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 玄佳しずかに誕生日プレゼント(と、本人が本気で思っているかは不明だが)を貰い、凛々子りりこから作品についての助言を貰った日、はるはまっすぐ家に帰って、課題を解いた。


 鳳天ほうてんの授業には今の所ついていけている。


 課題を解くと、玄佳から貰った『宝物の在処』を読む。


 つきのひさしという絵本作家の作風として、幻想的で、けれど人生で大切な事をしっかり教えてくれるような、そんな内容だった。


 瞼を閉じれば、宝物が幾つも見える。


 桜にはまだ、理解し切れない言葉だった。ノートに『瞼』と書く。


 桜は気になってつきのひさしについて調べた。亡くなったのは桜や玄佳が六歳の頃だった。七年前。気になったのは『宝物の在処』が発刊されたのが没後だという事だ。


 もう一つ気になった事がある。


 作品一覧の中に『Icy Blue Moon』という物がある。


 直訳すれば、『氷のように青い月』で、それは咲心凪えみなが言っていた言葉と合致する。桜はその本を持っていない。玄佳は恐らく知っている。


 調べ物が終わると桜は夕飯を食べて、お風呂に入って、原稿用紙の束に向き直った。


『白日の鵺と魔笛』は一度読み返せと凛々子が言う通り、桜自身が書いた『心の声』を元にして結論を求めると、必然だったかのように綺麗に結べた。


 もう一つの作品である『はだえ』については、まだ考える事が多い。


 玄佳に直接聞くのはどうしてもハードルが高い。下世話な事をするんじゃない、怒声が頭の中に反響して眩暈がする。


 少なくとも、自分が何を聞きたいかはしっかり纏めてから聞くべきだ。


 桜はノートを開いた。


月守つきもりさんの顔にはいつも表情がない。たまに表情を変えるとそれは彫刻が生々しく動くような荘厳さを持っている。けれど、もしもその荘厳さが僕の感じている幻影だとしたら? 僕は月守さんに対してとても神秘的で、剥がすのを恐れるような気持ちを持っているけれど、月守さんには月守さんの心がある。その本心を皮膚に包んで隠している。皮膚の奥にあるのは肉、血管、骨、そして……内臓、脳、グロテスクだ。グロテスクな物が僕と月守さんに共通して存在する]


 言葉の奔流は止まらない。


 何を聞きたいのか。どうしても纏まらない。


 凛々子が言った『一歩』が、どうしても踏み出せない。


 書いても書いてもきりがない言葉の奔流を無理矢理止めて、桜は机の上に置いていた『宝物の在処』を取った。本棚の絵本を置いているスペースに入れようとして、気づく。


 もしかすると、この些細な疑問が『一歩』なんじゃないのか。


 桜は時間を見た。遅い時間だ。玄佳に連絡していいか……連絡先は知っていても、メッセージを送るには遅い。


 どうして僕はこんなにとろいんだろう。世の中という僕がいない場所はとても速い速度で流れていくのに、ついていけない僕は地球から浮いているみたいだ。もう少し速く歩けたらいいのに。


 その時に、桜は気づいた。


 部屋を出ている間だろうが、玄佳から〈読んだ?〉ときていた。


 今から返していいのか……だが、明日まで引きずる方が申し訳ない気がした。


〈読んだよ。つきのひさし先生らしい作品だった。まだ僕には分からない所もあるけど、読み終わった後の気持ちがとても晴れやかで、心地よかった。月守さんは、どうしてこの本を僕にくれたの?〉


 あまり連絡相手がいない桜は、随分な長文を書いた。


 すぐに既読がつく。玄佳はまだ起きていたらしい。


〈お父さんの絵本から、町田まちださんがインスピレーションを受けたら面白いなって思って〉


 インスピレーションーー確かに、読んでから桜は『瞼』という言葉が妙に大切な物に思えていた。


 それを形にするのに、今の自分は持ち物が多過ぎる。鵺の話は書き終えたが、膚は全然――寧ろ、ここからそのヒントを得ればいいのか?


〈なんだか瞼っていう言葉が凄く特別に思えた。それは僕の中で何かの形にできるのかも知れない。でも、今は別の物を書いてるから、けど必ず書くと思う。瞼を閉じればの最後の一節、月守さんには分かる? 僕にはまだ実感がない〉


 物凄い勢いで文章を打って、送信する。


 玄佳は少しずつ、返事をくれた。


 思い出の事を言ってるんだって。


 お父さんの人生をそんなに多く知らない。けれど、お父さんは四十年にも満たない人生で多くの事を体験した。


 嬉しい事、悲しい事、叫び出したい事、踊り出したい事、お母さんと結ばれた時の事、私が生まれた時の事、色んな宝物を、頭の中のシャッターを切って瞼の裏に保存するんだって。


 その言葉の意味を私が正確に知っているわけじゃない。


 知りたいと思うけれど、お父さんはもう『透明な場所』にいるから。


 どうすれば分かるのか分からない。


 桜は、入力と消去を繰り返しながら、一言打った。


〈僕にも分からない〉


 突き放すような言葉で、すぐに次の言葉を打つ。


〈透明な場所がどこにあるかも分からない。月守さんと一緒に、探したい〉


 そんな無責任な事を言って、大丈夫なのだろうか。自信なんて、全然ないのに、言葉は自分の手を超えて紡ぎ出せる。


 不意に、画面が通話に変わって、桜は驚いた。


 相手は玄佳だ。桜は慌てて取った。


「も、もしもし……」


 おどおどしているのは承知している。怒らせてしまったのかが不安で仕方ない。


「町田さん」


 真剣で、引き絞るような声だった。


「町田さんは、手がかりがないものを探す時、どうする?」


 いきなり、本題が飛んできた。


 対面でない会話は恐ろしい。相手の顔が見えない事は気弱な人間にとって随分な毒だ。


「僕は……手がかりから探す。でも、月守さんのお父さんは、手がかりを残してくれてるんじゃないかって、思う」


 桜の中には、繋がりそうな点と点が見えていた。


「お父さんの手がかり?」


「作品一覧に、『Icy Blue Moon』っていうのがあった……氷見野ひみのさんが言ってた『氷のように青い月』と同じ言葉。月守さんのお父さんの作品の最後に『透明な場所』があるなら、そこまでの過程にヒントが隠れてるかも知れない」


 通話の先の玄佳は、沈黙を返した。


「青い月の物語……月守さんは知らない?」


 もしかすると、それが何かの手がかりになるのではないか。咲心凪の話も幻想的だった。つきのひさしは、何か咲心凪の祖父と同じものを見た事があるのではないか? そんな疑問もある。


「……お父さんの本はうちに一通りあるから、明日持ってく。氷見野さんの話は私知らないけど、見せれば分かるかな」


「どうだろう……言葉が同じだけだから……でも、月の話なら、氷見野さんは何か分かるかも知れないから……」


「それもそっか。氷見野さんに連絡入れておくから、明日電車一本早くこれる?」


 桜は慌てて時間を見た。今から寝て、少し早く起きればなんとかなる。


「うん……教室だよね?」


「そう。絵本は文芸部の町田さんが私に資料請求したって事にするから、口裏合わせて」


「わ、分かった」


「じゃあ、また明日」


「うん……あ、待って」


「ん?」


「土曜から書いてた物の片方、できた……」


 読んで欲しいという気持ち、約束だから読んで貰わないとという気持ち、どちらもあって、上手く言えない。


「じゃあ、文芸部の先輩に見せる前に私に見せてよ」


 少し弾んだ声で誘われて、よかったと思う。


「うん……持っていくね」


「楽しみにしてる」


 通話を切って、桜は眠り支度を整えた。


 明日は早い――ふと、思う。


 これから僕に何が待ち受けているんだろう。


 大きな何かが始まる予感がして、小さな胸は何故だか弾んだ。




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