第二話 赤ちゃん解放戦線の巻
「退屈だ……」
私は齢三十八にして、人生に絶望していた。
錆びた大型換気扇が緩慢に空気と太陽光をかき混ぜ、光と影が交互に私を塗りつぶす。
そんな、錆びた鉄の音と匂いにまみれた薄暗い廃倉庫で、くぐもった声が私に届いた。
「リーダー。作戦準備が整いました」
私の名前は
そしてここは、私が束ねる反赤ちゃんむにむに師制度武装組織・赤ちゃん解放戦線のアジトだった。
今から二年前に始まった赤ちゃんむにむに師制度は、マスコミの大袈裟な解説や保健所の指導もあって、瞬く間に全国の母親たちの知るところとなった。
今では赤ちゃんを一人でも多くの赤ちゃんむにむに師に見てもらおうと、ベビーカーを飾り立て、赤ちゃんをディスプレイすることに多くの親が夢中になっている。
実に忌々しいことだ。
見ず知らずの他人に、幸せが詰まった赤ちゃんのむにむにを触らせるなど、実に汚らわしく、実に気持ちが悪い。
成立前から反対してきたが、やはり金で赤ちゃんを売るようになってしまったではないか。
むにむに前の手指の消毒が義務付けられているとはいえ、病気を貰ったらどうするのだ。
あの汚らわしい老人どもは、いや、中には若いむにむに師もいたか。ともかくあいつらがどんな病気に感染しているのかまでは公表されないし、義務もない。
土埃が舞う倉庫内を歩き、集会所と呼んでいる場所に辿り着くと、二十個の目が私を見た。
いずれもがありふれた服を着ているが、その腰に差しているものはありふれていない自動拳銃である。
武装組織というには少々心許ない武器ではあるが、それでも短期的な目的を達成するためなら充分といえよう。
そう、赤ちゃんむにむに師制度を作り上げ、赤ちゃんを売り物にした大罪人、
「諸君、我々は今こそ大罪人を裁き、これを手始めとして赤ちゃん解放のための戦いにその身を燃やす時である。二年前に実施された天下の悪法。あれのせいで多くの赤ちゃんがむにむに師どもに汚され、今なおその被害は広がっている。赤ちゃんのむにむには、特権階級たるむにむに師どものものではなかったはずだ。ゆえに赤ちゃんを汚らわしい者どもの手から解放するため、本日ここに一号作戦の開始を宣言する。赤ちゃんに栄光あれ。我らに勝利あれ。豚どもに神罰あれ――」
その後、指揮車の待機中に、私は息子のことを思い出していた。
すくすくと病気もケガもなく、いつも元気だった息子は、だが、三歳のある日、誘拐された。
身代金の要求がなされるも、私たち夫婦には逆立ちしても払えない金額に、一度目の絶望を味わった。
その後、警察が犯人を逮捕することに成功したのだが、救出された息子はすでに重い感染症の症状が出ていて、医師の懸命な治療にもかかわらず、命を散らしてしまったのだ。
警察から聞いたところによれば、犯人から感染したのだという。
それからだった。
それからずっと私は私を失い、絶望し続けた。
だが、そんな私にも私を取り戻す出来事があった。
それが赤ちゃんむにむに師制度だった。
法案が発表された時点から反対する者が多く、連日テレビを賑わせたそれは、当然、私も知るところとなり、そして当たり前のように反対した。息子と同じような目にあわせてなるものかと。
それからの日々は、廃案にするために一生懸命だった。
反対集会やデモに頻繁に参加し、ときには集会で自分の身の上を話すこともあった。
皮肉なことに、そのときの私は絶望していなかった。絶望など、忘れていた。あのときは懸命に生きていた。
だが、法案は賛成多数で国会を通過した。
私は再び絶望し、離婚した。
それからの日々はどう呼んでいいのか分からない。
絶望しながらも、全ては自分のせいだと自らを傷つけ、けれど同時に鍛えてもいた。
ボクシング、空手、リストカット。ひたすらそれのくり返しの日々。
絶望していたのは間違いない。
でも、そんな自分を騙すように、ある日突然、復讐を思い立った。
犯人に、ではない。
赤ちゃんむにむに師制度を扇動した
私は復讐する。
赤ちゃんに病気を感染させ得る豚どもすべてに。
「ターゲットは、現在C地点に向かって徒歩で移動中」
斥候の一人から連絡が入り、指揮車をすぐに到達予想地点の近くへと移動させた。
ターゲット、即ち
だが、赤ちゃんを物色するときの奴はボディーガードをつれていないことが、一年半に及ぶ調査で分かっている。もちろん、近くにいないだけで、少し離れたところにはうようよといるのだが、それでも襲撃の難易度はずっと下がる。
「デコイワン、デコイツー配置完了」
オペレーターから進捗状況が伝えられた。
今のところ、作戦は順調のようだ。
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