第3話 希望

テレビ画面に映っていたのは、ある記者会見場だった。一群の記者たちが一人の女性を囲んで録音機を顔に近づけていた。連続で焚かれるフラッシュと興奮した呼吸のせいか、彼女の口は何も出せずに、まるで悪い拍動のように開け閉めを繰り返すだけだった。涙を拭く彼女の手は頭に比べてかなり小さかった。彼女はこう叫んだ。


「私を食わないで! 私は違う。小人症だからといって知能とは関係ないじゃない!」


Kはチャンネルを変えた。また同じ記者会見場だった。Kはチャンネルを変えた。同じ記者会見場だった。Kはチャンネルを変えた。彼女の身の上についてのドキュメンタリーだった。


我々はこのように理解してKに説明した:彼女は文明から遠く離れたある密林の部族に生まれ今まで生きてきた。その部族の人々は、十数年前までは他の部族との接触が一切なかったゆえ、先天的に知能指数が非常に低く、しかもあらゆる身体障害も伴って生きていた。文明の人たちはその秘密な部族を発見してから、いわゆる「啓蒙主義」による様々な認識教化的装置、なお医学的措置を実行しつつ、一方で人類学の転換点という美名に突然酔って、彼らの生活から太古の名残、無意識の鉱物を探り出そうとしていた。やがて部族の地は文明の軽薄な好奇心と猟奇的観察場同然になった。部族の出産率は高かった上に、外部の人に対する警戒心は全くなかったためだ。

しかし、文明の暇つぶしのいたずらには確かな流れがあり、その流れの流速と状態が円滑でなければ腐ったり溢れたりしがちだ。文明の人たちは限界の円を描くのが得意。限界点のある限り決断にも意義ある。今度も文明の決心はいつも通り卑怯だった。簡単にいうと、これまでの経験に基づいた史的理論と技術はその根本に原始に向けた憎しみ、抹殺させようとする欲望があった。文明の人々はその部族を家畜として扱うことに同意した。


Kはチャンネルを変えた。また同じ記者会見場だった。彼女はこう叫んだ。


「私はテストで合格した。社会に役立てろと言ったのはあなたたちだよ。なのに、どうして私は密林にとじ込まれて屠殺されなきゃいけないんだ!私は違う。私は理性のある同じ人間だ!肉ではない!」


Kはテレビを消した。彼女の叫び声がまだ聞こえているようだった。Kは人の肉を食べる現象には興味があったが、実に人肉を手に入れ、調味料を混ぜ、そしてそれを思う存分口にするなんて、気軽くできることではなかった。どちらかと言うと、Kは食い道楽を相当に軽蔑する。他の生きていた何かを珍しい材料として研究し、解剖して部分に分けて取り出し、それを何度も別のものと組み合わせる。その全ての行為が美味しく食べるための儀式に過ぎないとは、考えてみれば気まずいことだった。材料学こそ人間の自意識と文化の始まりであるかもしれない。この許可から派生する様々な悪意の込めた試みと結果によって、世界は生存本能の動機を身体に取り戻すことができる。


「徹底した苦痛にとらわれた人間にとって、食べ物は恐怖そのものだ。」

「食わず嫌い!」


いい天気だった。外に出てぶらぶら歩くのも悪くない。外に出ようとしたら、外に出る玄関のドアが一つではないことに気づいた。Kはためらうことなく、一番近いドアを開けた。いい天気だった。前庭のところどころ雑草が生い茂っていた。


「ほら、自転車じゃん。」

「ほらほら、乗せてもらおう。」


木陰に庇われた片隅、靴が山積みになっていた。全部男性用の黒い靴だった。素足だったKは喜んで一足を履いてみた。両方の大きさが全く違って、右はすぐ脱げそうだった。この世は、常に右が大きい。仕方がなくてそのまま自転車に乗ってみたら、やはり右の靴は脱げてしまった。この世は、右ばかり問題を起こす。右を捨てるしかない。人は生まれてから問題に対する体力と知性を鍛えてゆく、だが、Kは早く結論を出せる瞬間的な選択の方が良いと考えてた。一度起こった事態は永遠の未決定になってしまう。幽霊になるわけだ。従って、事態に向けてどうするべきかはそもそも決まっていない。透明な存在には透明な視線が妥当、つまり、無視だ。眩惑は人が幽霊にかける呪術、その反対命題はまた眩惑を眩惑しようとする。Kは右の靴を捨てた。考えることもなかった。Kは幽霊を解放させた。この世の中で問題は右ではなく右を捨てることができなかったすべての方向性だ。Kは走った。生き甲斐のたくさんある人はきっと困るんだよなと思いながら。人を愛することだけは足りない、同情こそが理性の舌、真の高次元だ。Kは笑った。我々は笑わなかった。ハンドルを握っていた手が少しずつ緩んだ。Kは思い出した。Kが子供の頃飼ってた犬は毎朝布団の中で自分の体を舐めた。Kは熱中してるその犬の内腿を右手でそっと握るのが好きだった。過去の幽霊、過去の幽霊、過去の幽霊、過去の幽霊、腐ったものだ、とKは空に向かって怒鳴った。いらないから省くのだ。忘却に逆らおうとしてもきっと新たな嘘が混沌を紛らわせる。そして幽霊の歪曲は加わっていく。


未舗装道路が続いて輪がやたらに曲がった。Kは分かれ道の前で立ち止まった。右側に細い抜け道があった。山の奥深くまで続いているかもしれない。Kは右の道に入った。地面に草がないのは、結構人の通行があるという証拠。そう思って走ったら実に人がいたのだ。夫婦のような二人の老人が道端に座って何かを食べていた。Kは老夫と目が合ってしまったが、何も言わずに二人を通り過ぎた。すぐ前に村が見えた。


「この村、山のへそだ。この村さえ過ぎれば山の胃袋に着くだろう。」


その瞬間だった。左の坂から大きな犬一匹が駆け下りて来た。犬は大きさも毛柄も虎に似てた。その獣は自転車の前に立ち、Kをじっと見つめた。やつは一気に飛びかかってくる気だ!Kは素早く後ろを向いて精一杯ペダルを踏んだ。犬は追って来なかった。老夫婦は帰ってきたKをちらりと横目で見た。Kは老夫婦のそばに自転車を停めて降りた。呼吸の苦しさを整えようとした。


「あのう、すみません。あそこにいる犬って、危ないやつですか。」

「犬?」

「はい、熊みたいに大きい犬でした。」


老夫婦は何の事か分からない顔をした。老夫は頭を掻いた。


「すまないな、白いやつだった?」

「いえ、黒かったんです。」

「すまないな、よく知らなくてね。」


しばらく沈黙した後、白い頭巾をかぶった老婦がKにキャンディを差し出した。


「これ食べて行きなさい。」


Kはキャンディを口に入れた。桃の味だった。


「でも、本当に知らないんですか、あの犬。」

「捨て犬かもね。」


老婦がまたKにキャンディを差し出した。


「自転車は早いから追っかけないよ。」


Kはキャンディを口に入れた。桃の味とシナモンの味。


「あのう、この道って、どこまで続きます?」

「まあ、どこまでなんだろうね・・・」


老夫婦は、この周辺と村について何も知らないと言った。それと同時に、まるでこの村に住む人のようにいくつかの名前を出しながら話を繋ごうとした。


「お二人は本当に何も知らないですね。」


Kはとりあえず家へ帰ることにした。あの犬に向き合う自信が全くなかったのだ。右の足に血が出た。老夫婦はそれを見ても何も聞かなかった。ただ、自分が気づいたことをKにばれたくないかのようにぎこちなく笑った。

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