第16話 もやもや

 膨らんだ不安は、ふわふわと胸の内側で風船のように心臓に紐で括られ漂っていて、葵の足を重くさせた。そうじゃなくても、いま葵には悩み続けていることがあるというのに。

 それでも、手離す訳にもいかないからどれもこれも自分に結び付けておくしかないのだ。

 葵は自分の手首を見た。最近は、この動作が帰り道のルーティンになっている気がする。未だ消えない痣は、葵が、アスターに願い事を言えていない証拠だった。



 告白も出来なかった失恋のような出来事の日から、もう一週間が経っている。

 あの出来事もあってか、アスターは葵に願いを急かすようなことはなかったけれど、それでも日に日に葵の方には申し訳なさが積もっていった。

 願い。けれど、あれ以上にぱっと思い浮かぶものはやっぱりいまの葵にはなくて、なんだか自分が、自分で思っていたよりもずっとからっぽな人間に思えてしまう。


 それから、付き合うようになった黒沢とリカの、不可解な無断欠勤。

 幸せそうなリカの姿は知っていたし、彼女と一緒にセットで見かけるようになった黒沢も、以前よりもリカを見る視線が慈しむようなそれになったのを知っていたから、順風満帆だと思っていた。けれどその裏側で、そんなことになってるなんて葵は知らなかった。

 駅までの道のりを一人で歩く。今日はアスターもいない。アスターは最近一人で考え込むようなことが多く、葵が話しかけても生返事を寄越すことが多くなった。

 同時に一人でふらっとどこかに出掛けてしまうこともある。葵のバイトや全校登校日が重なったこと、さらに葵からアスターを待たせている罪悪感もあって、最近あまりしっかりと話せていない。考えることが多くて、夏の暑さ共々嫌になる。


「なんか、いっぺんに、ばーんって解決できる方法があればいいのに」


 この胸の内で膨らみ続ける風船を一気に割ることが出来たら、きっと爽快な気持ちになるのだろうと思いながら、葵はいつもの場所で立ち止った。

 今日も夏は絶好調、入道雲は見上げるほど、いっそ麓の山を飲み込もうとばかりの勢いでもくもくだ。それを背景に、いつもの駄菓子屋さんは閑古鳥を飼いながら門を構えている。

 そうして、いつも通り、葵はその入口に設置されたガチャポンの自動販売機に歩み寄った。「あ」と声が出る。


「……ラインナップ、変わっちゃってる」


 下には光るパズルと、おせんべいのポーチ。上には人気のアニメキャラクターのラバーストラップと、葵が集めていた酉の魔法使いシリーズのフィギュアがあった。

 けれど、ついに業者が来たのだろう、全て総入れ替えになっていた。

 コンビニ弁当のミニチュアや、お花とケーキをモチーフにした可愛い指輪の玩具。それらのパッケージを眺めながら、ついにモズは手に入らなかったなと葵は肩を落とした。

 フランスパンのはやにえ、面白かったのに。

 そう残念に思いつつ、このカプセルトイを回し始めた理由が理由だったから、むしろ諦めがついてよかったのかもしれないと思いなおした。もし、あのモズが引けていたら、葵はもっと黒沢のことを引きずっていたのかもしれない。


 ふいに足元で何かがきらめいた気がして、葵は思わず視線を落とした。首を傾げるも、すぐに落ちているものの正体に気付いてしゃがみこむ。

 割れたコンクリートの間から生えていた雑草に隠れるようにして落ちていたのは、百円玉だった。誰かが落としていったのだろうか。あの日の葵のように。

 転がらなくて良かったねと思う反面、でも結局見つけられずにここに落ちているのだから、あまり意味がないかとも思う。むしろ転がった上に、ちゃんと無くさず捕まえられた葵の方が運があるんじゃないだろうか。

 とりあえず拾い上げて、駄菓子売り場の奥に居た店主に百円玉を預ける。それから、再び炎天下に顔を出した葵はふと、転がった百円玉の先にあったものを思い出した。


(そういえば、あの昭和レトロっぽいカフェ、やってるのかな)


 百円玉を追いかけて行った先。アスターと出会うことになった、黒いガチャポンの自動販売機が置いてあった場所。夏なのに、桜吹雪をみることになった、知らない場所。最初こそアスターとの出会いで混乱していたけれど、日を置いてから行ってみたいなと思っていたのだ。一応それっぽい店を調べてはみたものの、検索してもなかなかそれっぽいお店はヒットしなくて、消えた黒いガチャポンともども幻覚だったのではと思い始めていたところだったのだが。

 葵は、いつも通る駅に続く道とは別の方向を見た。

 なんとなく。なんとなくだが、葵は百円玉を追いかけて行った道筋を覚えている。


(……これを思い出しながら行けば、たどり着けるかな)


 特に今日は予定もない。朝一番の開店準備からバイトに入っていたから、電車の時間を考えても、夕食までにまだ余裕はある。クリームソーダくらいなら、胃袋の余裕もあるだろう。

 財布とも相談する。うん、なんとかなりそうだ。


「……よし、行ってみるか」


一人頷いて、葵は照り返しの強い道を歩き始めた。


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