第17話 警告音

 そうして、歩き出していった先で。

 案外、あっさりと目的のカフェにたどり着けてしまった葵は、正直拍子抜けしていた。

 百円玉を追いかけた時は、階段をかけ下ったり、ちょっと道ではないところを通った気もしていたから、もう少し夏の大冒険みたいなものを予想していた。

 だが、実際には歩いていく途中に小さな看板広告を見つけ、それに従って歩いていったらたどり着いたのである。


 あの黒いガチャポンは置いては無かったけれど、看板とメニューボードは今日も外に置かれていた。今日のメニューボードにはクリームソーダの他に、パンケーキの写真が貼ってある。美味しそうだ。

 その奥の、重々しい扉に手を伸ばして、葵は一旦その手を引っ込めた。どうしても、この扉を前にすると委縮してしまう。せめてお店の中身が見ることが出来たのならもっとハードルは下がったはずだが、実際に目の前にある窓は半透明で見えにくい。

 果たして、自分のような学生が一人で入っていいものかと思わずきょろきょろと辺りを見渡し、人目を気にしてしまう。


(いやでも。入らなきゃ、クリームソーダは頼めないし)


 ひとつ、深呼吸をして葵が扉に手をかけようとしたその時。

 ふいに、視界の端に見覚えのある誰かを見つけて、葵は弾かれたようにそちらを見た。


「……リカ?」


 人影が、道向こうの曲がり角に消えていく。

 思わず名前を口にしたが、けれど一瞬だったから、合っている確証はない。

 少しだけためらってから、葵は一気に曲がり角まで走って、リカらしい人影が曲がっていった方向をのぞき込んだ。

 その後ろ姿を、葵が間違えるはずがない。やはり、花岡リカそのひとだった。

 今日もバイトを無断欠勤し、体調が悪いはずのリカが一人で、何故かこんなところを歩いている。

 家が近い、わけがなかった。だってリカは、学校が近いからこの町にバイト先を決めたのであって、住んでいる場所自体はここの最寄り駅から二駅先、葵とは反対方向だ。

 夏休みだし、部活は入っていないとも言っていたし、全校登校日も終わったとも言っていた。その全部が彼女の口頭で知ったこととはいえ、そんなことで嘘をつくような子でもない。

 だからこそ、いまこのとき、たったひとりで、こんなところをふらふらと歩いている姿は、葵には異様に見えるほどだった。


 どくどくと、葵の心臓が鳴りはじめる。それは決してときめくようなものじゃない。緊張感に支配されて、今にも吐いてしまいそうな、胸糞の悪いものだ。


(……追いかけたら)


 もう一つ先の曲がり角に消えていく後輩の姿を見送って、葵は自分の胸元の服を、ぎゅうと握りしめた。


(無断欠勤の理由を、リカは、話してくれるかな)


 葵のことを大好きと言って憚らない可愛い後輩は、葵にだったら、なにかを話してくれるんだろうか。

 話してくれたとして、葵に出来ることはないかもしれない。それでも、話を聞けば、何か力になれることは――。


(……あ)


 ふいに、葵は、夏の桜吹雪を思い出す。


(私に出来なくても。私が、アスターに願えば――)


 葵の視界が、ふいにクリアになった。

 何を思うまでもなく、身体が勝手に地面を蹴る。

 今日はサンダルではなくスニーカーを選んできて正解だった。もう一度曲がり角を曲がった先に、リカの後ろ姿を見つけて、葵はいつになく声を張り上げた。


「リカ!」


 リカは振り向かない。そのまま、彼女の進行方向にある鳥居をくぐって、奥へと進んでいく。

 その後姿を追いかけた葵は、一度鳥居の前で立ち止まった。こんなところに神社があるとは知らなかった。けれど立ち止まった理由はそれじゃない。


 鳥居は石で出来ていた。しかし、所々が欠けていたり、皹が入っていたりで崩れそうにも思える。

 なにより、足元だ。石畳の周りには雑草がぼうぼうと生い茂り、鳥居をくぐってすぐに見える御手洗も背の高い草に覆われている。奥に見える拝殿は、小学生がみたらお化け屋敷と勘違いするほどおどろおどろしい雰囲気を纏っていた。


 要するに、手入れされている気配がない。まるで廃墟のような場所だった。


 躊躇う葵を置いて、リカは拝殿の方へと歩みを進めていく。

 その姿が、あまりにも葵には怖い。普段のリカなら、怖いと近付かなさそうな場所。葵よりもしり込みして、あんなふうに真っ直ぐ歩いて入っていくなんて出来ない場所。


 あれは、本当に花岡リカなのだろうか。


 頭の中で、再び警告音が鳴り響いている。

 それでも、いま、リカを見失わずに捕まえられるのは、ここだけだとも葵は理解していた。葵は手首の黒い輪を、もう片方の手で覆うように握る。


(……大丈夫)


 ぐ、と一度顎を引いてから、葵は顔を上げた。


「リカ!」


 後輩の名前を呼ぶ。それから意を決して鳥居をくぐった瞬間。

 目の前で、魔法陣が突然現れて、光輝いた。


「――え」


 お世辞にも、綺麗とは言えない円で出来たそれが、まるで葵を蜘蛛の巣にひっかけたかのように捉え、光を増していく。


 身体が動かなくなる。

 意識が遠くなる。


 そのなかで、ふいにリカが振り向いて、葵に視線を向けたのがわかった。その顔に、生気はない。いつもはつらつとした彼女が、今は能面のように表情を失くしている。


 魔法だ、と思った。『悪魔の法』と書いて、魔法。


 消えかける意識のなかで、リカの隣に誰かが降り立ったのだけが、わかった。きっと、いま葵を罠にかけた魔法使いなのだろう。

 誰なのか、顔を認識することは出来なかった。

 けれど、完全に落ちる意識の瀬戸際で、これだけは確信をした。


(あれは、アスターじゃ、ない)


 葵の魔法使いが魅せる魔法陣は、もっと正確で、綺麗だ。

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