『残響』

「ハテナマークってあるじゃん。

 LINEとかTwitterとか、文字でやり取りする時さあ、構ってちゃんが連打してくることあるでしょ?」


 アリカと名乗った店員の話に耳を傾けながら歩く。

 既に日は沈み、ぽつぽつと明かりの灯る夜の住宅街をアリカさんは迷わず進んでゆく。

 背丈や仕草は高校生くらいに見えるのだが、教師の勘というやつだろうか、彼女は直感的に庇護すべき生徒の側の人間ではないように感じられた。

 僕の返事を待たずに、彼女は言葉を継ぐ。


「あれはね、ある意味では呪いなんだよ。

 言問ことといの呪い。

 質問を投げかけられたら、答えたくなる。

 そうして回答を強制する、という形で相手を縛るんだね」

「……でもそんなの、答えなければいいだけなんじゃないですか」


 思った通りそう口にする。

 なぜか彼女の前では言葉を秘めておこうという気にならない。

 話術が巧みだからか、心が疲弊したせいで投げやりになっているのか、

 はたまた彼女の口にする『呪い』のせいだろうか。

 先ほども、促されるまま一色真宵について覚えている限り全てを喋らされ、ついでに妻との生活のいちゃいちゃぶりまで根堀り葉掘り聞かれることになったのだ……


 そんな僕の身も蓋もない僕の言葉に、アリカさんは振り返った。

 

「それだけならね。

 だから術者は手練手管てれんてくだを尽くして、それを答えなければならない状況を作り出す」


 そして、空を切らんばかりの勢いで僕の胸を指さす。


「その手管の一つ。

 君に使われてんのは、『残響』ってやつさ」

「ざんきょう……残って響く、の残響ですか?」

「そう、それそれ。 

 実際ちょっとやってみよう。

 んー、たとえばそうだな、ぼくと何か約束しよっか」


 アリカさんはそう言うと、僕の目を覗き込んだ。

 深い紫色の瞳が妖しげにきらめき、僕は思わず一歩後退った。


「何かっていわれても」


 そんな僕の様子をみて、アリカさんは笑う。


「あはは、ビビリすぎだよ不破先生。

 じゃ、君が手を叩いたら、ぼくと君は息を止める。

 これ以上は無理だなって思ったら、もう一度手を叩いて。

 そしたら終わり。お互い息を吸っていい。約束ね?

 それじゃよーい、スタート」


 そう言い終わると同時に、アリカさんは手を打ち鳴らした。

 柏手というのだろうか、空気の破裂するような綺麗な音が響き、僕は大きく息を吸って止めた。

 アリカさんのほうは特別大きく吸った様子もなく、不安になる。

 別に自分の心肺機能に自信があるわけではないが、しかしアリカさんのこの余裕はどこから来るのだろうか。

 一分ほどが過ぎ、だんだんと息苦しくなってきて、さてもうひと頑張り、と気を引き締めたとき、


「ふわ~あ」


 アリカさんは大きなあくびをした。


「いや、あくびしてるじゃないですか!」


 思わずベタなツッコミを入れてしまう。

 そのせいで余計に苦しくなった僕は大きく何度か呼吸をして、酸素を取り入れる。


「え? 何?」

「息を止めるんじゃなかったんですか、僕がもう一度手を叩くまで」

「なになに? 何の話?」


 負けたのが悔しいのか、子供みたいな言い逃れを始めたアリカさんに、僕は思わず声が大きくなる。


「あんたね……ほんの今さっき約束したじゃないですか!」


 アリカさんは、そんな僕を見つめながら小さな口を三日月のように歪めて、意地の悪い笑みの形に変える。


「とまあ、これが『残響』の原理だね」

「ただ一方的に約束を破っただけじゃないですか……」


 何がしたいのかわからず混乱する僕に、まるで教え諭すようにアリカさんは柔らかな声で語りかける。


「そうだよ。でもこの場合大事なのはぼくのほうじゃない。

 君だ。

 

「作用って、ただ苦しい思いをしただけですよ」

「うん。今、君は息を止めたよね?

 

 術者の手練手管で本来する必要のないことを強制された、ってワケ」

「それはそうですが……」


 すっかり言いくるめられてしまい、僕は口ごもる。


 でもそう、結果だけ見てみれば、僕は呼吸を制限されていた。

 言葉一つで、命に関わるような生理機能を自ら縛っていたということになる―――

 言われれば確かにそうだが、なんだか狐につままれたような話だった。


「ぼくがあくびをしなければ、真面目な不破先生はもう少し続けていたと思うな。

 つまり、この術を成立させるためには、あくびを見せなければいいんだ。

 じゃああくびを見せないためにはどうすればいいと思う?」


 そう言うと、アリカさんはぴょんと一飛びして電柱の影に隠れてしまった。

 何をしているのかと覗き込むと、そこからアリカさんはそこにいない。

 手品のように姿を消してしまっていた。


「そ。消えちゃえばいいんだよね」


 まるで僕の心を読んだようなその声は、後ろから響く。

 振り返れば、どうやったのかはともかくそこにアリカさんがいた。

 消えてしまったわけではないとほっとしつつも、彼女の言いたいことにようやく気づいた。


「消える……事故のことですか」

「派手な術だよね。

 やることが劇的っていうか……目の前で死んでのけるんだもん。

 教え子が目の前で死ぬんだぜ?

 罪悪感の気配が掠めただけで、頭の中はそれでいっぱいだ。

 どうしたって考えざるを得ない。

『一時の迷いは永遠の愛にかなわないの?』だっけ。

 先生がなってしまうのも仕方ないよねえ」

「あれは事故だ。自殺じゃない。

 死者を、教え子の死を冒涜することは許さない」


 突如沸き立つような怒りにまかせて、ふざけた態度の彼女に詰め寄ろうとして、僕はようやくその場がどこだか気づく。

 夜道をどこまで歩くつもりだったのか、その意図をようやく察する。

 広い空間と、それを隔てる門。

 ここは、小学校の正門だ。

 空き瓶に備えられた花々は、夜の街で見るとまるで別世界の景色のように思えた。


「真宵ちゃんが何を思っていたかはぼくにはわからないよ。

 結果として君に呪いが残ってしまっているけど、本人が意図しなくても呪いが残っちゃうことって結構あるんだ。

 呪いは何かを証明しない。

 だから、ぼくが見ているのは君だ。

 君に起こった作用だけに注目している」


 僕の怒りを含んだ言葉を、アリカさんは軽々と受け止める。

 そう、『受け止める』という言葉通りだ。

 そのうえで、僕の知らない何らかの法則に確信をもった様子で、アリカさんは僕に説明をする。


「真宵ちゃんが死んじゃった以上、その心を推し量ることはもう誰にもできない。

 死人に口なし……

 だからその中身は語るべきじゃない」


 彼女は献花に手を合わせて祈った。

 そこで僕はようやく、自分が一色真宵のために一度も祈ったことがないことに気づく。

 彼女は僕に取り憑いていると信じていたからだ。

 しかし今、彼女の姿も声も、気配さえ、僕には知覚できなかった。


「答えられないまま消えた質問だけがそこにある。

 答えを受け取る相手は消えてしまったから、それに答えることはできない。

 そこには問いかけの残滓だけが残る。

『残響』―――それが君を蝕む呪いの正体だ。

『残響』は君の肉を裂き、骨を喰い割り、こころの内まで打ち込まれた。」


 いつの間にか祈るのをやめていたアリカさんに、とん、と強く胸を突かれる。

 別に倒れてしまうほどの勢いではない。

 ただ、力の込められた指は僕の胸骨の上に置かれたまま動かない。


「そんな、そんなもの。

 それじゃあ、どうしようもないじゃないですか」


 そうだ。彼女はもういない。

 ここで、自分の手の届くところで、自分の親に車で轢かれて死んだのだ。

 愛の告白に、答えを得られないまま、無念のままに死んだのだ。

 それが呪いだというなら、僕にできることなんて、何も無いじゃないか。


 俯きかけたとき、胸に置かれた指から更に強い力を感じる。

 顔を上げると、アリカさんは微笑んでいた。


「いいや。そーいうのをどうにかするため、ぼくらみたいなのがいるんだ」


 そして、自信に満ちた様子で頷いてみせる。

 

「もう終わってしまった物語を、

 解決しないまま朽ち果ててしまった問題を、

 再び解き・編み直すため。

 呪いを祓うためにね」


 それから、何やらごそごそとポケットから取り出した。

 和紙でできた護符、のようなものだろうか?

 筆でなにやら『黙』とか『禁』のような形をした模様が描かれているが、わからない。常人が読めるようなものではないのだろう。

 ただの紙切れにしか見えないそれは輝きだして、あたりをぼんやりと照らし出す。

 まるで漫画やテレビのような現実離れした光景に唖然とする僕を尻目に、アリカさんは高らかに宣言する。


「ぼくは言霊使い、散戸ちるど在処ありか

 あらゆるものに名前をつけて、形を与えてこの世に引きずり出す。

 存在しない程度で、このぼくから逃げられると思うなよ」

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