。どう考えても長すぎると分かる。


「桜ちゃんの入部動機、感情的な所は最低限でいいから、添削するね……文章量の割に情報量が少ないから、要約した方がいいと思う」


「お、お願いします……」


 家庭教師の先生がいたならこんな気持ちになるのかな、でも由意ちゃんは同い年で、どうしてこんなに現実と言う物が見えているんだろう。いつもにこにこしているイメージがあるけれど、しっかり地面に足が地についている。僕はどこか浮ついている。なんだか心の中が錯乱してきた。言葉が溢れ出す。


「桜、待ってる間何か書いたら?」


 玄佳は、すぐに桜の様子を察してくれた。


「う、うん……」


 桜はノートを開いて、そこに言葉を書き出した。


『由意ちゃんは園芸部。植物を育てるっていう事は、僕が小学校の頃に体験したみたいに球根を花壇に植える作業もしているのかな。それとももっと優雅……雅かな。雨、土、混じり合って泥になっても、如雨露を持って花を咲かせようとするその姿を見てみたい。球根は今、地下にある。地上に出れば花として咲く。生まれる事、花になる事、人間で言えば大人になる事だろうか。僕は上手く人間になれている? 芽も出していないんじゃないか? お母さんのお腹の中にいた頃の事なんて覚えてないけれど……』


 桜は多くの言葉を書いて、最後に大きく『球根』と書いた。


「はい、桜ちゃん」


「あ、ありがとう……」


 桜が由意からレポート用紙を受け取って見てみると、入部動機として必要ない部分に取り消し線が引かれて、由意の添削通りに纏めれば短く書けるように整っていた。自分の文章はこんなに余分な物が多いのかと桜は悲しくなる。


「それで、活動要旨はどうなの」


 玄佳はずっと由意が書いたレポート用紙を見ている咲心凪に声をかける。


「まず、天文に関する地学的な知識を勉強して天文に関する理解を深める座学が一つ。もう一つが実際に天体を観測して座学で得た知識を実地的に確かめる事。最後に鳳天天文部独自の活動として、Icy Blue Moonの話を添えて、それに類似する物がないかの研究をするっていうのが由意ちゃんが纏めてくれた物」


 咲心凪は桜と玄佳に分かるように、それを見せてきた。凡そ、咲心凪が言った通りの事が分かりやすく、事務的な言葉で認められている。


 桜は由意の顔を見た。平和そうな顔は穏やかだが、その実、内心を考えるとよく分からない。穏やかなようでいて、現実的な事は全て見えているような、シビアな目線も持っている。その肌に隠された感情が、なんだかとても切ない物に思えた。


 肌とは――桜は、自分が今書いている『はだえ』に必要な事を学んだ気がして、ノートに少しだけ言葉を継ぎ足した。


「この活動要旨とこの四人の入部届があれば……!」


 咲心凪は強気な顔をしている。その顔も、咲心凪の強い感情を包む包み紙に見えて、桜は人間と言う物がどうして肌を纏っているのか知った気がした。


 きっと、肌と言う鎧がなければ、感情はその人の表面を埋め尽くして、誰が誰なのかも分からないようになってしまうんだ。


 一つの結論が出て、桜はそれもメモした。恐らく、作品に落とし込む事はできるだろう。


「……桜ちゃん、一個確認したいんだけど、いい?」


 冷静になっている咲心凪が尋ねてきて、桜は思い切り背筋を伸ばした。


「な、何……?」


「全部選ぶって言ってたけど、文芸部の人とは特に話してないで決めてるよね? そっち話さなくて大丈夫なの?」


 咲心凪も、現実的な所が見えていないわけではない。


「あ……今日、放課後、部室で話してみるつもりだった……」


「ならその後……明日かな。連絡先交換しよ」


「う、うん……」


 咲心凪が携帯を取り出すので、桜もそうする。


「玄佳ちゃんは写真部大丈夫なの?」


 由意の言葉で、桜は玄佳が写真部に入部届を出していた事を思い出した。そちらの活動がどういう物か知らないが、天文部と両立できなければ担任にお小言を頂戴しそうだ。


「んー……こういうのはどう?」


 玄佳は人差し指を立てた。


「天文部に入っても写真部の活動を両立させる為に、三人には被写体になって貰う。ここまですれば西脇先生も参るでしょ」


 なんだか、先生をやっつけてやれというような気概が玄佳から溢れていた。


「私はいいけど……」


「それくらいで入ってくれるなら安いよ!!」


「桜ちゃんはどうかな?」


 鮮やかに咲心凪を無視して、由意は桜に尋ねてくる。


「僕は……写真に撮られるのは大丈夫……見栄え悪いと思うけど……」


 自分の写真で喜んでいる人を、桜は見た事がない。


「撮らせてくれるってだけで、御の字だよ」


 玄佳は、穏やかな顔をしていた。


「うん……」


「じゃあ、本格的に先生に届けるのは明日だね。予備の入部届、一階にあるから、取りにいこうか」


 由意が舵を切る。


「あ……たま……由意ちゃんの園芸部は大丈夫なの……?」


 桜は、自分の部活にはまったく言及していない由意が気になった。


 なんだか、由意の肌は彼女が持っている強さと弱さを頑強に閉じ込めて、その中で氾濫する物を押さえきれずに破裂してしまうように思えた。


「園芸部は部員も多いし、やる事はあるけど時間に余裕はあるから、上手くやりくりすれば兼部はできるよ。天文部の活動で大事なのは夜だけど、その時間に園芸部は何もしないし」


 整然と、由意は兼部可能の理由を話す。


「じゃあ! 明日! お願いね桜ちゃん!!」


「う、うん……」


 なんとしても、文芸部での話を纏めなければならない……桜は、背中にとんでもなく重たい物がかかるのを感じた。


 四人は、入部届を取りに向かった。



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