第19話 はやにえ

 的確に、弱いところを突かれたと思った。


「どっち、が」


 思わず反復した葵の言葉に、黒沢が頷く。


 葵とリカ、そして黒沢を取り囲むように地面に光が走っている。

 それが、新たな魔法陣だということに葵は気付いた。寝転がったままでも分かるのは、その線が、円が、やはりどこか歪な形をしているということだけだ。アスターの描く、まるでコンパスを使ったかのように綺麗でゆがみ一つない魔法陣に見慣れてしまった弊害なのかもしれない。

 葵は、アスターのことを思った。いつもは勝手についてくるのに、今日に限ってこの場にいない。アスターは悪くないが、どうしたって、いまこの場に彼がいてくれたらとは思ってしまう。


 ――彼も、わるい魔法使いに変わりはないのに?


(……それでも、私には願う権利がある)


 願えばきっと、この状況をなんとかしてくれる、はずだ。

 ぐ、と唇を引き結ぶ。

 それから、葵は恐る恐る、微笑んでいる黒沢に話しかけた。


「容れ物になったら、どうなるんですか」

「そうだね。例えば、藤村さんにあの人の魂が入ったと仮定するよ。そうすると、藤村さんの魂に居場所がなくなるから、すくなくとも藤村さんの自我は消えちゃうね」

「つまり、見た目は私のまま、中身が、黒沢さんの元恋人になるってこと?」


 そういうこと、と黒沢は笑った。それから、リカの方をちらりと見もせずに、葵を凍り付かせるようなことを口にする。


「元って言わないでよ。酷いな、藤村さん」

「っ、酷いのは、黒沢さんの方じゃないですか」


 リカに向けた、慈しんだ表情の意味なんか葵は知りたくなかった。見たままを信じていたかったのに、この男はそうもさせてくれない。

 黒沢はずっと、リカを通して元恋人を見ていたのだ。いいやきっと、葵にも恋人の姿を重ねていた。だから、あんなに優しかった。

 こんなの、リカが報われない。葵はリカの片想い期間を知らないけれど、どんな想いだったかは付き合った報告をされたあとに、リカからこっそり教えてもらったのだ。

 可愛い後輩の、可愛い恋。葵が抱いていた淡さはなくて、ちゃんと輪郭のある真剣な恋心。まぶしいまぶしい心のかたち。

 それを、手酷く扱われたような気がして、自分のことじゃないのに、葵は泣きそうになった。


「黒沢さんこそ、いいんですか。魂が戻ってきたとして。その見た目は、貴方の愛した恋人じゃないんですよ」

「うん、いいよ」


 ふっと、それまでに鳴いていたヒグラシの声が、消えた。


「見目なんてどうでもいいよ。あの子が戻ってくるなら」


 ほら、はやく。選んで、藤村さん。


 葵は急に、目の前で笑う人物のことが怖くなった。

 理解はもうできない、理解をしたくない。

 何より葵に対して選べと平然と言える、それだけでもう、葵に打つ手はなかった。

 だってこのひとは、葵が選べないことを知っている。アスターに話すよりも、もっと詳細なことを黒沢は葵から聞いたことがあるのだ。

 だから、黒沢は選んでくれたのだ。あの酉の魔法使いシリーズの、カプセルトイを。コンプリートしたい欲は、その次に生まれたものだ。



 選べるわけがない。選ぶのが怖い。どっちかを選べば、どっちかを無くす。それを中学生の頃に、葵は痛いほど思い知った。

 二人の友人。葵の知らないところで、仲を違っていた二人。

 葵にとっては、どちらも大好きでこれからも仲良くしていきたい相手だった、大事な友達。

 どっちかを選んで、どちらかとは縁を切れだなんて。そんな選択肢が葵に選べるわけがなくて、結果的に選べずにどっちも失くしてしまった中学時代。突き付けられたものは、きっといまも同じだ。

 変わり映えのしない、立ち止まった自分を、突き付けられている。


「君が選ばないと、どっちも本物のはやにえになっちゃうよ?」


 リカを選べば、リカはいなくなる。

 葵が自身を選べば、葵自身がいなくなる。

 姿形が同じでも、中身が違えば、それはリカでも葵でもない。

 だからといって選ばないままならきっと、いま、熱を帯びているこの光の束が、本当に生身を貫く刃になりかねない。

 リカを失いたくはない。可愛くて、大事で、大切な葵の後輩だ。高校に入っても怖がって独りぼっちだった葵の心を、その明るさと強引さで救い上げてくれた恩人だ。彼女がいたから、選ぶことは難しいままでも、葵は再び友人を作ることができたし、元気だってもらっている。


 でも、葵だって消えたくはない。ふさぎ込むことはあったけれど、死にたいだとか、そういったことを考えたことは一度も無かったし、それで良かったといま身を持って知っている。きっと世界は生きにくくて、それでも生きているうちにちょっとずつ楽しいことを見つけていけるのだ。

 きっと、憧れた恋だって、これから生きていくうちに、絶対。

 あんなふうに素敵に着飾った葵を、可愛いと笑って手を取ってくれる人が、このさき、絶対に――。


「――ああ、道理で。自分のためだけに着飾ってきた可愛い女の子に、何の感想もないわけだ」


 ――甘い、夢を。


 ぶわり、と、葵の視界に花びらが舞った。

 桜のように舞う花弁は、しかし桜よりも細くて厚みがある。

 他国の言葉で「星」を意味するその花の名は、いま、突然この場に現れた人物の名として彩りを添えている。


 黒沢が立ち上がって、声の聞こえた方向を見た。

 目を覚まさないリカの向こう側。地面に敷かれた魔法陣の外側に、ふわり、と着地した魔法使いのローブが柔らかくはためく。日が暮れてきたとはいえ、涼しくなんてひとつもならない夏の夕に、見ているだけで自分も暑くなりそうな、首元まで隠された魔法使いらしい衣装。そのハイネックの下に、葵の腕にあるような痣があることを、葵だけが知っている。


「あ、すたー」


 名前を呼べば、ちら、とアスターは葵を見た。そこに浮かんでいた初めて見る表情に、思わず葵は身体を震わせた。

 付き合いが浅くたって、察することの出来るものはある。


 あれは、たぶん、怒っている。それも、すごく。

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