第7話小説「一番おいしいのは誰だ」落選
県庁の鳥獣対策課が主に県下に出没する野生鳥獣の生態を調査し、田畑や山林を荒らすという理由で頭数管理を行うなどという業務はいつの間にか前時代のものになっていた。
新卒で採用され、鳥獣対策課に配属になった小山が命じられた仕事は、近年彼らの間で問題になっている野生鳥獣のうち「誰が一番おいしいか」を話し合うシンポジウムの進行だった。
この「彼ら」及び「誰が」というのは野生鳥獣当人を指す。
小山直属の上司は言った。
「ほんのわずか百年前だよ、小山君。百年なんてあっという間。百年あれば、彼らだって進化する。まあ、原因は太陽フレアだという説もあるがね。私は宇宙から来た何らかの知的生命体の陰謀説を支持しているんだが……。まあ、そういったことはだいたい政府が隠しているから本当のことなど分かるわけがないんだ。でも、こういう事態になったことについてはもうどうにもならない。我々は公務員として起きた事に対して粛々と対応するだけだよ」
上司のいうところの進化というのは、人類の歴史から考えると急激であったと言えるだろう。百年の間に野生鳥獣が人語を解し、攻撃性は失われ、彼ら独自の価値観を以て彼ら自身のコミュニティを組織し、人類との共存を提起し始めたのだから。
無論、当初人間はそれに対してひどく困惑し、混乱した。武力で制圧しようという過激な思想も散見した。
しかし、戦争反対、非暴力、平和な文化国家であるこの国で「鹿や猪が喋りだして、自分たちの先住権を人間に訴えるようになる」のを非道な殺戮で解決することはできない。
依って、かつては害獣と呼んで駆除してきた鳥獣対策課はその方向性を真逆に転換し、野生鳥獣との「外交」にあたることになったのだった。
そして小山が担当するシンポジウムはそれこそ野生鳥獣の各種族間で問題になっている「人間がいうところの、美味しさの頂点は誰なのだ」という揉め事を議論する為のものだった。
「彼らと議論が可能になった以上、もう食肉利用なんてありえないのにどうしてもマウントを取りたがるんだからねえ。山に住むだけにマウント」
「美味しいということが彼らのアイデンティティなんでしょうか」
「結局、彼らの優劣を決められるのは人間だけだということだ」
「はあ」
「とにかく、なんにしても、これは彼らの要望なんだから。共生共存していく為に話し合いの場に我々が調停役として介入するのは建設的な判断だよ」
小山は押し黙った。美味しいかどうかを判断するには、食べないと分からないのだけれど。
野生鳥獣を食べなくなって百年。小山は多くの資料を求め、有識者の見解を集めた。
今は猟師という職業は絶滅したが、話しによれば鹿の肉は赤身でやわらかく、鉄分が豊富でカロリーが低いことからアスリート食として珍重されたという。
猪は地球温暖化の影響で、最も美味とされる脂肪の乗りが悪く、その為ぼたん鍋は大変な高級食になったそうだ。が、反面、脂のない時期はほぼ捨て値であったという。猪には体を温める効果がある。
熊はやはり大型になると脂に若干の獣臭があるとされるが、敢えてそのような食肉を好む層からは支持されていた。また、頭数管理されていた時代が長いので、入手困難な貴重なものであったという。
アナグマ? 狸? ハクビシン? 小山は出席する面々の名簿を見て溜息をついた。
シンポジウムは県の公館で行われた。当日は新聞の取材なども入るとあって、出席者は皆、身綺麗にその皮毛を洗って現れた。
小山はシンポジウム開始にあたり、以前食肉利用されてきた際の年間消費量や市井の声などをまとめたものをスライドとして流した。
話し合いは順調に進んだかと思われた。
が、最初に異議を唱えたのは熊だった。机を傷つけないように爪を切ってきた手先で、まず軽く天面を叩き、
「なるほど、確かに鹿や猪が美食としてもてはやされた時代もあったでしょう。が、彼らが消費された数で勝負するのはおかしいでしょう。私達熊は鹿や猪に比べて出産数が少ない。また、人間が捕獲するのが困難であり、個体の大きさから食肉加工に従事する人間側に熟練した技術が要された。私達熊の美味しさを人間が知る機会が少なかったのであって、私達が美味しくないということではないはずです」
小山は頷きながら議事録を取る。
そこでまた手を挙げたのは鹿だった。
「確かに出産率の高さ、繁殖力の強さでいうと私達は群を抜いています。が、それで私達がより多く人間に消費され評価されたわけではない。実際、腕と知識のない人間が冷凍庫に鹿肉を放置してわざわざまずくしていたという不名誉を考えてください。肉として、真の美味しさを保持していたはずなのは私達なのです。消費量から判断するべきではない」
「まあ、待って下さい。有史以来薬喰いとして珍重されてきた猪の伝統がすべてを物語っているとは思いませんか」
「外来種だからって不味いと思われるのは心外です。我々が定住している以上、その食味も評価されてしかるべきだ」
次第に会場に人語に混じって唸り声や荒い鼻息が蔓延し始めた。
小山は果たしてこの議論の着地点を本当に人間が決めていいのだろうかと疑問に思った。
本能で床を蹴る蹄の音が響いている。が、小山は恐ろしいとは思わなかったし、乱闘になる危険性についてはまったく心配していなかった。
彼ら野生鳥獣は人間のように、殺しあわない。それが絶対的な摂理なのだ。
「まあ、一度落ち着いて考えましょう。野生という観点に人類が含まれないのはすでに進化の過程を経てある程度の知性と文明を保持しているからなんでしょうが、考えようによっては今はもう皆さんも同じであると言えるでしょう。となれば、誰が一番おいしいかという議論の中に人間が含まれてもおかしくないはずです」
小山は静かに申し述べた。途端、虚をつかれたように全員が黙りこみ、次いで、大声で笑いだした。
「人間ほど食えない奴はいないだろう!」
シンポジウムの閉会まで、あと一時間。新聞社のカメラが恥入って真っ赤になる小山を切り取った。
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