1-11
原稿用紙を幾つも束ねたファイルを入れた鞄を持って、放課後に、桜は文芸部の部室にいった。
「こんにちは……」
どうして僕の声は強張っているの? ううん、分かってる。きっと見せる事に緊張してるんだ。『夢魔』は褒めて貰えたけど、今回持ってきたのは自信がない作品と、書きかけの散文だけだ。
凛々子先輩に見せたら、怒るかも知れない――不安は自然に解けて。
「待ってたぞ」
奥の席の片方に座った凛々子が、対面を示す。先週凛々子が言っていた通り、桜の席は凛々子の対面にできていた。
「はい……作品、色々持ってきました」
桜は先輩二人にもぺこりとお辞儀して、凛々子の対面に座った。
「見せてくれるか?」
「はい……あと、土曜日に着想を得て、書きかけの話があって、それも
上手く言えるかどうか分からなかったけど、言えた。
桜はまず既存作の原稿用紙を凛々子に渡し、続いて書きかけの原稿用紙の束を取り出した。
「まあ待て。そんなに一遍には見れない……が、最新作か。気になるな」
凛々子は自分の机に桜の既存作を置いた。
「『蛾の神様』『人魚の衣』『月の
改めてタイトルを読み上げられると、なんだかむずがゆく、そしてチクチクと心に刺さる棘がある。
「どれも、お母さんには『つまらない』『下手糞』『意味が分からない』『気持ち悪い』って言われました……」
「桜の母親の事を私は知らんが……」
桜が静かに書きかけの作品を机に置くと、凛々子はそれを受け取った。
「読者なんて勝手なもんさ。自分が見たい物を自分で形にできない癖に、目に入った物が好みじゃなければ遠慮なく嘲罵を浴びせて恥じる事もない。桜」
強く名前を呼ばれて、桜は伏せていた視線を上げた。
「恥知らずの言葉に一々乗るな。お前は自分自身の心をしっかり見極める事に専心しろ」
十三年間一緒にいた母親よりも、凛々子に母性を感じるのはどうしてか、桜には分からなかった。
ただ、涙が溢れそうになるのをこらえるしかなかった。
「私が作品を読んでばかりってのもちょっとよくないな。少し待て」
「は、はい!」
少し、涙声。凛々子は気にする事なく、部室の奥に向かった。
「文芸部の洗礼よ」
「凛々子さまの作品が掲載された本を町田さんにって」
多門寺と寒原が桜に声をかけてくる。
「えっと……掲載された本……」
「文芸部の部誌と、
凛々子は奥から出て、桜に素気ない表紙の薄い本二冊と、書店で見かけるようなきちんとした装丁の本を一冊、渡してきた。
「文学賞の受賞作品……」
それに載っているという事は、凛々子先輩は受賞したっていう事だよね?
漠然と『凄い人だ』と思っていたけれど、中学生で一般の本に載る程凄いの?
読んでみたい――僕の心の中で、とても純粋な好奇心が疼いた。
「部誌は去年、一昨年の物。作品集は今年の三月に出た。三冊とも、部員には渡すから、これはお前の物だ」
三冊の本が、桜の手に渡される。
「凛々子さまの作品は凄いの」
「そう、とても花やかで美しくて……」
多門寺と寒原はうっとりしている。
「あ、ありがとうございます……」
「じゃ、どれを読んでもいいが、私が桜の作品を読む間に桜は私の作品を読む。今日の活動だ」
「はい!」
圧倒的な存在がどんな作品を書くのか、桜には大いに気になった。
桜はどれを読むか迷った。けれど、先に聞いた話ならば、気になるのはやはり、受賞作だ。
桜はその本を手に取って、目次を開いて、鈴見凛々子の名前を見つけた。大賞受賞作、と書いてある。
凛々子の作品は桜にとってまったく未知の刺激をもたらした。
『荊の仮面』と題された作品は、演劇に情熱を燃やす二人の少女の物語だった。どちらが主演をつかむかの過程で二人はライバル以上の関係になり、それは少し倒錯的な関係をもたらす。そして主演をつかんだ方が役を下りて、代役に選ばれた主人公は苦しみを感じながら舞台に臨む。その痛ましい感情を描いて話は幕を閉じた。
荊の仮面という言葉の意味も、綺麗に分かるようになっていた。文章は桜のそれとは比べにならない程、綺麗だった。読みやすく軽やかに進む作品は、誰が読んでも中学生が書いたなどと思えないだろう。
感想を伝えたいけれど、どう言葉にすればいいんだろう……桜は読み終えた本を閉じて、考えた。凛々子の他の作品も興味がある。もう一作品……手を伸ばした時、対面の凛々子が原稿用紙の束を置いた。
「『白日の鵺と魔笛』と『
どうやら自分は凛々子の作品に魅せられていたらしい。凛々子はさほどの長さがない作品を合計六つも読んでいた。
「どれも桜の世界がしっかり存在してる。『夢魔』の幻想性に加えて、新作二つは現実性も大きく加わってる。既存作も面白い着眼点でしっかりその作品の世界を描き切っているが、今年に入ってから書いた物はより成長してる」
成長している――それはきっと、桜が一人で書いていても分からなかった事だろう。
本当に、凛々子先輩には感謝してもしきれない。
「どの辺りで詰まってるのかは分かるか?」
凛々子は具体的な話を始めた。
「鵺の方は……結末をどうするか、膚はまだ分からない事が多くて、どういう感情をヒロインに見出すのかが不明瞭で……」
「土曜に着想を得たって言ったけど、何かあったのか?」
桜は、話す事にした。
クラスメイトに誘われて一緒に『透明な場所』を探しにいったんです。
人がいない神社で、昼なのに虎鶫が鳴いていて、その近くで男の子がリコーダーを吹いていて、『白日の鵺と魔笛』を思いつきました。その時の気持ちはとても怖くて、よく分からなくて。
その後、二人で喫茶店にいって、僕が好きな絵本作家がその人のお父さんだと知って、それを話す友達の表情から『膚』を思いつきました。ただ、まだそんなに親しくないから、どういう感情がそこにあるのか分からなくて……。
拙く、桜は話し終えた。
「……作品の結末は話を読み返して、そこにある言葉を拾っていけば自然と導き出せる筈だ。膚の方は……もう少し取材してみるのもいいんじゃないか? その友達に」
「でも……」
「気になる事があるなら、徹底的に調べ尽くす。創作の基本だ」
凛々子の言葉は、いつも強い。
「僕が聞いても、いいんでしょうか……」
自信はいつも、湧いてこなくて。
「まだ出会ったばかりだろうから躊躇うのも分かるが、一歩でも近づかねえと距離は縮まらないぞ」
一歩でも、近づく。
桜は縮んでいく目で、凛々子を見た。凛々子は優しい表情を浮かべている。
その優しさに全てを溶かしてしまいたい――桜は現実逃避的に考えて、首を振った。
「もう少し、話してみます」
強がりでも、みっともなくとも、進もう。目の前を見れば、『前』が広がっているから。
桜はその日、新作の原稿用紙を凛々子から返されて家路に就いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます