放課後のこと
※
放課後。
「なんのなのさ、馬鹿にしなくたっていいじゃん」
二人でネタ合わせのために、空き教室で過ごしていると、杏樹が急に声を上げた。
「あー、もう! あのネタ、M1でも結構いけるって、なんでわかってくれないの!」
地団太を踏み、杏樹は頬をぷくーっと膨らませて、悔しそうにする。
「絶対に勉のネタ面白いって」
杏樹が俺の腕に絡みついて、思い切り、前後にゆすってくる。上目遣いをしながら、「うっー」とうなり、必死に自分の主張が正しいと訴えてくる。杏樹はまるで俺のネタに恋しているかのようであり、強く印象に残った。
おかげで勉は自分たち漫才コンビがなぜできたかを昨日のことのように簡単に思いだすことができる。
高校生一年生、一学期、友達もできず、退屈な中、勉が図書室で黙々と一人でネタを作って、誰にもわからないように一人で笑っていた。そんな中杏樹が「なーにしてるの」といって、楽しそうに覗き込んだことがきっかけだ。
「私、いつも家でさみしいんだ、面白いことなーい?」
まるで子犬が主人がしばらく帰ってこないことをさみしがるかのように見つめてきた。クラスでいつも明るくふるまっているのが嘘みたいに本気で悲しそうだった。
「ねぇよ、俺とかかわってもつまらないぞ」
当時、勉は自分の自分しか笑えない駄作ネタを必死に隠そうとした。
しかし、杏樹が寂しそうであるのは本当な気がした。
勉はネタを読みたいなら読ませてやるかという気持ちで、杏樹に仕方なしにネタを渡した。
すると、杏樹は真剣にネタを読んだ後、「すごく面白い」と涙を流して、おなかを抱えるほど大爆笑した。
「人生って楽しいんだね」
クラスで見る空元気でいる杏樹と違って、すごく楽しそうに見えた。
暗そうだった顔が嘘みたいに晴れて、とてつもなくきれいな笑顔で女神でも降臨したのかと思ってしまうほどだった。
勉は明らかにつまらないし、自分しか笑えないネタを笑ってくる杏樹の笑顔を見て、すごくうれしくなった。
「もっと面白いネタがあるぞ、見るか?」
何かを抱えている杏樹を本気で笑わせて、元気にしたくなった。
しばらくネタを読むと杏樹はとてもきれいな笑顔を見せた。
「ありがとう、嫌なことばっかだけど、すっきりしたよ」
杏樹がいつになく、しんみりした様子でつぶやいた。
勉にとっては恋愛感情ではなく、やっと自分のことをわかってもらえた気がしてすごく感動したお礼のつもりでしかなかった。
杏樹が「このネタすごいって!私、みんなをもっと笑顔にしたい、勉と一緒なら絶対できるから協力してくれない?」とすごい笑顔で言われて、「う、うん」と勢いに押されて、あっさり結成が決まった。
それ以降、暇さえあれば杏樹が押し掛けてくるようになった。
勉が毎日ネタをかけるのも必ず杏樹が笑ってくれるということに甘えているだけに過ぎない。
杏樹がいいやつ過ぎて、自分なんかのネタでも笑ってくれるだけ。
調子に乗らないように何度も自分に言い聞かせる。
ふと、そんな思いにふけっていると、杏樹が突然、叫ぶ。
「私が世界中に笑顔を咲かせるんだ、天まで届けー!」
杏樹は両手のぐっーを胸の前で作る。口癖のように杏樹が世界中に笑顔を咲かせるという。
しかも、天まで届けとはずいぶん大きくでたものであり、スケールもでかい。
この杏樹の底抜けの明るさにはいつも助けられる。
勉はふと思うことがあったので、杏樹に聞くことにした。
「なんで漫才に杏樹はそこまでこだわるんだ? モデルでもアイドルでもやっていけるだろう、芸能界に入るならそっちのほうがいいだろ?」
街を歩けば、誰もが振り向くオーラもある。
底抜けに明るくて、いるだけで周りを元気にする力もある。
杏樹には圧倒的な華もある。
おそらく、成功するであろうファッションモデルのスカウトも延々と断って、なぜか漫才師をやっている。
「勉は私のことをずいぶん、かってくれるねぇ」
杏樹は突然寄ってきて、左で口を押えつつ、嬉しそうに右手で胸をツンツンとついてきた。
本当に距離感が近い。
勉にとって、杏樹はギャルという種族のテンプレートイメージに当てはまっているように感じる。
ノリが軽いし、フレンドリーで、その上、すっごく明るい。ボディタッチもしてきて、エロいところもある。オタクとは対極的な存在である、派手さがあり、コミュ力抜群の陽キャであり、クラスカースト最上位だ。
勉はなぜ自分なんかとかかわってくれるか今でもわからない。
「私のこと、好きなの?」
こてんと勉の肩に杏樹は頭をのせる。
勉は本当にギャルの距離感の近さは感覚がバグっていると心臓の動悸が止まらない。
「ち、ち、ちがう! 漫才をやるうえでそこを知るのは大事なことだろ」
「私、かわいいのに?」
杏樹は上目遣いで見上げてきて、勉はなおさらドキドキする。
「あくまで相方だろ、男女コンビだから恋人って安直すぎだろ」
勉は杏樹に好意はあるもののそれを表に出す自信はない。こんな魅力的な杏樹の恋人だなんてふさわしくない。かっこよくもないし、気の利いたセリフも言えないし、さらに、面白い人間ではない。
会話している中でもそんな自虐思考がぐるぐると頭を回っていた。
「ふーん、まぁいいよ。漫才をやる理由ね、え、え、えっと、お笑いが好きだから、それじゃだめ?」
目をきゅるんとさせ甘えてくる様子はチワワを彷彿させる。杏樹がいたずらっぽく笑い、誘惑してきてるから真面目に答える気がないのかと勉は気づけた。
話すつもりがなさそうなのでそれ以上追及することはやめることにした。
「さーて、ネタ読みの練習とかするかぁー」
背伸びをすると、その豊満な胸が強調される。
勉は顔を赤くして、慌てて目をそらす。
そんな勉の様子に気づかず、不思議なそうに杏樹は首をかしげると、勉の目をじっと見つめてきた。
「私たちの面白さを見せつけてやるんだからねっ、勉」
とっても明るい笑顔で杏樹は全力ピースで見せつけてきた。
しかし、ネタを読み始めると、すぐに杏樹の顔は真剣そのものへ変わる。
一見、何も考えず、ただ明るく、軽そうにふるまっている杏樹だが、 漫才の練習中は普段のクラスでのキャラと全く違う気迫を感じさせてくれる。
勉はやはり杏樹のその姿に疑問を覚えずにいられない。
本当になんでそんなに漫才にこだわるんだろうか?
人の笑顔を作るだけならそこまで真剣になれるだろうか。
でも、申し訳ないことがあり、杏樹のその思いに答えられない。
勉は自分たちのお笑いについて分析している。
勉自体は自分自身はつまらないし、ネタも上手じゃない。すべて笑いにつながっているのは、杏樹の魅力という青空ライオンの武器のおかげと。
だからこそ、コンビを結成以来、勉はいかに杏樹の魅力を引き出すかというネタを書いている。
「ばきゃーん」
気合が入りすぎて、杏樹がネタ読み中に噛んでいたりする声が聴こえていた。
杏樹も杏樹でいろいろプロのお笑いを研究している。
活舌が悪いところはあるが、一生懸命カバーしようと練習しようとして、少し涙目になっていた。
同時に、杏樹が「絶対勝つもん」と言いつつも、肩が震えているのに勉は気づく。
だけど、勉も不安が強くて何も慰めてやることができなかった。
杏樹が夢をまっすぐ信じる気持ちに共感ができない自分が悔しく、高校M1選手権を迎えることになる。
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