第20話 正しい選択
「……同業者なんて初めて見た」
黒沢がぽつり、と言葉を零した。葵に見えたのは、彼の横顔だけだったが、それでも何故か、そのときだけは、普段大人っぽく見えていた彼のことが、年相応の男の子のように見えた。
しかしその表情はすぐになりを潜め、葵からも見えなくなる。
「でも、なにしにきたのかな。同類なら尚更、邪魔しないでほしいんだけど」
「残念ながら僕には、君がさっきまで話していた女の子の願いを叶えるって目的があるんでね。邪魔なのは君の方だよ」
「ああ、なるほど。話は聞いたことある。首輪付きって言うんだっけ。ご苦労様」
「うわ、腹立つ野良だな。君も揃いの首輪をつけてあげようか」
アスターがこちらに歩みを進めてくる。しかし、引かれた魔法陣の手前で彼は立ち止まった。
ふいに、アスターが杖を斜めに振りかぶり、その場で振り下ろす。ばき、と大きな音が鳴って、障壁が一瞬見えたと同時に、アスターの木の杖がまっぷたつに折れてしまった。
言葉を失くした葵の前で、黒沢がつまらなさそうに言う。
「無理だよ。魔法は既に発動してるんだから。藤村さんが選ばない限り、この魔法に外から干渉するのはまず無理。そういう法で、魔法陣を書き上げてる」
「だろうね」
アスターは折れた杖の先を拾い上げ、顔を顰めた。「気に入ってたのに」そう言うと、気に入っていたと言う割にはあっさりと背後に杖だったものを投げ捨てる。
それから、魔法陣の縁に沿うように歩いて、葵のそばまでやってくると、じっと葵を見下ろした。
「あ、すたー」
「こんなことで、君の願いを消費するのは、心底嫌なんだけど」
ぐ、とアスターの眉間にしわが寄る。まるで、あの日みたいだなと葵は思った。
失恋に泣かなかった葵の代わりに、今にも泣きそうだった、苦しそうだった、あの帰り道の彼が、またそこに居る。
「アオイ。君の願いでもって、助けてあげる。それでいい?」
葵は、ゆっくりと頷いた。元々、リカたちのことをどうにか出来ないかを考えた果てに、アスターの魔法に頼ろうとしていたのだ。
安堵が、葵の中を駆け巡る。だんだん熱くなっていくこの楔も、アスターが来たことで少しだけ恐怖が和らいだ。これできっと、なんとかなる。なんとかしてくれる。そう思った矢先だった。
アスターから、耳を疑うような言葉が聞こえたのは。
「わかった。じゃあ、僕はどっちを助ければいい?」
「……え」
意味が、分からなかった。
なんなら、ついさっき黒沢から耳にした、似たような言葉よりも、もっと理解が出来なかった。思わずアスターを見つめるも、彼は悪びれもなく唇を尖らせている。
「だって、どちらにせよ君が選ばなきゃ、僕は干渉できないし。そもそも、君が選んだとて、そいつはどっちも逃がす気はないし」
その言葉に、葵は、信じられない気持ちで黒沢の方へ視線を向ける。
目が合った黒沢は、葵に微笑みかけてきた。しかし、その口からアスターの言葉を否定するものは出てこない。
「まあね。まあ、誰に言ったって魔法使いなんて信じてもらえないだろうから、放置してもいいんだけど。でもさ、自分の後ろめたい秘密を知ってる人間を、わざわざ放置するのってリスクあるし」
あっけらかんとそう言ってのける黒沢に、思わず、視界が滲んだ。
「というか、じゃましないでって言ってるよね」
「いいだろ別に。君は一人居れば事足りるんだし」
ああ、彼らは魔法使いだ。今日何度目かの認識が苦しい。
アスターならきっと、願えば全員助けてくれるなんて思っていた、自分が、とても苦しい。
それから、同じぐらいに、むかむかと腹が立った。
「……選べるわけが、ないじゃん」
葵は、喘ぐように言った。
「私は、リカがいなくなるのも、私が消えるのも、嫌だよ」
元々些細なものすら選ぶのが苦痛なのに、命なんか選択肢の中に含まれたら、どうすればいいのかわからない。
お腹が熱くなって、恐怖がぶり返す。ずっと目覚めないリカの胸が、呼吸をするように上下しているのだけが、今の葵の唯一の救いだった。
滲んだ視界で、それでも鴇色だけは、ちゃんと捉えられる。零さないように力を入れながら、再びその色を睨みつけるように顔を向けた葵に、アスターはさらに言葉を重ねた。
「……じゃあ、こうしようか。君の選択が正しければ、僕はどちらも助ける。君の選択が間違っていれば、僕は選んだほうしか助けない」
「だから――」
黒沢の魔法を否定せず、むしろ若干理解すら示すかのような態度だったアスターが新たに提示した条件に、思わず黒沢が口を出す。
それはそうだ、この条件では、葵が「正しい選択」をした場合、黒沢のところには葵もリカも残らない。生贄が必要な魔法だというのに、生贄なしでは話にならない。
しかし抗議の口は、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。驚いて葵が黒沢を見れば、何かが黒沢の口をふさいでいる。それは、鳥の羽だった。それも、さっきまで黒沢の持っていた杖に装飾されていたものだ。
「うるさいな。魔法陣も綺麗に引けないような奴が、たかがSRになったくらいで僕の話の邪魔をするんじゃねえよ」
ぼろりと。葵の瞳から、涙がこぼれ落ちた。おかげで、滲んだ世界が再び形を取り戻し、アスターを中心に捉えてひどくクリアになる。
けれど胸の中だけはずっと嵐に会ったかのようにぐちゃぐちゃで、この場から動けないことだけがもどかしかった。
「アスターは」
知らないくせに。
「私に、どうしても選べって、言うんだね」
何も、葵のことなんて知らないくせに。
でも、アスターのことを何も知らないのは、葵だってお互い様だ。
内側には干渉できないんじゃ、無かったっけ。本当は、そんなの、関係ないんじゃないの。なんてったって、優秀と自負するほどなんだから。
言ってやりたくて、でも言えなくて、結局吐き出したのはそんな文句を内包した、別の言葉だった。
「……正しいとか、正しくないとか、わかんない」
選んで、って言われました。
あの子とその子のどちらかを、選んでと言われました。
「みんな、自分の物差しで良し悪しを判断するじゃん。私の中にある物差しなんか見向きもしないで、勝手に選んでなんて言って」
私は、選べなかったのです。
だって、どっちの友達も、大好きだったのです。
あのとき、どちらかをちゃんと選んでいれば、何か変わったんだろうか。どちらかとは、友達のままでいられたんだろうか。
友達のままでいられたとして、それでも、もう一人を私は諦めることは、出来たのだろうか。
それとも、選べなかったままじゃなくて、選ばないことを、ちゃんと選んでいたら、もっと違う結末が、得られていたのだろうか。
もうこの先もずっと、得られない答えだけれど。
「アスター」
葵は、アスターを見た。深い緑が、葵のことを見下ろしている。
出会った時からもうずっと、彼は、その目で葵を真っ直ぐに見ていた。
「……私は、いいから。だから、リカを助けてあげて」
葵は、選んだ。
その瞬間、かっと葵のお腹のあたりが、熱くなった。
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