1-8

 金曜日の内に、はるは自宅で過去に書いた物を纏めて、凛々子りりこに見せられるように整えた。


 入部届も書いて、これを週明け、担任に提出すれば文芸部への入部は完了だ。凛々子と言う一つの大樹の元で一年を過ごせる。


 迎えた週末は、玄佳しずかとの約束がある。桜は電車に乗って少し進んだ駅で降りて、西口に向かう。玄佳の家は桜の家よりも鳳天ほうてんに近い。


 リュックの中は財布と、ノートと鉛筆だ。玄佳と一緒なのにそれもどうかと思ったが、桜は不意にくる脅迫的な言葉の洪水を書き留めておかないと不調に陥る。玄佳も、教室で散々桜がノートに何かを書いているのは見ているから、大丈夫だろうと思えた。


 西口の階段を下りて改札を出ると、玄佳がいた。


 黒髪地獄の頂上に座す美しい黒髪をポニーテールにくくって、動きやすそうな服装に身を包んでいる。一部の隙もなくて、桜は目立たないように選んだ地味な服を後悔した。


 玄佳は、桜を見つけて手を振ってきた。肩から鞄を下げて、首からはデジカメを下げている。都会の少女らしく、田舎育ちの桜にはとても真似できない洗練された空気を纏っていて、桜はただぺこりとお辞儀した。


「おはよ。町田まちださんって、見つけやすいね」


「あ……おはよう……」


 声は聞こえたと思う。でも、言葉に挨拶で返しただけで、返事には不十分だ。どうして僕は咄嗟に言葉が出てこないんだろう。本当は……。


 本当は?


 どうしたい? 玄佳ちゃんと仲よくしたい。そんな事はするな、お前は愚鈍なんだから。


 脅迫が唐突に浮かび上がって、桜は目を閉じて耳を塞いだ。


「どうしたの?」


 柔らかく、低い体温が桜の手に触れる。玄佳の手だ。


 何をしているんだ僕は。これじゃまるで月守つきもりさんを嫌がっているみたいじゃないか。そんなのは失礼だ。ちゃんとしよう。


 ゆっくり目を開けて、桜は耳から手を離した。


「ごめんなさい……」


「いいよ。ついてきて」


「う、うん……」


 文芸部で得た自己肯定感は文芸部と言う一つのコミュニティの中で最低限、自分がそこにいてもいいという物でしかなく、一歩外に出れば桜は元の気弱な少女でしかない。


 ゆっくり歩いている玄佳の後ろを、とことこ歩いていく。


 月守さん、静かな所に住んでるんだ……僕の家はもっと五月蠅い所にある。


 駅前を抜けると、住宅街に入った。月守さんはどこか、目的地があるみたいだった。


「あの……月守さん」


 思い切って、声をかける。


「ん?」


「どこにいくの……?」


「お気に入りの場所」


 月守さんの、お気に入りの場所。


 そこに僕がいていいの?


 言葉はどうして喉でつっかえるんだろう。のんびり先をいく月守さんについていくので精一杯になって、僕はどこに向かうか分からない中で不安と何かもっと、大きな事が起きる予感を感じていた。


「透明な場所って……どんな物なの?」


 どうしてだろう。口が、舌が、喉が、自分の物じゃないみたいに動く。


「全てがそこにあって、そこには何もない所。透明だから、人間の目じゃ見えない。けど、確かにそこにある場所」


 難しい話……でもどこかで聞いた事があるような言葉が、月守さんの口から出てきた。


 透明な場所と聞いて思い出した、断片的な言葉は誰の物だった?


 あれは、僕の物じゃない。僕が読んだ誰かの物だ。


 でも、思い出せない。自分の作品(?)の事で手一杯になってたけど、持っている本を読み返す事も必要かな。


 二人でいるのに、静かに、桜と玄佳は一つの神社の石段を上った。


 境内に入ると、小さな社殿があり、社務所がなく、子どもの遊具が少しあるなど、一般的な神社とは違う、田舎の寂れた所にあるような物だった。桜は幼い頃に通っていた小学校の近くにあった、誰も手入れしていない神社を思い出した。


 周りは竹藪に囲まれていて、神秘的な静謐が漂っていた。


「ここ、何かありそうな気がするんだよね。町田さんも、何か見つけたら教えてね」


 玄佳は自分が持っているカメラを示した。


「な、何を見つけたらいいの……?」


「見た事もないもの、もしくは当たり前に見かけるけど、この場にそぐわないもの」


 月守さんの中には明確な条件があるらしかった。


 僕はノートを取り出して、何か見つけたらメモしようと思って、月守さんを見失わないようにしながら境内を見た。月守さんはスプリング遊具の辺りを撮っている。


 見た事もないもの……それは多分、すぐに発見できる。当たり前に見かけるけど、この場にそぐわないもの。それも分かりやすい。無人の神社になさそうな物……スプリング遊具を置いている神社って一般的なのかな……。


「文芸部は上手くいってるの?」


 桜が地面を観察しながら歩いていると、玄佳から声をかけられた。


「誘ってくれた鈴見すずみ先輩、僕の作品を褒めてくれて、今まで書いた物を週明けに持ってこいって言ってて……昨日、纏め終わったよ」


「よかったじゃん。私もこれ貰っちゃったし、写真部入るかなー」


 玄佳の部活の話を、桜は初めて聞いた。


「月守さん、写真部にいったの?」


「やるなら文化系かなって思って部室棟歩いてたら、変な先輩につかまった。『あなたは写真部に入る。骨相で分かる』なんて言われてカメラ貰った。備品の筈なのに」


「骨相……」


 透明な場所といい、玄佳はスピリチュアルな物に興味があるのだろうか。納得できる雰囲気は、人攫いの魔女のように放たれる艶やかな妖気からくるのだろう。


「ま、なんとなく入るのもいいと思うけど」


 シャッターを切る静かな音が聞こえる。


「写真……見てもいい?」


「うん」


 桜は玄佳の方に歩き、玄佳も桜に歩み寄ってきた。


 玄佳が撮った写真は綺麗だった。パンダやトラを模した遊具を撮った写真は、透明な場所にはちょっと思えなかった。玄佳は撮った写真をスライドさせる。


「透明な場所は写真に写るの?」


 何気なく、桜は尋ねた。


「それ」


 ピン、玄佳は桜を指さした。桜の背筋が伸びる。


「写真に残せるのか試すのに写真部に入るっていうのもありかなと思って」


 透明というのは、そこに何も存在しない、あるいは空気と光だけがある状態であって、写真には写らないんじゃないか。


「ピンクのワニも凍てつく星座も、写真に写るのかも知れないし」


 玄佳から出てきた言葉に、桜は自分の中に存在する知識が妄想でない事を確信した。


 初めに玄佳から『透明な場所』という言葉を聞いた時に頭の中に浮かんだ不思議な、あるいは清潔な言葉は、誰かが公に発信した物で、玄佳もそれを知っている。


「月守さん――」


「待って」


 桜が尋ねようとすると、玄佳は顔の前に人差し指を立てた。


 ヒョーヒョー、口笛のような音が聞こえる。同時にピーヒョロと笛の音も聞こえた。


 桜は不安になって、玄佳の袖を引いた。


 玄佳は桜の手を取って、音のする方に向かった。社殿の裏手だった。


 ピーヒョーとリコーダーを吹いている子どもと、茂みの中から聞こえるヒョーヒョーという鳴き声――虎鶫のようだった。夜に鳴く物だが、何故だかこの昼間に鳴いている。


 神社の裏手で、子どもが虎鶫の鳴き声に合わせて縦笛を吹いている光景を目にして、桜はなんだか恐ろしい気持ちになった。そっと一歩、後ずさる。


 玄佳もその子どもに何かしようという気はなかったらしい。静かに歩いて、桜と一緒に元の境内に戻った。


「邪魔しちゃ悪いし、いこうか。いい喫茶店あるんだけど、いく?」


「う、うん……」


 喫茶店でもなんでも、ここから出られるならなんでもいいよ。


 白昼の鵺と魔笛の音が、酷く不吉に思えた。



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