最終話 それが自分のルール
私たちの反乱から9年の歳月が経った。
ツェツィーリアのせいで焼け落ちた王城は、歳月を経て建て直された。
死屍累々だった惨状も片づけられ、次第に忘れられていったのである。
人は忘れる生き物とはいえ、これでは報われない魂もあろうというものだ。
今日、建て直された王城では、大勢の賓客が集められて、レーヴェ国王の結婚式が催されていた。
言わずと知れた、レーゲン家当主、エレミア・フォン・レーゲン25歳も、国の一大事に参列していた。
今の私は、披露宴から抜け出して、バルコニーで夜風に当たっている。
人酔いした私は親衛隊の連中に「好きに楽しんで」と命じて、ヴォルフと星を見ていた。
「レーヴェ国王が結婚か。まさか北国の諸侯同盟と政略結婚とは……結局、あの手練手管だけには、今日まで敵わなかったわね……」
「いいと思うよ。味方が頼もしくて、困ることはないと思うから」
政争と縁のないヴォルフは大したことではなさそうに微笑む。
この9年、レーヴェ国王は、シェーネス・ヴェッターとレーゲンに対して牽制を続けており、王家の権威復興と支配基盤を着実に整えているようだ。
「ねえ、ヴォルフ。言っておくけどね。内憂外患という言葉があるのよ。この国は今、王家とレーゲン家とシェーネス・ヴェッター家の三大勢力が水面下で覇権を争っているの。レーヴェ国王は、王家の裁量で北方の共同体と同盟を結んだ。すなわち、彼の権威こそが、外の国から見た、この国の正当な権威なのよ。この先、私たちは肩身が狭くなるわ……」
私は半ば独り言のように、頭の痛い不安材料を口にした。
ヴォルフは度重なる戦いで浅くない手傷を負いながらも、今日まで健康にすごしている。
彼がいる間は、まあ、なんとかなるかな。
そう思えるのが、恵まれた私の幸せだろう。
「ごめんね、エレミア様。俺はそういう面倒なことはわからないんだ」
「ウソつかないでよねえ。『難しいこと』じゃなくて、『面倒なこと』って言ったわね? あなたがわりかし頭の回転が良いのは、昔から知っているのよ。ちょっとは考えるのを手伝ってよ! 私ばっかり、ストレスでシワが増えるわ!」
私がやけっぱちに笑うと、ヴォルフは心得た風に喉を鳴らした。
経験を経て、無邪気な少年は少し性格が悪くなった。
親衛隊のリーダーとして、彼も程良く成長したらしい。
ヴォルフは結局、今でも奴隷のままだ。
私が適当な理由をこじつけても、彼はなぜか断る。
奴隷階級でいいことなど一つもないだろうに、どうしてなんだろうか。
しかしと言わず、モーントシャイン王国の基準で、幼少期から私と一緒にアルフォンスの教育を受けたヴォルフはエリートだ。
読み書き計算、国の歴史も把握しているし、今となっては私とほどんど変わらないレベルで軍卓も強い。
「ヴォルフ、冗談じゃなくてさ。そろそろ立場を変えない? 親衛隊の連中もよく言っているわよ。『俺たちのリーダーにはもっとすげえ肩書きが必要です!』って」
「遠慮しておく。俺は俺だから。エレミア様にとって、俺は俺だ。俺は……俺なんだよ。それ以上にはなれないし、それ以上に、なる気もない」
ヴォルフはこういう時、よくわからない言い回しをするようになった。
謎かけ問答みたいねえ、と私がからかっても、彼は一笑するだけだ。
「まったく、ヴォルフは昔から意固地よね」
「そうだね。エレミア様は変わったと思うよ。本当に、エレミア様は変わった」
孫を見る老人みたいな優しい眼差しで、ヴォルフはうなずく。
……なんだかなあ、同じように歳を重ねているはずなのに、ヴォルフは私よりずっと大人よね。
私はどこに差があるのだろうかと、不思議に思う。
あえて挙げるなら元々あった『享年25歳』のアドバンテージが歳月を経て失われたから、かもしれない。
等身大の話だ。
私は25歳で首を吊って死んだ。そのはずだ。
私はエレミアとして生きてきた。そのはずだ。
私は今、25歳のエレミアだ。そのはずだ。
なにもかもが、ウソのようで、夢のような話で「そのはず」だ。
今でも、ウソのような現実を、現実と思えない日がある。
私は本当に生きているのかと不安になるのだ。
だから、私は時々、自分の血を見る。生きているのだと、自分で納得するために、だ。
「……エレミア様は、これから、どうしたい?」
ヴォルフが私の迷いを見透かすように呟いた。
血を見るために自傷する悪癖は、私の『魔女』としての噂に箔をつけている。
「どうもこうも、これからずっと、大変になるわよ。ツェツィーリアも療養を済ませたみたいだし、レーヴェ国王との軋轢が……いや、それを調整するのが私の役目かな」
ヴォルフは「先は長いね」と笑った。
いつまででも彼は私に付き合ってくれそうだ。
「でも、エレミア様は今日までずっと、ツェツィーリア様を見捨てなかったね……俺はあんなやつ死ねばいいと思うけど、それが、エレミア様の本心ってことなのかな」
「あはは、ハッキリ言うわねえ。本心って何よ。私はいつだって優しいでしょう?」
ヴォルフは私の冗談を流さず、ひとつずつ私のいいところを挙げてくれた。
照れるわ。
しばらく褒め殺しにされた後で、私は「さむーい」と夜風に凍えて、身を震わせた。
「そろそろ、戻る?」
「うーん、もう少しだけ、星を見ているわ。綺麗な空だもの」
私の感想を聞いたヴォルフは、何も言わずに傍にいてくれた。
「ねえ、エレミア様。エレミア様は、自分の何が変わったと思う?」
世間話みたいな物言いで、ヴォルフは私に成長の是非を尋ねてきた。
うーん、ヴォルフには珍しい。酒でも入ってんのかなあ?
彼は基本的に私を立ててくれるんだけど……今日に限って、心の内に踏み込んで来る。
「変わったかなあ? しいて言うなら、ルールを決めるようになったくらい?」
私は曖昧な質問に対して、曖昧な物言いで答えた。
そうして、私はヴォルフに説明した。
単にルールと言っても伝わらないだろうけど……言い換えれば『行動の原則』だ。
例えば「自分のために」と思う感情や願望に直接従って動くのではなくて、「『自分のために』と決めた自分のルール」に従って、「自分のために」という判断を下すのだ。
歳をとってから、思考の結論に至るまで、ワンクッション置くようになったかもしれない。
私は昔から、即断即決が好きだった。
自分の判断には自信があったし、願望に忠実に生きるのは、楽しいからである。
我ながら刹那的な考え方かもしれない。
しかしその点、モーントシャイン王国での生活は試行錯誤の連続だった。
判断を間違えれば死に至る可能性も、多々あった。
9年前の私は、父ヨーゼフの慎重な態度を卑下していたけれど、今なら私をいさめるお父さまの気持ちもわかるかもしれない。
結局のところで、私は人の縁と天に恵まれて「運が良かった」だけなのである。
これは謙遜でも自虐でも無くて、この世界には私以外に優秀な人物が大勢いるわけだし。
そんなふうに語っていると、ヴォルフは仔細を納得してくれたようで、私は喜んだ。
「変な話を聞かせちゃったわね。ごめんね」
私が謝罪すると、ヴォルフは「俺が聞いたんだよ」と肩をすくめた。
「エレミア様は……うん、今のエレミア様なら、ヨーゼフ様も、アルフォンス様も、笑って送り出してくれると思うよ。憂えることなんて、なにもないんじゃないかな」
ヨーゼフとアルフォンスが亡き今、レーゲンの舵取りを行う私を励ましてくれているのかな?
ダメだなあ、ヴォルフには本当に心配をかけているわ。
「ねえ、エレミア様は、これからどうしたい? 俺にできることはなんでもするよ。エレミア様が望むなら、俺はいつまでもそばにいるよ……だけどね」
ヴォルフは「だけどね」と繰り返した。
私と共に育ってきた彼は、誰より私をよく知っていた。
しかし今、彼の言葉は、どこか私を不安にさせる。
「自分のために自分で決めた自分のルール、エレミア様は、本当はどう使いたい?」
ヴォルフは私をじっと見つめる。
心躍るようなシチュエーションのはずなのに、私は微塵も彼の微笑みが魅力的だとは思わなかった。
当然である。
ヴォルフの目は笑っていない。
……自分で決めた自分のルール。「自分のためにどうするべきか」ではない。「『自分のために』と決めた自分のルールに従った結果、どうするべきか」。そんなのは……
私は苦し紛れに、笑った。
ヨーゼフは私に「自分が無い」と言った。アルフォンスはそんな私に「この国と大勢の夢を守れ」と言った。
私は素直な気持ちで、彼らの期待に応えたいと思っていた。
だけど、私が私のルールに従って期待に応えるためには、どうしても『壁』を乗り越えなければいけない。
私は、異邦人である。私は、そもそも、この世界の誰でもないのだ。
「でもダメだわ。そんなこと、許されないもの」
私は震える声で、せせら笑った。
「私はねえ? 本当に魔女なのよ? この世界の人間じゃないの。本当の私はとっくに死んでいて、生きる意味なんて、どこにもなくて、ここで学んで積み重ねたすべてのことは、結局、私にとって虚構なのだわ。くだらない話なのよ。あっはっは」
「へえ、そうなんだ。なるほどね」
ヴォルフは否定も肯定もしなかった。
私の渾身の冗談をにぎやかすこともしてくれなかった。
やはり、私には無理に違いない。私はエレミアで、ずっと、ずっとエレミアなのだ。
うつむいた私に対して、ヴォルフは――
「ねえ、エレミア様、俺は、どうすればいい?」
――と、尋ねた。
私は答える必要もないと思って、ただただ、愉快に笑う。
我ながら気の触れたような話をしてしまったが、この期におよんで、自分の人生が覆るはずもない。私はエレミアで、レーゲンの魔女として強く生き抜くのである。
他ならぬヴォルフに、私のくだらない悩みごとで、不安を抱かせるわけにはいかず、私は自分でもおかしいくらいに笑って誤魔化した。笑え笑え、笑う門には福来るのよ。
だけど今、私の心はタガが外れていた。
ここ数年、ずっと、自分が本当に生きているのか不安で、怯えていたのである。
言うべきではなかった。
自分が異邦人だなんて、認めるべきではなかったと思う。
この世界において、私は優秀でも大した人物でもない。
でも今、私がいなければ世界は回らない。
それほどの地位に私は立っている。
重責から逃げ出すわけにはいかないのだ。
レーヴェ国王の思惑は、まだまだ不明瞭で、すべてはこれからに違いない。
――きっと、また戦争になるのだ。
私がいなければ、レーゲンは潰される。
ツェツィーリアだって、まだ生きている
当面のところでは、地方教会との交渉も上手くいっている。
だけども不十分だ。
どちらが上なのか、飽きもせず横領ばかりしている教会関係者に思い知らせなくては。
それでそれで、レーヴェ国王とツェツィーリアの間を取り持ってあげよう。
かつては権謀術数を競い合って、今もその関係は続いているけれど、この国を守るためには必要だ。
やっぱり、私がやらなくちゃいけない。
水面下で争いをしないといけない。
私は本当はね? 他人と争うことなんて好きじゃないんだけど、やるからには仕方なく喜んでやるのよ。
おかしいことを言っているようだけど、人生の先々で楽しみを見つけることだって、生きていくには必要だろう。
それらはすべて、知らずと口に出ていた。
……ははは、まるで人でなしの言い訳ね。
平和な日本でこんなことを言えば、晒し物だ。
異端審問も真っ青だ。
いや、ホントにダメねえ、私ったら、疲れているわ……
私はエレミアだと、そうなのだと自分に言い聞かせていると、気が楽になった。
こんなのは、私じゃないよね。私は魔女、迷う私なんて私じゃないのだ。
ははは、もう一つおまけに笑い飛ばそうかなあ、まるで人面獣心の輩みたいだわ!
「いや、わかってるよ」
私がきょとんとすると、ヴォルフは呆ける私を、そっと包んでくれた。
彼は「ずっと、わかってた」と、微笑んでくれた。
「叶うなら、ずっと時間を止めて、あなたの笑顔を守っていたかったけれど」
私の恐れをほどくように、ヴォルフは子をあやすような声音で、ささやいた。
「……ずっと一緒だわ。私たち、友達でしょ?」
「そうだ。友達だ。遠い昔、俺が守ると決めた、たったひとりの、友達だ」
私は訳もわからず、しかし彼の瞳に釘付けにされていた。
……なんでそんなことを言うの?
ヴォルフは私に手出しをしなかった。
唇を奪うことはしない、髪の毛に触れることもしない、ただ、体温のない素肌で、私を温めてくれる。
私はまったく現実感のない抱擁に、しかしどうしてか、懐かしく心を預けていた。
「強くなったね。大きくなった。綺麗になったよ。みんなが、きっと、うらやむよ」
ヴォルフは「鏡を見ればわかるのに。どうしてそんなことにも、気づかないのかな」と笑った。それは私が初めて見る笑顔だ。
おそらく私がおかしなことを言ったから、気を病んでいると心配してくれたのだろう。
きっとヴォルフなりの不器用な励ましなのだ。
綺麗なったはともかく、強くなった大きくなったと褒められて、うれしいかどうかは、ちょっと微妙よね。変な事言わないでよ……
「獣でいいんだ。ねえ、エレミア様、あなたはきっと獣だよ。人を食って、人を殺して喜ぶ、獣の心の持ち主だ。さぞ楽しくて、さぞ生き辛いと思う。でも、それでいいんだ」
私は「誰が獣よ」と笑った。
不思議と、嫌な気分はしなかった。
生まれて初めて、自分を認めてもらえたような気がして、どうしてなのか、うれしかった……うれしかったんだ。
「獣はね、自分のために生きると決めて、自分のために掟を守ると決めるのさ」
私が知らずに涙を流していると、ヴォルフは鏡うつしに微笑んでくれた――そう見える?
「そうだ。そっちの方がいい」
――今、涙がこぼれるのは苦しいからじゃなくて……
私はまぶたを伏せる。
そして、私はごわごわしたまどろみに身をゆだねる。
暗い水の底に沈んでいく。
今、沈んでいく私は、犯した罪で、泥まみれになっている。
だけど、だけども、だとしても。
この日、私は、自分が生まれた意味を見つけた。
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