第26話 Vanilla Sky

 湯気のたつマグカップを前に、壮介は柄にもなく緊張していた。さっきまで車の中では普通に話していたのに、場所が部屋に変わっただけで途端にぎこちない会話になり、お互いの顔を見れずに何となく前を見つめていた。

 大きめのトレーナーに膝が見える丈のふんわりとしたスカートを履き、ソファに腰かけて両手でマグカップを持っている瀬那の横顔をそっと盗み見る。肩にかかる柔らかな黒髪を耳にかけ、やや大きめのリング状のピアスが頬のえくぼの上で微かにゆらめいていた。華奢な体つきだがそれなりにしっかり筋肉はついており、顔立ちと合わせて全体のバランスが整っている。壮介はその左腕に残る傷痕にそっと触れた。理不尽な客に絡まれた時に割れたグラスで切った痕だ。

 「目立ちます?」

 照れ笑いをしながら瀬那が聞いた。

 「傷痕は残らないって医者が言ってたから大丈夫だよ」

 「あの時はありがとうございました」

 「もう、あんな無茶はしないでほしい」

 「あの時はたまたまです」

 「君は優しいから、きっと何かあると誰かを庇って自分が傷つく。でも、もっと自分を大切にしてくれ」

 「はい」

 嬉しそうに頷く。壮介は瀬那の手からマグカップを取ると、テーブルの上に置いた。そして軽く顎に手をかけ、上を向かせる。緊張した面持ちでまばたきをしている瀬那の唇に、壮介はゆっくり自分の唇を重ねていった。

 初めはついばむような軽いキスからだんだんと舌を絡めていくと、瀬那が徐々に喘ぐような息遣いに変わっていく。壮介はトレーナーの裾から手を入れて滑らかな肌をまさぐり、硬くなっている乳首を指先で転がした。その感触に瀬那は思わず声をあげる。

 「……私、まだ何もしてないから胸ないですよ」

 「そんなの知ってるよ」

 「壮介さんは胸の大きな子が好きなんじゃないんですか?」

 「誰に聞いたんだ、そんなこと」

 「だって、前は美優のことを好きだったでしょう?」

 「それって妬いてくれてるのか?」

 「そういうわけじゃ……」

 瀬那は紅潮した頬でやや目を潤ませながらこちらを見上げる。壮介はその瞳をじっと見つめながら、膨らみのない胸を撫で続けた。

 「悪い、やっぱ無理だ」

 「え……?」

 「ごめん。今日はコーヒーで、次はデートで、その次はお酒飲んでって順番に考えてたけど、やっぱ無理だ」

 「壮介さん……」

 今にも泣きそうな表情で瀬那が見つめる。

 「いいんです。わかってます。やっぱりちゃんと胸がある女の子がいいん……」

 「ごめん、もう我慢すんの無理」

 「え?」

 そう言うと壮介は瀬那をお姫様抱っこの形で抱きかかえ、部屋の奥にあるベッドへと運んだ。そして背中から優しくベッドに降ろし、その上にまたがるようにして覆いかぶさった。

 「順番なんか待ってられない。今すぐ君が欲しい」

 「あの、壮介さん……」

 何か言おうとする瀬那の唇を塞ぎ、片方の手はスカートの中で太腿の内側を撫であげる。

 「あっ……待って……」

 「イヤだ。待たない」

 細い首筋に唇を這わせ、鎖骨の辺りを強く吸い上げると、紅い痕が残った。

 「バカみたいだけど、自分のこと棚に上げるけど、でも俺は君の過去の男に嫉妬してる。この唇にキスをして、この胸に触れて、ここに他の男が……」

 引き締まった瀬那の尻を壮介の手が撫で上げる。その指先が敏感な部分に触れると、瀬那は思わずビクッと体を仰け反らせた。

 「そして君にも嫉妬してほしいと思ってしまう。嫉妬して、俺だけに夢中になってほしいって」

 「……刑事さんなのに、鈍いですよ」

 「俺が?」

 「そんなの、もうとっくになってます」

 そう甘い声で囁くと、壮介の首に腕を回して引き寄せ、キスをした。壮介はその唇を離さないようキスを繰り返しながら着ていたシャツを脱ぎ捨て、瀬那の下着を脱がせる。

 もっともっと夢中になってくれ。

 俺だけを見つめて、俺だけを見て笑ってくれ。

 自分にしがみつくようにして漏らす瀬那の甘い喘ぎ声を聞きながら、壮介は蕩けるような感覚へと深く溺れていった。


 「……で、犯人はどこまで自供したの?」

 蒼空は赤ワインをグラスに注ぐと、ベッドサイドの小さなテーブルの上に置いた。久しぶりの夕食後の酒だ。そのままベッドにあがり、陽大の隣に座って足を伸ばす。ショートパンツから覗く白い太腿を陽大は思わず目で追う。

 「だいたいのところは自供しているけど」

 「何か不服そうだね」

 「精神鑑定を要求している」

 「そうなの? サイコパスだって自覚あるから?」

 「いや、班長はサイコパスなんかじゃない。三人を殺害したってことに関しては確かにまともな精神を持った人間じゃないけど、仮にサイコパスだとしても警察で班長としての仕事をしているわけだから、少なくとも善悪の判断はしっかりできてる。責任能力がないなんてありえない」

 「動機は?」

 「まあ、そこが精神的に異常と言えばそうだけどな……聞きたいか?」

 「うん杉浦さんのことだって知りたいし」

 「そうか。じゃ、こっちにおいで」

 「こっちって?」

 「ここ、俺の前。俺が後ろから抱っこするから」

 「何で?」

 「だって、杉浦さんの話とか、やっぱ聞いててつらいだろ? だから俺が最初から抱きしめてる」

 「……そんなこと言って、変なこと考えてるだけでしょ」

 「違うって、本当におまえが心配だから抱きしめててあげたいの」

 「ふーん」

 そう言いながらも、蒼空は素直に陽大が広げた足の間に入り、もたれかかった。

 「いい匂い」

 「ほら、やっぱりそうだ」

 「だってホントのことだし」

 「いいから続き」

 照れているのか、前を向いたまま蒼空はワイングラスに手を伸ばし、一口飲んだ。陽大は両腕を蒼空の腰に回し、首筋に軽くキスをする。蒼空はくすぐったそうに体をよじった。

 「あの時、おまえが甘えた声出してしがみついてきたの、あれマジで可愛かった」

 「あれは演技だったんだってば。あの人が怪しいと思ったから、悟られないようにと思ったの」

 「確かにいつものおまえじゃないなとは思ったけど。でも可愛すぎた」 

 「わかったから、早く続き」

 「照れてる?」

 「うるさい。あの撃たれた刑事さんは助かったんでしょ?」

 「ああ、わずかに急所は外れていたからよかったよ」

 「それはやっぱり、さすがにためらったのかな」

 「本人は否定してるけどな。本当のところはわからない」

 「でもよかった。意識が戻れば、事件解決も期待できるでしょ」

 「そうだな」

 陽大は淡々と取り調べに応じる相原の姿を思い出す。まるで他人事のように、秦の姉と交際していたことや、最初の事件との関わり、雅人や杉浦紬の殺害について語っていく。そのすべてを信じていいのか、陽大にはまだわからなかった。

 −俺のミスは、優秀な部下を持ってしまったことだ。秦を犯人に仕立てようとして、つい姉のことまで喋りすぎてしまったが、そこに気が付くとは思わなかったよ。

 −優秀なのは秦じゃないですか? 班長のこと、疑ってたんでしょう?

 −ああ、そうだな。あいつは初めから俺を疑っていた。ここに来た時からだ。あいつの姉と俺が付き合っていたことも、半同棲のような生活をしてたことも、あいつは姉から聞いていたはずだ。血がつながっていないのに、あの二人はなぜか仲がよかったからな。だから姉が自殺した時、あいつだけはきっと疑念を抱いていたんだろう。

 −それはどういう意味ですか?

 −俺は警官になってからたくさんの事件を担当してきた。いろんな死も見てきた。俺が一番嫌いなののは、自分でやっておきながらいざ捕まると涙を流して許しを乞う奴らだ。自分のやったことに責任すら取れない。それなのに許してくれと懇願する。あの顔に反吐がでるんだよ。お願いだとすがりつく姿が俺は何より嫌いなんだ。


 そう、お願いだと言いながら涙を流してすがりつく。やめてくれと言いながら俺に抱かれてよがり声をあげる。そして俺の前で弟のことをわざとらしく褒めるのだ。

 最初の女の現場に着いた時、相原は念のため第一発見者である伊東の対応を秦にさせ、自分が先に部屋の中に入った。そして、被害者の口の中に残されていた自分のハンカチを見つけた時、一瞬血の気が引いた。これを調べられたら間違いなく自分に辿り着く。相原は動揺しながらもできるだけ冷静に遺体の状況を調べているふりをしながらハンカチを引き抜いた。

 あの場面を秦が目撃したのかどうかはわからない。だが、その後の秦の行動を考えると、ハンカチを抜き取る場面は見ていなくても、どこか怪しい動きを察知したことは間違いないだろう。

 秦が自分と同じ部署に配属になり、自分の直属の部下として働くことになった時、いつかはこうなるだろうという予感を漠然と抱いていた。それは恐れというよりはむしろ期待に近いものだったような気もする。

 雅人を殺害した時、彼に着せたキャミソールは死んだ恋人の遺品だ。もちろん、いくら仲の良い姉弟だとしても、それが亡くなった姉のものだとまではわからないだろう。だから、もしかしたら自分は敢えてそのすれすれのスリルを楽しんでいたのかもしれない。

 あのキャミソールもピンクのマニキュアも、どちらもおまえの姉のものだった。それを調べている秦を見て、俺はどこか優越感に浸っていたんだろう。おまえを自慢する姉に、俺は勝ちたかったのかもしれない。その優越感にもっと浸っていたかった。だから次の標的を定めた。

 花屋の店員は、初めは予想通りの反応だった。偶然を装って声をかけ、自分の恋人が死んだことを悲しげに打ち明け、そして同情を誘う……。

 −この前の赤い薔薇、あれは死んだ恋人の命日に毎年買っているものなんだ。でも、君が作ってくれた薔薇があまりに綺麗で、見ているうちに心が救われるような気になったんだよ。だからピンクの花束も買いに行ったんだ。

 −そうだったんですね。男性で二日続けて薔薇の花束なんて珍しいなとは思ってました。

 −でもやっぱり恥ずかしいからね、店長には言わないでおいてくれたかい?

 −ええ、ピンクの薔薇を買った時に、そう約束しましたもんね。

 −今日、君と偶然出会えたのも何かの縁かもしれないね。また薔薇の花を買えば、俺の心はきっと安らぎを得られるような気がするよ。

 −花にはそういうパワーがあるんですよ。お店に戻りましょうか?

 −いや、さすがに三回も買うのは恥ずかしいじゃないか。それに、今から戻るのは申し訳ない。

 −それじゃ、この先に別の花屋がありますから、そこで買ったらどうですか?

 −しかし、やはり男が花を買うのは勇気がいるんだ。

 −わかりました。私がいい感じに見繕って買ってきてあげますよ。

 −本当かい?それじゃ、図々しいようだがもう一つお願いがあるんだ。そこのショッピングモールならいろいろ売っているだろう? その薔薇と同じ色のマニキュアも買って、プレゼント用に包んできてほしいんだ。

 −あら、もう新しい人が?

 −いや、死んだ恋人が、マニキュアを塗るのがとても好きだったものでね……。

 −そうだったんですね。わかりました、車で待っててください。

 −ありがとう。お礼に映画でも奢るよ。

 −そんな、いいんですよ。

 −いや、ぜひそうさせてくれ。

 −それじゃ、お言葉に甘えちゃいます。色は何色がいいですか?

 −そうだな、オレンジなんかどうだろう。

 紬は鮮やかなオレンジの薔薇の花束と、小さなリボンの包みを持ってにこにこと車に戻ってきた。相原はにこやかに出迎え、彼女を助手席に手招きした。恥ずかしそうにしながらも紬が車に乗り込み、花束と包みを相原に手渡すと、彼はそれをそのまま紬に渡した。

 −あの……気に入りませんでした?

 −そうじゃない。これは、君へのプレゼントだ。

 −え?

 −俺の心が安らいでいられるのは、君の作ってくれた薔薇の花束のおかげだからね。

 −でも、こんなのいただけません。

 −お願いだ、受け取ってほしい。

 41歳という年齢の割には精悍で若々しい印象を与える相原に真剣な眼差しで見つめられ、紬は顔を赤くしながらもそのプレゼントを受け取った。それがどういう意味のプレゼントかも知らずに。

 薔薇を受け取り、嬉しそうに俯く紬の腕を掴み、相原はいきなりキスをした。紬は驚きながらも抵抗はしなかった。

 −君は美しい。

 相原は自分の行動に酔っていた。自分の思い通りに進んでいる状況に、歯の浮くような台詞を言うことすら快感だった。

 −映画……私の部屋で見ませんか?

 しかし、結果は思った通りの感触ではなかった。どこか不完全燃焼のようなもやもやが残り、それを払拭するための新しい完璧な標的を見つけたのに……俺は焦りすぎたのかもしれない。自分を疑っている秦を犯人に仕立てることができる機会に、俺としたことが焦ってしまったのかもしれない……。

 

 蒼空は知らずと自分に回された陽大の腕を掴む手に力が入っていた。身勝手な犯人の感情のままに殺された紬や他の被害者を思うと、やるせない気持ちでいっぱいだった。そんな蒼空の気持ちを察したのか、陽大は優しく髪に口づけた。

 「やっぱ変なこと考えてるな」

 わざと明るく蒼空がからかう。

 「変なことなんか考えてないぞ」

 「嘘」

 「だって、変なことなんかじゃないからな」

 「じゃ、どんなこと?」

 「こんなこと」

 耳元で囁き、そのまま耳たぶを軽く咥える。

 「ほら、そうじゃん」

 「違うって。これは変なことじゃなく、気持ちいいことだろ?」

 「何を屁理屈言ってるんだよ」

 「どこが屁理屈だよ、おまえも気持ちいいと思ってるくせに」

 「思ってない」

 「こんななってるのに?」

 ショートパンツの隙間から手を差し込み、硬くなってきている蒼空のモノをさすり上げる。

 「あ……」

 「ほら、気持ちいいだろ?」

 「ばか」

 「なあ、落ち着いたらどこかに旅行に行かないか?」

 「休めるの?」

 「長い休暇は難しいけど、2、3日くらいなら」

 「じゃ、夏休みは?」

 「夏休み?」

 「もうすぐじゃん」

 「夏休みに旅行か。それもいいな。どこがいい?」 

 「国内しか無理だろうから、軽井沢とか涼しそうなとことか」

 「新婚旅行みたいだな」

 「嫌ならいいけど」

 「嫌なわけないだろ。とびきりの旅行にしてやるよ」

 「ホント?」

 「ああ。ホテルで一晩中いちゃいちゃしよう」

 「そればっかり」

 「おまえだって、まんざらでもないくせに」

 「さあね」

 「強がるおまえも好きだけど、あの時みたいに可愛く甘えてくるおまえももう一回見たいな」

 「だからあれは演技だってば……ちょっと待って……ん……そこ、だめ……」

 「全然だめって反応じゃないけど?」

 「あ……ふ……あんっ……」

 陽大はわざと焦らすように優しく擦る。足の指をぎゅっと曲げ、開いた唇から蒼空の甘い吐息が漏れていく。陽大は抱きかかえてる方の手でパーカーをたくし上げ、ピンク色の胸の突起を軽く摘んだ。びくん、と体を反らし、陽大の指に包まれているモノが硬さを増す。

 「陽大……何でこんなうまいの…? 俺以外の男とヤったことあるの?」

 「まさか」

 「じゃ、女の人との時みたいにしてるわけ?」

 「ノーコメント」

 「何だよ、それっ……あっ……やぁ……ん……」

 「余計なことなんか考えなくていい。俺にエロいことされながら喘ぐおまえが最高に色っぽいから、俺の歯止めがきかなくなってるだけだから」

 蒼空は次第に声をあげてよがり始める。

 やばい、俺、本気で歯止めきかないかも……。

 「蒼空」

 「なに……」

 「旅行の予行練習しよう」

 「何言ってんの」

 言葉とは裏腹に、蒼空はされるがままに脚を開いていく。そして陽大の背中に抱きつき、押し寄せてくる快感に身を委ねる。陽大はそんな蒼空を愛おしそうに見つめると、ゆっくりと唇を重ねていった。

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