第27話 Vanilla Sky ep0

 部屋の中は二つのキーボードを叩く音だけが響いていた。向かい合って床に座っている二人は相手の存在などないかのように、それぞれのノートパソコンの画面だけを見ている。陽大はるとがテーブルの上に置いてあったペットボトルに手を伸ばした時、同時に手を伸ばしていた蒼空そらの指先が触れた。一瞬止まった陽大の動きに蒼空はパッと手を引っ込め、何も言わずにまたキーボードを打ち始めた。

 大学生が住むにしては洒落た作りになっている蒼空のコンドミニアムは、カフェのアルバイトで貯めたお金でリノベーションをし、広さはそれほどでもないが、キッチンに作ったカウンターや陽大と一緒にリフォームしたアンティークなソファなどが本当のカフェのような心地よい雰囲気を醸し出している。その蒼空の部屋で、大学に提出するレポートをいつものように二人で話し合いながら書いていた。そう、五分前までは。


 喧嘩はいつものことだ。毎回、些細なことで言い合いになり、お互いに謝らないまま三日ほどたっていつの間にかまた一緒に大学のカフェでランチを食べているというのが二人の日常だ。だが今回は三日で自分が折れることができるか、蒼空はわからなかった。

 事の発端は陽大の進路のことだった。高校の同級生だった二人は、高校時代から喧嘩しながら結局いつも一緒にいる腐れ縁が大学まで続き、一緒の大学に進んでいる。一流企業へのインターンシップも終え、親や周りも期待する中、陽大はここにきて警官になりたいと言い始めた。せっかくいい大学に入って、いい会社への就職が可能なのになぜそれを捨ててまで警察になろうとするのか、周囲は反対した。もちろん蒼空も反対したが、その理由は周囲とは少し違った。

 周りは仕事が大変そうな警察なんかより、給料のいい民間企業に就職した方がいいという意見だったが、蒼空の理由は警官だった父親だ。実直でいつも誰かのために汗を流している父親は蒼空にとって誇りに思える存在ではあったが、仕事に没頭するあまり食事や睡眠が疎かになり、蒼空が高校二年の夏に現場へ向かう途中で交通事故に遭って亡くなった。原因は心臓発作だった。

 高校の時から家に遊びに来ていた陽大が蒼空の父親を見て、警官になりたいという思いを強くしていったことは知っていた。だが陽大の真っ直ぐな性格が、蒼空にとって心配の種だった。そしてつい五分前、レポートをやりながら卒業後の就職の話になり、警察官採用試験を受けると言い切った陽大と口論になったのだった。

 不意に陽大はキーボードを叩く手を止めると、何も言わずに立ち上がった。蒼空は画面を見ながらも視線の端で陽大の動きを捉えていた。すると陽大はそのまま無言で蒼空の部屋を出ていった。

 いつもの喧嘩だ。また今回もいつもと同じ、言い合って三日くらいしたら背中を叩いて仲直りしてご飯を食べる。きっとそうだ。

 そう自分に言い聞かせながら、蒼空はどうしようもなく不安だった。

 怒って出ていくなんて今までだって何回もあった。今日だけじゃない。なのになぜこんなに不安なんだろう。

 ノートパソコンを閉じ、床に座ったままソファにもたれかかった。

 俺たち、いつまで友達でいられるかな……。

 上を見上げ、生成色の天井のクロスを見つめる。だんだんとその視界がぼやけていく。

 陽大の夢を反対しているわけじゃないんだ。本当は応援したい。でも、父さんみたいにおまえを失うのだけは嫌なんだ。

 蒼空はそのまま床へと倒れ込むように横たわり、ひんやりとした床板の感触を頬で感じながら目を閉じる。

 でも、遅かれ早かれどこかで諦めなくちゃいけないんだったら、いっそこのまま喧嘩別れしてもいいのかもしれない。陽大がいつか綺麗な女性と手を繋いで歩いているところを見るくらいなら、このまま俺は……。

 昨夜もほぼ徹夜でレポートを書いていたせいか、蒼空はいつしか眠りに落ちていった。


 抱き抱えられる感触に目を覚ますと、陽大が自分をそっとベッドに寝かせていた。

 「陽大?」

 「おまえ、大丈夫か?」

 「大丈夫って、何が?」

 「何がって、飯買って戻ってきたら床に倒れてるからびっくりしただろうが」

 「倒れて……いや、寝ちゃっただけ」

 「どこかぶつけてないか?」

 「ううん、平気」

 心配そうに覗き込む。その指が、そっと蒼空の頬を撫でた。

 「……泣いたのか?」

 「え?」

 蒼空は慌てて起き上がり、涙の痕を拭いた。

 「何だろ、怖い夢でも見たのかも」

 「嘘つけ」

 「そ、それより飯買ってきたって何だよ。怒って出ていったのかと思ったのに」

 「別に怒ったわけじゃない」

 「いや、完全に怒ってただろ」

 「おまえが反対するのは、俺を心配してるからだってわかってる。だけど、俺は自分の夢を諦める気はない。ただそれだけだ」

 わかってる。どんなに反対しても、陽大は一度決めたら最後まで諦めない。

 蒼空は真っ直ぐな陽大の視線から逃れるようにして彼に背中を向けて、ベッドに横たわった。陽大は蒼空の体をまたぐようにして反対側に回り、向き合うようにして横向きに寝た。

 「……おまえの顔を見ないようにしたんだけど」

 「わかってる。だから蒼空の顔が見えるようにこっちに来た」

 「好きにしたら。俺は眠いから寝る」

 「一緒に飯食おう」

 「食べてていいよ。寝てから食べる」

 「おまえ、一回寝たら起きないだろ」

 「適当な時間に起こして」

 「んじゃ、俺も寝る」 

 「お腹空いてるんじゃないの?」

 「でも、今はおまえの隣で寝る」

 ……陽大はずるい。俺がどんな気持ちでいるかなんてわかってないくせに、俺が諦めようとするとそうやって引き留める。

 「蒼空」

 「……なに」

 「泣くな」

 「泣いてない」

 「わかったから。俺がいるから、もう泣くな」

 「……ずっとなんかいてくれないくせに」

 「何言ってんだ。おまえはずっと、俺の大事な親友だ」

 そう言って蒼空を引き寄せ、小さい子をあやすように背中をさする。振りほどきたいのに、抱きしめてくれる腕の温かさが心地よくて、蒼空はどうすることもできないまま陽大の腕の中で泣いていた。


 次に目を覚ますと、夜中だった。部屋の電気もつけっぱなしで、一緒に昨夜徹夜した陽大はすっかり眠っていた。

 蒼空は起こさないようにそっと陽大の腕の中から抜け、軽い寝息を立てているその寝顔を見つめる。

 いつからだろう、好きという気持ちを自覚するようになったのは。もしかしたら高校の教室で初めて会った時には、すでに惹かれていたのかもしれない。

 整った鼻筋を指先でそっとなぞる。そのまま指をいつも自分に笑いかけてくれる唇へと動かし、ゆっくりと喉仏に進む。陽大は喉仏を人に触られるのを極端に嫌う。しかし、なぜか蒼空にだけは触られても平気らしく、よくそのことを友人にからかわれていた。

 おまえはずっと、俺の大事な親友だ。

 陽大の言葉を思い出す。

 嬉しくて悲しい残酷な言葉。でも俺はおまえのそばを離れる自信もない臆病者だ。

 蒼空は体を起こして陽大に顔を近づけると、そっと唇を重ねた。触れたか触れないかわからないくらいの、初めての口づけ。

 これでいいんだ、きっと。俺はこの思い出を胸に抱えて、この先ずっと、親友として生きていこう……。


 蒼空は片手で頭を支えるようにして、自分の隣で目を閉じている恋人を眺めていた。

 警官の道を選んだ陽大を友人として支えていくことに決めた蒼空は、学んだ経営学を生かしてカフェを開くことにした。陽大が配属された地区の、彼が通いやすい場所に小さなカフェを建て、彼のために朝食を作り、コーヒーを淹れた。時々陽大が話す事件を持ち前の頭の良さで推理し、他の友人よりも近い存在でいられることで満足しようと自分に言い聞かせていた。

 あれから6年。隣で眠っている彼は、自分の恋人になっていた。ぎこちないキスをしてくれたあの日から、陽大はその性格のままに、真っ直ぐな想いを自分に向けてくれている。

 蒼空は昔のように陽大の鼻筋をそっとなぞった。その指が喉仏に到達した時、不意にがっしりした手で掴まれた。

 「……起きてたの?」

 「むしろ眠ってない」

 「疲れた感じでベッドに一直線だったから、てっきり寝たのかと思った」

 「明日からの旅行のことを考えたら、ワクワクしすぎて眠れない」

 「小学生じゃないんだから」

 「だって、新婚旅行みたいなもんだろ」

 「付き合ってまだ日も浅いし、プロポーズもされてないんですけど」

 「プロポーズはもっとちゃんと、いろいろ考えるから待っててくれ」

 「する前提なの?」

 「何だよ、しちゃいけないのか?」

 「そうじゃなくて」

 「夏休み旅行とか、なんか楽しみすぎて三日間眠れないかも」

 「明日の仕事終わりに出発して三日目は午前で帰ってくるから、実質一日半くらいじゃない?」

 「だったらなおさら眠れないな。いや、寝かせない」

 「……ちゃんと観光とか食事とかも楽しもうよ」

 「もちろんだ。けど、星野リゾートだからな、やっぱ夜もたっぷり楽しまないと」

 「予約したの、俺なんだけど」

 青森県にある星野リゾートが運良く取れたのは、いつもカフェに来てくれる常連の客がたまたまホテルの社長と知り合いで、夏休みにキープしてあった一室を譲ってくれたからだ。

 「わかってる。ありがとうな」

 陽大はにこっと微笑むと、蒼空の唇にキスをした。はいはい、と夕食の支度をしようと起き上がりかけた蒼空を、陽大はぐいっとベッドに押しつけた。

 「ちょ、陽大」

 「予行練習」

 「は?」

 「明日からの」

 「何言ってんの、ほぼ毎日予行練習してるくせに」

 「毎日したい」

 「おまえがこんなにえっちが好きだとは思わなかった」

 「何でもっと早くこうしてなかったのかって思ってるんだよ」

 「え……?」

 「知り合ってからずっと一緒に過ごした時間、友達として一緒に過ごした日々はもちろん俺にとって大切な時間であり思い出だ。でも、おまえとこうして付き合うようになって、もっと早くこうやって抱きしめていればって、そう思ってる」

 「陽大……」

 「おまえが愛しくてたまらないんだ」

 今も変わらない真っ直ぐな瞳が、自分に向かって愛の言葉を囁いてくれるようになるなんて、あの頃の俺は想像もしていなかった。

 陽大、俺はずっと前からそうだったんだよ。ずっと前から、おまえのことが愛しくてたまらないんだ。

 「なぁ、蒼空」

 「ん」

 「お願いがある」

 「なに」

 蒼空は優しく見つめ返す。覆い被さるようにしていた陽大は、ごろんと枕に頭を預けて仰向けになった。

 「陽大?」

 「頼む」

 「何を?」

 陽大はジーンズのファスナーを下ろすと、下着の中で膨らんでいるモノをさすった。

 「……頼む」

 やや恥ずかしそうにこちらを見つめながら、蒼空の片手を握る。何言ってんの、といつものように頭を叩いて突き放そうとした蒼空だったが、柄にもなく顔を赤らめている陽大の表情に急にそそられた。

 蒼空は自分のシャツの胸元のボタンをひとつふたつと外し、いつもの黒いショートパンツを下着と一緒に脱ぎ捨てる。いつの間にか蒼空も少しずつ硬くなっていた。

 焦らすように陽大の下着に手をかけ、上からさすりながらゆっくりと下ろすと、すでに彼のモノは反り返るように硬く勃っていた。陽大の荒い息遣いを聞きながら、蒼空は舌を出してちろちろと舐める。

 「あ……ヤバい……」

 うわずった陽大の声に、蒼空はだんだんと大きく舐めあげていく。やがてそのピンク色の唇で咥え込むと、口の中でも舌を動かし始めた。

 「あっ……いい、そこヤバいって……」

 陽大は顔を上げると、自分の股間に顔を埋めている蒼空の姿を眺める。

 「ヤバい、おまえめっちゃエロい……たまんねえ」

 感じてうわずっている声に蒼空も次第に興奮してきて、自分でしごき始めた。頭を両手で自分の股間に押し付けるようにして感じている陽大の姿がひどく艶かしく美しいと蒼空は思った。

 「ああっ……いい……イキそう……すげえ気持ちいい……だめだ、出る……!」

 陽大の声と同時に蒼空の口の中に温かいものが広がっていった。

 「飲まなくていいからな、これに出せ」

 枕元からティッシュを取ると、陽大は蒼空に手渡した。慣れない感触に蒼空は思わずティッシュに口の中に溢れる液体を出したが、何となく一口だけ飲み込んでみた。

 これが陽大の……。

 「俺に跨がって」

 そう言う陽大の顔はまだ赤いままだ。蒼空は言われるがままに陽大の腰の上に跨がった。シャツしか着ていないので、下半身は丸見えだ。陽大は蒼空の腰のくびれに手をやり、すでに硬くなっている蒼空のモノを手で軽く握る。蒼空はその手の感触に思わずビクッと体を震わせた。

 「何でそんなにエロいんだ」 

 「知らない」

 「こんなエロい格好、他の男に絶対見せるな」

 「そんなの……見せるわけ……んあっ……」

 「でも、俺にはもっと見せて」

 「はぁ……ん……」

 「エロいおまえを、俺にだけはもっといっぱい見せてくれ」

 「あ……やぁ……」

 「な、いいだろ」

 「ん……」

 後ろを弄られ、たまらず蒼空は陽大の胸にすがりつく。陽大は蒼空の後ろを片手で優しくほぐしながら、もう片方は乱暴に頭を引き寄せて激しいキスを繰り返す。漏れ出る蒼空の喘ぎ声に陽大はもう我慢できなかった。

 「あっ……!はぁっ……陽大……」

 「おまえのナカ、すげえ熱い」

 「陽大……」

 「蒼空……自分でも腰動かして」

 「んんっ……ああ、気持ちいい……」

 「気持ちいいか?」

 「うん、すごい………あっ、だめ、いいっ……」

 下から激しく突き上げられ、蒼空はそれに合わせるように自ら腰を振る。次第に喘ぎ声が大きくなっていき、ベッドの軋む音と一緒に部屋の中に響いていた。

 陽大……もっと、もっとして……おまえをずっと俺の中で感じていたい……。

 体を半分起こし、蒼空を抱っこするような体勢に変えて、陽大はさらに腰を動かす。蒼空は陽大の唇を貪るようにキスをする。愛しい恋人の汗ばむ肌の匂いは、眩暈がしそうなくらいエロティックだった。

 ああ、もう……明日から旅行なのに結局ヤってしまうんだから……。

 ……でも、止めることなんて俺には無理。だって、高校の時よりも大学の時よりももっとずっと……陽大に夢中だから……。

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