譲るな勝ち取れ

「罪悪感はいーい触媒だよねえ。

 好き勝手引きずり回すのに扱いやすくてさ」


 悪霊は、基本的に挑発に耐えることはできない。

 理性などたやすく吹っ飛ばすほどの強烈な感情が原因で現世に留まっている彼らは、


『あと少し、あと少し! あと少しだったのに!!!』


 一色真宵の姿をした悪霊は、悲痛な声で何度も同じことを嘆く。

 こちらの言葉に反応するわけでなく、駄々っ子のように繰り返されるそれは、ぼくに向けられたものではない。

 音声に乗った恨みと怒り―――呪いは、呪素を介して大気を震わせ、『声』の形をした全方位への攻撃となる。

 生まれたばかりの悪霊にしちゃなかなか強力だけど、


「モノが声、『言葉』なら……ぼくには効かないんだよなァ」


 呪声の対処くらいはお手の物。

 人避けの結界に加えて、校門を中心とした沈黙の結界があるから、周りの人間に被害が向くことはないだろう。

 んでもって、言霊使いたるこのぼくがこの程度でやられたら、沽券に関わるよね。

 とはいえ、普通の人間だったら聞いてるだけで意識障害を引き起こすレベルのそれは、決して甘く見積もれるものでもない。

 長く聞いていればダメージは蓄積する。余裕ぶってもいられない。

 敵性怪異。それも特定の人間を狙ったもので、周囲の人間への攻撃性も高い。

 そんなやつを見逃すわけにはちょっといかないわけで、

 だからこいつは、今ここで、ぼくが祓う。


「しょうがないだろ? 君みたいな悪霊バケモンに同情されたり、罪悪感を抱えられたりして、取り込まれたら困る。

 だから、いい感じのカバーストーリーが要るんだよ。

 あなたの教え子は成仏してる、残ってるのはあなたの内のだけだ、ってね」

『あと少しで、せんせいがところだったのに!

 どうして邪魔するの?!』

「どうしてってそりゃあ、」


 がむしゃらに怒りを振り回しているだけではぼくに危害を加えられないと本能的に悟ったか、仕掛けてきた。

 言問の呪い。

 人間の使うそれと、呪素を手足のように扱う悪霊の使うそれは強制力が違う。

 ぼくの思考リソースが強制的に解答に割かれる。

 しかしそれも想定済み。


 呪術戦において重要なのは意外の一撃だ。

 威力でも角度でもタイミングでもいい。相手の意表を突かなければ崩せない。

 その前段階―――思考能力を削れば、意識の向く先が狭くなる。


(そういう類の問いかけデバフを使うのが、常態化しているなコイツは)


 喰らった呪いから相手の規模を測り、想定を一回りほど修正。

 一秒に満たない時間で敵の能力について認識し終える。


 問いかけは無視するのが一番と言われているが、そりゃあ一番簡単なだけだ。

 言霊使いのぼくにとって、その攻撃は呪的防御を抜く侵入路でもある。


「おまえのやり口が気にいらないからだよ、クソ女」


 ひひひ。舌の回りは今日も好調、ぼくは唇を舐める。

 悪霊のさらなる怒気が大気を震わせる。


『悪口、きらい。死んでよ』

「あ、やば」


 呪声に紛れるようにして、エンジン音。

 一色真宵が亡くなった事故を再現したかのように、ヘッドライトなしに車が突っ込んでくる。

 間一髪横っ飛びが間に合って、ぼくはぶざまにアスファルトの上を転がる。

 どこぞの車はそのままの勢いで校門にぶち当たった。

 壊滅的な破壊音。クソ、怒ったフリして狙ってやがったか。

 汗が頬を伝う。


(……無機物にさえ通る『魅了』、あるいは『支配』!

 っつーか、違うな。車……機械、『操作』?! できるかあ、そんなん?)


 ポルターガイストの例もあるように、悪霊がある種の念動力を持っていることは珍しいことではない。

 しかし、車をエンジンごと作動させるような複雑なことをやらせるのは難しいはずだ。

 擬人化……いや違うか。ただのだ、こりゃ。

 人も機械もなんでもござれ。ちくしょう、デジタルネイティブめ……!


「この術で母親も殺したのか? 一色真宵」


 さらに脅威度を一段上のものに上げる。

 問題ない。まだ、ぼく一人でもやれる。

 時間稼ぎに煽ってみれば、意外にも冷静な声で悪霊は答えた。


『ママは言ってた、真宵さえいなければパパと離婚しなくて済んだんだって。

 お前なんて死ねばいいのにって。

 ママが言ったんだよ。

 ママがそう望んだの。

 殺したんじゃないよ。

 


 底冷えするような昏い瞳をした少女は能面のように微笑んでいる。


『パパも言ってた。

 真宵を愛してる、ママなんていらないって。

 だからね、ちょうど良かったんだ。 

 ママは真宵を殺せるし、

 パパはママを失える。 

 真宵は愛なんていらないし、

 真宵が死ねばせんせいは迷ってくれるはずだった。

 みんなの望みがかなうはずだったのに!』


 笑みの形に張り付いた表情で、全てをだいなしにしたぼくへの怒りを露わにしている。

 何が素敵な笑顔だよ。悪態を飲み込む。

 無駄口を叩いている余裕はない。

 

「……ぼくは死にたくないんだけど」

『うそつきの言うことなんて、信用ならないよーだ!』


 んげ。

嘘看破ペネトレイト』。

 続くぼくの一手は、その指摘によってかき消される。

 言霊使いは嘘を吐くたび弱くなる。

 嘘は言葉を軽くする、というのは呪術的な意味においては致命的に働く。

 方便だなどと言い繕っても、その原則を覆すことはできない。

 マジ最悪、こいつ戦い慣れすぎだろ!


 再びのエンジン音。体勢の崩れたぼくにぶち当てようって算段か。

 ……やっぱ嘘。

 有効だったからと言って、同じ手を二度使うのは舐めプがすぎる。

 こいつは戦い慣れてるわけじゃない。

 大丈夫。ぼくは勝てる。


「そうだね、


 舌戦の基本、オウム返し。

 相手の嘘を指摘することで、呪力の集中をかき消す呪文、『嘘看破ペネトレイト』。

 コントロールを失った車は、急激にスリップして真横に突っ込んでいった。

 ……あっぶな。あれ直進してたら危なかったわマジで。


『真宵、嘘なんかついてない』


 語るに落ちた悪霊が、不満と苛立ちを露わにする。

 けれど『嘘看破』が効いているということ自体が、嘘の存在を逆説的に証明しているのだ。

 こいつはそれに気づいていながら、見ないふりをしている。

 そこが急所だ。

 見ないふりをしているからこそ、現世に縛られたままここにいるのだ。


「愛なんていらない? 冗談だろ真宵ちゃん。

 君が欲しかったのはだ。

 自分すら騙せない嘘なんて吐くもんじゃない」


 それならば、それを暴いてやればいい。

 ぼくは立ち上がり、服についた砂を払う。

 ぼくの言葉を待つように睨みつける少女の霊に、ぼくは望み通り言葉を返す。


「堂々と愛してるって言えばよかったのに!

 どうして迷いでいいなんて腑抜けたこと言ってるんだ、君は?」

『……え?』


 思っていたのとは違う答えが返ってきたのだろうか、悪霊は虚を突かれたように表情を失った。


「奥さんに遠慮なんかするなよ! あんなボンクラっぽい教師さあ、頑張ればNTRねとれたって! なんでもっと攻めを継続しなかったんだよ! 押して押してあとちょい押せばいけたかもしれないのにさあ!」

『せ、せんせいはボンクラじゃない……!』

「ボンクラだよ! 自分の気持がわかんないとか抜かして! なんだあいつ!」


 そう、ぼくが怒っていたのはそこだ。

 一色真宵のやり口が気に入らないのは、戦う前から負けるつもりでいたからだ。


「挙句の果てに、死んで相手を縛ろうなんて! 生きて押してりゃ勝てたのに?! どうしてそんなことしたんだ?」

『どうしてって、』


 言問の呪い。

 問われたならば、答えなくてはならない。


『真宵のことを、あいしてくれる人なんていないとおもったんだもん』


 少女の目から、涙が落ちる。

 けれど水滴は地面を濡らさない。

 彼女はもうそこにいないから。


『でも、だけど、ほしかったから。真宵は、だから、うう、ううう~』


 悪霊はあふれる感情を我慢することができない。

 耐えるという機能を失ってしまったから。

 座り込み、堰を切ったように泣き出す真宵ちゃんを、ぼくは眺めていた。


 彼女が泣き止むまで眺めていてあげることしかできなかった。




「だから、別に男女関係に絞らなくてもよかったんだよ。師弟愛とか友愛とか、あるだろもっと」

『ゆうあい?』

「友人関係のうちにある慈しみの心だよ」

『いつくしみ……』


 だいぶ長いこと泣きに泣いた少女からはすっかり毒気が抜けたようで、真宵ちゃんはぼくの言葉を座り込んだまま聞いていた。

 質問の多い子だった。

 問われるままに、ぼくは言葉を返す。


「友達がいればさあ、そんなにならなかったかもしれないのにさ。

 先生に一途、一つだけ、って、視野が狭すぎ。

 とか……こういうのを愚痴れる友達がね」

『そっか。真宵、まちがってたんだ』

「そうだよ」


 ぽつり、と呟いたそれに合いの手を入れると、真宵ちゃんはぼくの目を見てきた。


『……じゃあ、間違いでもいいよ。

 お姉さん。友達になってくれる?』

「だーから。そうやって譲るなって話してたの!

 つか死んだりするからそれも無理になったんだって!

 何回繰り返すのこれ。バカだね~真宵ちゃんは」

『ふふ、ばかだって。真宵、かしこいねってみんなに言われてたのに。

 そんなこと言われたの、お姉さんが初めて』

「キッショ。『初めて』とか強調すんなよ、ぶりっ子。嫌い!イーッ!」

『ふふふ、あはははは……』


 目を輝かせてころころと笑う彼女は、不意に姿を薄れさせるとそのまま消えてしまった。

 彼女を現世に止めていた未練が消滅したのだろう。

 はー、終わった。

 ひときわ大きなため息をついたところに、後ろから声がかけられた。


「嘘だろ。煽りで浄霊するヤツなんてはじめて見たよ、俺」


 ……まずい。

 一番知られたくない相手が来ちゃってた。

 ぼくはさっと前髪をひとなで、できうる限り最高の笑顔を作って振り返る。


「来てくれるって信じてたよ、嵩臣たかおみ〜」


 ぼくの愛しい旦那様は、すこんとチョップをぼくの頭に落とした。


「ぴっ」

「人の呪力で編んだ霊符をバチバチに使い倒してりゃ、そんなもん信じる信じないじゃねえ。誰でも気づくんだよなあ……

 つーか、オメーはこんな所でなーにしてるんですかね、在処さん」


 腰をかがめて目線を合わせようとしてきたから、逸らす。


「俺は店番しろって言ったんだよ。店番ってのは店の番なんだよ。

 言霊使いの? 在処さんには言うまでもないかもしれませんけど?

 それがどうしてこんなとこで悪霊とりあってんですかねえ!

 しかもフツーに負けそうになってるし」

「負けそうじゃないし! 余裕の勝利だったじゃん! ていうか見てたんなら手伝ってくれてもよくない?!」

「曲げたろ車。直撃コースだったじゃん」


 クソ、このぼくが舌戦で負けるだと。そんなわけないだろ!

 ここからの反撃策を考えるぼくの背中で、笑い声がする。


(おこられてるね。これも愛なの?)


 もちろん。

 ぼくは眼の前の顔に力いっぱいしがみついた。


「ちょ、おま」

「ありがと嵩臣。愛してる」

「誤魔化すなって、おい!」


 友達に見せつけるようにして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一時の迷いは永遠の愛にかなわないの? 遠野 小路 @piyorat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ