第6話随筆「事実は小説より奇なり」入選
父が大きな事故に合い救急搬送された時、自宅は前年の震災の傷痕とでも言うべきか、屋根にはまだビニールシートを被せた状態であった。
地震の激しい揺れで屋根瓦がほとんどすべて落ち、当時どこの家でもそうであったように急場凌ぎにビニールシートをかけて剥きだしになった屋根をカバーして雨漏りを防いでいた。
多くの家屋が被害を被った為、様々な建築資材も人手も不足しており、我が家もご多分に漏れず一年もその姿でやり過ごしていたわけだが、当時、大阪に住む大工の伯父がどうにか材料を調達し職人を連れて家の修理に来てくれていた。
この伯父は震災直後も自宅に呼び寄せて風呂を使わせてくれたり、カセットボンベを大量に届けてくれたり、落下した屋根瓦の撤去なども随分助けてくれた。
父の事故は肺挫傷、脚や骨盤の骨折など重傷で、搬送された病院のICUで姿を見るまでに大分待たされた。
私と母がまんじりともせず呼びいれられるのを待っていると、知らせを受けた伯父がやってきた。
果たして一体何時間待っただろうか。やっと集中治療室へ面会が叶った時、私は横たわる父を見て驚きのあまり言葉を失った。
……ヒゲがない!
父は料理人で、料理人というのはなぜか皆ヒゲを生やしている時代だった。私は物心ついた頃から父の顔を「ヒゲ込み」で認識しており、ヒゲのない顔は見たことがなく、病院に担ぎ込まれた際に治療の為に剃られたのであろう顔はまったく知らない人の顔だった。
担当の医師が私達に言った。
「意識はありますから、呼びかけてください」
母は泣いて父を呼んでいた。が、私は父のヒゲがないことの衝撃に捉われるあまり何を言えばいいか分からず黙っていた。
すると、伯父が大きな声で呼びかけた。
「屋根! 屋根な! 直しといたからな!」
ドラマや映画などで重篤な病人や臨終の際に家族がその人を揺さぶって大きな声で名前を呼んだり慟哭したりする、非常にドラマチックな場面がよく描かれる。
が、私が遭遇したのはそういうものではなかった。ただ、必死だった。母は泣き、伯父は父の懸念を取り除いてやるつもりなのか工事の進捗を報告し、私は「誰や、これ」と思っている。
ドラマはあくまでも「ドラマ」なのだ。別段それが悪いというのでは、ない。劇的な場面において、現実はいつもどこか滑稽で、奇妙な一面を見せる。
その後、父は一命を取りとめ、今もまたヒゲを生やしている。
事実は小説より奇なりというが、この事実を元に小説が書けそうな気がしている。
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