第15話 軋む日常

「藤村さん、ちょっと、こっち」


 時計を見る。あと少しで勤務時間が終わるなと思っていた矢先、バックヤードにいた木内に声をかけられた。


「ごめん、今日バイトの時間延ばせるかな?」


 優しく申し訳なさそうな声のかわりに、どこか表情が固い。

 突然の申し出に、葵はもう一度時計を確認してから頷いた。夏休みになり、短期のバイトの人数が増えたこともあり、今日の葵は元々短時間でのシフトだったのだ。

 最近追加でカプセルトイに突っ込んだ金額のことを考えると、その提案はむしろ葵にはありがたい。ちなみにモズの魔法使いとの邂逅は、未だ果たせていないのはここだけの話だ。


 それはそれとして。葵は首を傾げた。

 残業を目の敵にする上司がいるせいか、働く時間はきっちりと守らせるこのバイト先でこういった提案をされることは珍しいことだった。

 ホールを見渡し、まだ片付ける机も帰りそうなお客もいないことを確認してから、葵は尋ねた。


「用事はないし稼げるからいいですけど……誰かお休みですか?」

「あー、うん、ちょっとそうなりそうで。俺、これから東くんに電話してくるから、ちょっとだけ一人で頑張ってもらっていいかな?」


 ちゃんと休憩時間もいれるから、と両手を合わせた木内に、葵は頷いた。

 木内が奥に引っ込んでいくのを見送りながら、誰か体調が悪いのだろうかと一人思案する。でも体調が悪そうであれば木内は問答無用で休ませる。「そうなりそう」と、確定してない言葉は珍しい。

 不思議に思ったが、呼び出しベルが鳴ったのを合図に、葵は考えるのを一旦やめ、オーダーを取りに向かった。



 そのまま、団体客が入ってきたり、細々した追加注文が続いたりとばたばたしていたせいか、葵が横に置いておいたその話題を、再び手元に引き寄せることができたのは、急遽早めの出勤になったらしい東がホールに顔を出してからだった。


「樹とリカちゃんがまた無断欠勤ってマジ?」


 東の言葉に、葵は思わず「え」と驚きの声を出した。


「初耳ですけど。っていうか、『また』って?」


 交代の時間になっても、今日シフトが入っているはずのリカの姿がないなとは思っていた。けれど木内の言葉もあって、体調が悪いのはリカだったのかと思いながらも、忙しさに誰にも詳細を聞けずにいたのだ。ようやく波を超え、一息つけた矢先にこれである。

 言われた言葉の意味が、名前を出された二人にあまりにも当てはまらないものだった故に上手く噛み砕けず、結果、東を凝視することになった葵に、東は気まずそうに頭を掻きながら言った。


「ああそっか。葵ちゃん、最近二人とシフトが被ってなかったもんな」


 夏休みのシフトが急遽変更になったのは、短期バイトが増えたからだったが、こっそり葵のシフトが黒沢やリカと被らないようになったのはおそらく木内による配慮だろうと思っている。

 詳細を話した覚えは無いし、葵は普段通りに過ごしていたつもりだったけれど、自分で思っていたより態度に出てしまっていたのかもしれない。

 別にそこまで気にしなくてもいいのにと葵は思ったのだが、しばらくはぽっかりした状態が続いてたのもあって、いまとなっては有難かったなと思う。短期バイトのひとたちが契約期間を終えれば、きっといままで通りのシフトになるだろうけれど、そのころには流石に立ち直れるだろうと葵は思っている。

 現に、すでに葵は、時々会うリカが、黒沢が幸せそうに笑いあっているところを見るのが好きだった。

 しかし、無断欠勤とは。しかも『また』とは。思わず問いただせば、東はすんなりと詳細を教えてくれた。


 とはいえ、言葉のままだという。最近、黒沢もリカがバイトの時間になっても来ないことが増えたそうだ。

 連絡もなくバイトを休み、こちらから連絡を取ってもなかなか電話が繋がらない。繋がったとしても、二人とも体調が悪いの一点張り。ただ、親御さんに連絡を取っても同じ言葉が返ってくると言うのだから、どうにもお手上げ状態らしい。

 おかげであの木内さんが珍しくピリピリしてるんだよ、と東がため息をつきながら言った。


「最初は色ボケかな~とか思ってたんだけど。流石にここまで頻度が高いと他に理由があるんじゃねって勘ぐっちゃうよなあ」

「そもそも、無断欠勤する二人でもないですしね」

「そうなんだよなー」


 黒沢は時間きっちりを守るひとだし、遅れる旨はいつだって先に連絡をくれるひとだ。この間の葵とも待ち合わせだってそうだった。

 リカは、時々連絡を忘れることがあるけれど、そういうときはだいたい遅れて平謝りの電話が来る。しかしそれすら無くなったというのだから、二人を知っている身としては首を傾げる他ないのだ。確かに二人は恋人同士にはなったけれど、それが影響したとして、ここまで顕著な変化が訪れるものなのだろうか、と。

 どちらにせよ、この状態が続けば、黒沢もリカもここでのバイトは出来なくなるだろう。


「俺、あの二人と話すの好きだから、クビになってほしくねえんだけどなあ。樹もリカちゃんも、どうしちゃったんだろうな」


 寂しそうにそう言うなり、席が空いたのを確認した東は、空っぽのトレーを持ってホールに片付けに向かった。

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