第2話 会話

Kの中には会話がなかった。なぜなら、Kにとって会話とは何なのかを知る必要がなかったからだ。相手という対象、対象という解析物。日常は段階に過ぎなかった。Kは音声と発音を捨て、あとは表情の変化まで諦めた。面倒くさいのは面倒くさいだけだった。日常は段階に過ぎなかった。蜘蛛の群れは毎日死んだ蜘蛛の群れを運んできた。群れで、全部群れで全ての物事を並列させて群れで理性の時刻に埋めた。我々はKに毒を与えた。群れは必ず来るはずだった。真の毒、真の理解、我々は楽しみにしていたわけだ。我々の楽勝だと思いきや、Kは自分が隠しておいだ眼球をその毒の中に入れた。大驚愕。

しかし、それが完全に変わった。群れはもういない。Kは我々の衝動を許してくれるかな。


「待ち切れなかった。」

「許してもらえるかな」

「我々、Kを殺したぞ。」

「Kは死なない。」

「Kは死なないうちに死ぬんだ。」

「会話を教えてやるよ。相手は壁、まず否定することからだ。」


否定するのに何の用意すればいいのか。実物はいらない。否定はすればすることだ。我々はKの顎を握りしめた。硬くなって開けるのがとても難しかった。乱暴だが仕方なかった。Kはどんな言語にも慣れていなかったからだ。Kのあごが折れた。仕方がなかった。ようやくKの舌が垂れ下がった。時間がなかった。永遠の時間でさえ、限定された時間との違いはないのだ。観念は憂うつになる。動けやすくなった。手のひらにKの歯が触れ、奇妙な満足感が広がった。我々はKによって満たされる。温順なあご、ゴツゴツした歯。Kの流したよだれに反抗が滲んでいたが、仕方なかった。骨折は鬱病になる。何を否定してみるのか。否定その心理を否定すれば。我々は、その顎を、ぶつかる直前の空きを、ああー、滑り、握った、握った。


「静寂を首に付けて間も無く来る印象を無視します。無知とは住むのも管理するのもたやすくない所です。あるべきものはあらかじめあり、存在は有無と呼ばれる厚くて臭い毛布の子として生まれ、つまり想像の子、そしてありもしない血をありもしない器につぎ込みます。知識とはそのありもしないことの臍です。見苦しいです。原則が描く針路の上に、そのしわに垢がたまり、腐って腐って空っぽの脈しか残っていません。無知なままでいることは、不十分な重荷を背負ったこと、それは過酷な試みであることが常に証明されています。義務といえます。その義務に逆らいます。自由は障害の烙印です。甘いりんご。すべての生物は、自分が動けるかどうかにかかわらず、穴を目指します。低い天井が噛んで止める光の緑、結合は隠蔽され、穴狩りは続きます。あなたはどうしますか。穴を追いかけて、食い尽くすつもりなんですか。まるで葉っぱの虫のように。習性と本能は別の問題ではないとよく言われます。現れた形はとにかく原始原因から出され、その痕跡を身に刻んでいく、つまり、生まれながらに持っている生存や繁殖に関わる内的外的な何かに基づいています、と。結局のところ、順理の至る世の中では根源しかありません。私はそれを否定します。過程の導きなどは一切考えません。破片ではありません。解体、解体されますが、そこに始まりと終わりはありません。現象の目撃、またそれに従う現象の発現、その発現の願いを否定します。りんごの甘さ、りんごの苦味。覗き見るのはもう、うんざりです。見られているという情感こそが区別の背景。何をどこで、どんな象徴として位置づけるかは一瞬の生命なんです。生命は断切されます。膜が破れるかどうかの境。それを否定することで満開になります。何にもならない何かが。ですから、何かを考え出すのが失敗に違いありません。文法で文法だからできる失敗をするのです。不満足は監獄、満足は遅鈍、利口者は悪、迂闊な者は地雷。比喩で比喩だからできる失敗をするのです。言葉は吐き出されて終わることではありません。言葉には修正が不可欠なんです。修正できない言葉なんて放屁と同じです。ゆえに、言葉で否定できない自分自身は存在していない、陰気くさい煙、もしくは悪臭です。流されます。言葉の外に。死んだから言葉の沼に嵌る身の上は一層見窄らしいでしょう。生きている間、自分に抵抗し、自分自身の全てを引き裂いて、自分自身の全てに違反となる全ての構成を求める、そして行動の足元を切る、それが何よりです。」


Kの顎は柔らかくなっただけに弄ばれやすかった。軟弱なものを触る時、思わず警戒を解く恐れがある。一瞬覆てしまう。だから面白いのだ。我々は自滅の中毒性に詳しい。島が浮かぶ、それは大変。我々は弱いものに弱い。島はひっくりかえる。


「あまり押し付けてダメ。」

「精神が逃げちゃうかも。これ、童話じゃないからね。」

「あまり握りすぎると、顎が取れちゃうよ、我々の損。」

「Kに何かを考えてもらおう。」

「Kに何かを言わせよう。」


我々は文法が好き、待つ暇がなかった。無限には余裕なし。我々はもう一度その顎を押し潰した。絞った。絞り上げれば出るはず。柔らかさの中でも硬い部分はあり、そこで亀裂が生じて今まで流れるように浮いていた配列が崩れることになり、維持していた緊張全体が溢れ出て初めて外と混ざる。感触になる物事の刹那的な硬直こそ風景を変えられる。Kが何か言おうとした。


「ひどい偏見でしたね。有り勝ちな考え方だからといって安心できるわけがない。ひどかったです。上から真っ黄色の液体がホースを伝って滑り落ちました。ひどかった、本当に。液体には関節なんかないでしょうね。確かになかった。でも、間間に気泡があって、それがなんとなく接点に見えて、なんらかの愛情見たいな興味ができちゃって、まるでそれが同じ生き物として共感を表していると思ってしまいましたね。えらい寂しさだった。恐怖も腐敗もない完璧な的確でした。難攻不落。不自然さからなる生態系でした。それでも、髪の毛一本一本神話の声が届いてから、そんなしんどい形でいるにもかかわらず皆んなうめき声をあげ始めました。舞でした。間違いのない舞でした。あんなに大変だったのに。」


我々は軟弱なものに弱い。これは我々がKを捨てるまでの物語だ。我々はKを闇から引き抜いた。外は真っ白だった。違う、真っ黒だった。違う、真っ白だった。違う、違う、真っ黒だった。違う、違う、違う。この物語は、Kの散歩の記録だ。反復からなる汚れ。弱い肉体でも破裂音ができる、そこにいる限り、他者に複雑な負担を掛けながら乱雑な負担を受ける、いる限り。



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