1-12
課題を解くと、玄佳から貰った『宝物の在処』を読む。
つきのひさしという絵本作家の作風として、幻想的で、けれど人生で大切な事をしっかり教えてくれるような、そんな内容だった。
瞼を閉じれば、宝物が幾つも見える。
桜にはまだ、理解し切れない言葉だった。ノートに『瞼』と書く。
桜は気になってつきのひさしについて調べた。亡くなったのは桜や玄佳が六歳の頃だった。七年前。気になったのは『宝物の在処』が発刊されたのが没後だという事だ。
もう一つ気になった事がある。
作品一覧の中に『Icy Blue Moon』という物がある。
直訳すれば、『氷のように青い月』で、それは
調べ物が終わると桜は夕飯を食べて、お風呂に入って、原稿用紙の束に向き直った。
『白日の鵺と魔笛』は一度読み返せと凛々子が言う通り、桜自身が書いた『心の声』を元にして結論を求めると、必然だったかのように綺麗に結べた。
もう一つの作品である『
玄佳に直接聞くのはどうしてもハードルが高い。下世話な事をするんじゃない、怒声が頭の中に反響して眩暈がする。
少なくとも、自分が何を聞きたいかはしっかり纏めてから聞くべきだ。
桜はノートを開いた。
[
言葉の奔流は止まらない。
何を聞きたいのか。どうしても纏まらない。
凛々子が言った『一歩』が、どうしても踏み出せない。
書いても書いてもきりがない言葉の奔流を無理矢理止めて、桜は机の上に置いていた『宝物の在処』を取った。本棚の絵本を置いているスペースに入れようとして、気づく。
もしかすると、この些細な疑問が『一歩』なんじゃないのか。
桜は時間を見た。遅い時間だ。玄佳に連絡していいか……連絡先は知っていても、メッセージを送るには遅い。
どうして僕はこんなにとろいんだろう。世の中という僕がいない場所はとても速い速度で流れていくのに、ついていけない僕は地球から浮いているみたいだ。もう少し速く歩けたらいいのに。
その時に、桜は気づいた。
部屋を出ている間だろうが、玄佳から〈読んだ?〉ときていた。
今から返していいのか……だが、明日まで引きずる方が申し訳ない気がした。
〈読んだよ。つきのひさし先生らしい作品だった。まだ僕には分からない所もあるけど、読み終わった後の気持ちがとても晴れやかで、心地よかった。月守さんは、どうしてこの本を僕にくれたの?〉
あまり連絡相手がいない桜は、随分な長文を書いた。
すぐに既読がつく。玄佳はまだ起きていたらしい。
〈お父さんの絵本から、
インスピレーションーー確かに、読んでから桜は『瞼』という言葉が妙に大切な物に思えていた。
それを形にするのに、今の自分は持ち物が多過ぎる。鵺の話は書き終えたが、膚は全然――寧ろ、ここからそのヒントを得ればいいのか?
〈なんだか瞼っていう言葉が凄く特別に思えた。それは僕の中で何かの形にできるのかも知れない。でも、今は別の物を書いてるから、けど必ず書くと思う。瞼を閉じればの最後の一節、月守さんには分かる? 僕にはまだ実感がない〉
物凄い勢いで文章を打って、送信する。
玄佳は少しずつ、返事をくれた。
思い出の事を言ってるんだって。
お父さんの人生をそんなに多く知らない。けれど、お父さんは四十年にも満たない人生で多くの事を体験した。
嬉しい事、悲しい事、叫び出したい事、踊り出したい事、お母さんと結ばれた時の事、私が生まれた時の事、色んな宝物を、頭の中のシャッターを切って瞼の裏に保存するんだって。
その言葉の意味を私が正確に知っているわけじゃない。
知りたいと思うけれど、お父さんはもう『透明な場所』にいるから。
どうすれば分かるのか分からない。
桜は、入力と消去を繰り返しながら、一言打った。
〈僕にも分からない〉
突き放すような言葉で、すぐに次の言葉を打つ。
〈透明な場所がどこにあるかも分からない。月守さんと一緒に、探したい〉
そんな無責任な事を言って、大丈夫なのだろうか。自信なんて、全然ないのに、言葉は自分の手を超えて紡ぎ出せる。
不意に、画面が通話に変わって、桜は驚いた。
相手は玄佳だ。桜は慌てて取った。
「も、もしもし……」
おどおどしているのは承知している。怒らせてしまったのかが不安で仕方ない。
「町田さん」
真剣で、引き絞るような声だった。
「町田さんは、手がかりがないものを探す時、どうする?」
いきなり、本題が飛んできた。
対面でない会話は恐ろしい。相手の顔が見えない事は気弱な人間にとって随分な毒だ。
「僕は……手がかりから探す。でも、月守さんのお父さんは、手がかりを残してくれてるんじゃないかって、思う」
桜の中には、繋がりそうな点と点が見えていた。
「お父さんの手がかり?」
「作品一覧に、『Icy Blue Moon』っていうのがあった……
通話の先の玄佳は、沈黙を返した。
「青い月の物語……月守さんは知らない?」
もしかすると、それが何かの手がかりになるのではないか。咲心凪の話も幻想的だった。つきのひさしは、何か咲心凪の祖父と同じものを見た事があるのではないか? そんな疑問もある。
「……お父さんの本はうちに一通りあるから、明日持ってく。氷見野さんの話は私知らないけど、見せれば分かるかな」
「どうだろう……言葉が同じだけだから……でも、月の話なら、氷見野さんは何か分かるかも知れないから……」
「それもそっか。氷見野さんに連絡入れておくから、明日電車一本早くこれる?」
桜は慌てて時間を見た。今から寝て、少し早く起きればなんとかなる。
「うん……教室だよね?」
「そう。絵本は文芸部の町田さんが私に資料請求したって事にするから、口裏合わせて」
「わ、分かった」
「じゃあ、また明日」
「うん……あ、待って」
「ん?」
「土曜から書いてた物の片方、できた……」
読んで欲しいという気持ち、約束だから読んで貰わないとという気持ち、どちらもあって、上手く言えない。
「じゃあ、文芸部の先輩に見せる前に私に見せてよ」
少し弾んだ声で誘われて、よかったと思う。
「うん……持っていくね」
「楽しみにしてる」
通話を切って、桜は眠り支度を整えた。
明日は早い――ふと、思う。
これから僕に何が待ち受けているんだろう。
大きな何かが始まる予感がして、小さな胸は何故だか弾んだ。
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