第5話 もしNが
何かを言うところだったのか、それとも渦巻きのごとく狂気の現在性が際を超えようとKにすがりついたのか、我々がちょっとよそ見をしている間にKの背中に新しいクモの巣が現れていた。ややもすれば憐憫が目覚めかねない。狂わせるよりほかない。
工夫の末、我々は秩序に新たな要素を追加することに決めた。それを「N」と名付け、それからKはNという、言葉にならず掴めない軸を得たのである。
Nは同義語だ。Nは繰り返しを隠す。同義語。しかし、同義語は巡り会うことはない。我々も、Kに会えない。何があっても自分は自分に向いていないのだ。Nは、掛けておいた布のように、雨が降ると濡れ、日差しが当たると乾く。「ように」の「ように」、反復。
鏡よ鏡よ、この世で一番美しいのは誰?
童話の特徴とは、それが童話ではないということ!童は童話に根ざしており、童話の考案世界における童話ではないことにしたがい、童話のない童話を読み解け、最後には童話を書く。最初と同じくなろうと。
童話の同義語、全て。その要因、それらによって、我々の世界は何かになり、何か曖昧なものに変わり得るのだ。その要因とは、時と詩を成立させる自制心、生きている詩調だ。すなわち、事物の真と偽りは童話の器に描かれた絵、食べられない食い物。
我々の世の論理は、童話や寓話の歴史によってその姿を現す。あり得ることは創作に障害物になりがちだ。つまり、創作はありえないことをあり得ることとして扱い、そのあり得ることとなったものを捨てるのだ。動きの形態は大きく二つの風景を求めてゆく。風景、死に掛ける生物のようにやせさらばえる。風景、死の恐怖を感じ、見えるものであれ見えないものであれ関係なく、握った全てを自分の細胞として体に取り込む。
もしNが、もしNがー
一貫した表現とリズムを持たせることを、そのしきたりを避けられるかどうかが重要。
Kは立ちすくんだ。
鏡よ鏡よ、鏡のように。
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