第44話 獣と剣と

 ヴォルフの言葉を聞いて、ツェツィーリアは肩をすくめた。

 余裕と軽蔑である。


 ヴォルフはなんなく3人の騎士を圧倒して、道を切り開いた。だが……


「話にもならないわね。こちらは7人よ。いいえ、私もいるから8人か」


 ツェツィーリアは盾を捨てたヴォルフの捨て身を嘲笑った。

 ヴォルフが両の目を細める。


「後ろの付き人がふたりを引き付けたとして、私を含めて6人。あなたひとりでは、どうあがいたって、エレミアを守ることなんてできないわ」


 ツェツィーリアの宣告は無情である。

 彼女はここに至って勝利を確信していた。


 ツェツィーリアは笑っていた。

 狂喜していると言い換えてもよい。


 国王を討ち取り、おそらくはかねてからの宿願を果たし、全ての望みを叶えて笑っているのだ。


 とはいえツェツィーリアは油断などしない。

 一度とはいえ幼少期にヴォルフに敗北して、彼の強さはツェツィーリアもよく分かっているだろう。

 だが、私と彼女の両方の目線で見て、過ぎゆく時間はツェツィーリアの味方だった。


 フランツが後方を支えきれなくなるまで、時間の問題だからだ。


 ツェツィーリアは油断しているのではなく無駄話で時間稼ぎをしているだけだ。


「行くよ、エレミア様。この時だけは、俺がどうすればいいのかは……」


 直感で状況を理解したヴォルフが、敵の間合いを無視して一歩を踏み出す。


「自分で決める」


 ヴォルフは好ましく微笑んで、私から離れた。


 私は「そうよね」とうなずき、腰に下げた自分の剣を引き抜く。


 武芸センスの欠片もない私が剣を持ったところで、小動物が威嚇するほどの効果もないだろうが、何事もやらないよりはマシだ。


 ヴォルフは自分の道を決断した。

 だから、私も同じ覚悟で彼の隣に立つのだ。


「獣を狩りなさい! エレミアは無力よ! 残しておいても、どうとでもなる!」


 ヴォルフを睨むツェツィーリアが、騎士たちに命令を告げる。


 ……獣ねえ。獣って、他人を見下しているとどうなるか、忘れちゃったの?


 私は前だけを見据えて、無力で上等に立ち尽くしていた。


「人ならぬ神の時代は終わった、神にすがる王の時代はあなたが終わらせた。だとしても」


 私はおもしろく笑う。なんというべきか、愉快だ。


 絶体絶命の危機で、すがるべき柱もなく、しかしだからこそ、私は目の前に立つ青年に心奪われる。


「いつの世も、獣は死なない。私が信じる人は、あなたに負けないわ。ツェツィーリア」


「もうろくしたわね、エレミア。策もなく、力もなく、今この場でよくも言えたわ!」


 私は後方で戦うフランツの軽快な笑いに耳を澄ませながら、指揮を執るツェツィーリアと睨み合った。

 ツェツィーリアは6人と言ったが、それは戦意をくじく脅しである。


 彼女は指揮官として後方に待機しているから、ヴォルフと戦う騎士は5人だ。


 それを見た私は血の気が引くような気分で心を躍らせた。

 高揚と不安で矛盾している。


 ……これで負けたって、私は文句を言わないわよ、ヴォルフ。


 私は小さく息をついて、自分でも驚くほど自然に微笑めた。


 思えば、ヴォルフはいつだって、私の傍にいてくれた。

 最初はふっきらぼうで、誰にも心を開かない子どもだった。


 いっしょにごはんを食べても、軍卓で切磋琢磨していても、ヴォルフは私に心の内を見せることなく距離を置く。

 かつての話ではあるが、その距離が今は嬉しい。


 ……ツェツィーリアは私を友だと言ってくれる。みんなが私の事をおだててくれるけれど、本当にすごいのは、私じゃなくて、ヴォルフよね……


 私は世界でたった一人、か細い糸と、運命のめぐりあわせに涙を流した。


 ……今なら分かる。この涙は悲しみの涙ではない……私が望む、私が望み続けた涙。


「ちょーっと、エレミアお嬢さま! 俺のことも忘れてもらっちゃ困りますぜ!」


 肩を揺すられて、私はハッと我に返った。

 フランツがキザな仕草で私の涙を払う。


「劣勢だからって泣かないでくださいよ。俺は勝ちました。ならリーダーも勝ちますよ。へ、へへへ……」


「って、わおっ、あなた二人相手に勝ったの!? 見てなかったわ、ご、ごめーん!」


 私は手傷で血まみれになっているフランツを支えて、気まずく謝った。


 あれこれ考えて前だけ見ていたら、後方のフランツは戦いを終えていたらしい。

 

 とはいえ、致命傷こそないものの、出血を含めてフランツはズタボロの風体であり、ヴォルフを助けることはできなさそうだった。当然ながら、無駄死には私が許さない。


「リーダーはいつも、何も言わないんですよ。必要最低限の指示だけ下して、俺たちの裁量に任せてくれる。『俺たちはエレミア様の言葉のもとに対等だ』って、ずっと……」


 フランツは多勢に無勢の状況でありながら、『負ける』とは微塵も考えていないようだ。

 私も同じ気分。


 ヴォルフは……そもそも勝つ気しかなさそうよね。


 その時、私の前で戦う騎士のひとりが首をはねられ、断末魔さえ残さず地に転がった。

 これで4人、彼は先ほど腕を砕かれた騎士である。


「敵はひとりよ。包囲して死角を狙いなさい!」


「へえ、いいの? 俺はおまえの首を取れれば、それでいいのに」


 ツェツィーリアが指示を出すが、ヴォルフは包囲の隙間を狙って、文句なく突撃した。


 私とフランツの目線でも、ヴォルフが何を狙っているのかはよく分かった。


 ……ツェツィーリアを殺す気なのね。


 敵の頭を押さえてしまえば、なし崩しに戦いは終わる、そのはずだ。


「っ、やらせるか!」


 騎士のひとりがツェツィーリアを庇ってヴォルフの進路に立ちふさがった。

 しかし、他人を庇った分だけ、その動きは後手に回って遅い。

 一瞬の攻防が明暗を分ける状況だ。

 それは命のやり取りに違いない。


「邪魔だな。おまえ」


 ヴォルフは突撃の勢いをのせて、手にした大剣で、防御の上から騎士を叩き潰した。


 ほとんど鉄槌メイスのような使い方であり、身体をへし折られた騎士は絶命した。


 これで後3人、私は渇いた笑いを浮かべながら、ツェツィーリアを見る。


「なんと醜悪な! 獣……いや、魔女に従えられる悪魔めが!」


 ……もともと、5対1で襲って来たのはそっちだろうに、酷い言い草ね。


 しかし『悪魔』か。私が魔女で、ヴォルフが悪魔なら、それはそれでおもしろく思う。


 そしてもはや数の利など意味をなさないと悟ったのか、彼らは口々に名乗りを上げる。


 騎士道にもとづいた決闘の申し出である。


 本当に何を今更? という気分だ。当たり前の話だが、事ここに至って、こんな茶番を受ける理由なんてない。


 そもそも、ヴォルフは騎士ではない。

 私の側近ではあるが、騎士ではないのである。

 

 ヴォルフを名のある戦士だと、相手が勘違いしただけの話。

 敵側の勝手な都合なのだ。


 名誉も誇りもない、勝利だけを望むヴォルフは、名乗り口上をあげる相手を粉砕した。


 ……これで残る騎士はふたり、敬意の欠片もないヴォルフの対応に、好き勝手な罵倒が浴びせられるが……構うか! ヴォルフの卑劣は私の卑劣! 泥なら私が被るわよ!


 私とフランツは、庶民派根性で嫌味ったらしく、敵の罵倒を笑い返した。


「へへへ、さすがリーダー! こうでなくっちゃ!」


「フランツ、エレミア様の守りは、おまえに任せる」


 満身創痍で笑っていたフランツが、その表情を引き締めた。

 あのヴォルフが私の守りを他人に任せた、その意味を察せないほど彼は愚鈍ではない。


 仲間を殺されて憤る生き残りの騎士たちが、怒号と共にヴォルフへと突撃した。


「悪魔め! 死ねえ! 死ね、死ね、死ねえッ!!!!」


 ヴォルフは身もすくむような殺意を受け流して、その連撃を大剣で受けた。


「うおおおおおおおお! 悪魔よ、その首、もらったぞ!!!!」


 打ち合い釘付けにされて足を止めたヴォルフの死角から、咆哮する騎士が迫った。


 ヴォルフは目前の敵に手をかけて、その剛腕で自分と相手の位置を入れ替える。


 必然、振りかぶられ、怒りに任せて振り降ろされた騎士の剣が奪ったのは、ヴォルフではなく戦う仲間の命である。

 しかし、仲間を切り裂いた凶刃は、あろうことかヴォルフの右肩口にめり込み、鮮血を散らす。

 仲間もろとも『悪魔』に手傷を負わせた喜びで、最後に残った騎士の表情が凶悪に歪んだ。しかし。


「痛ってえっ、なあっ!」


 ヴォルフは重たい大剣を捨てて、俊敏な動作で騎士の側面に回る。


 ……仲間の死体を深々と切り裂いた騎士は、得物を引き抜けず、硬直している! 身を軽くしたヴォルフの方が早い!


 ヴォルフは騎士を押し倒して、その首を絞め、腕力でへし折った。

 カエルを潰したような断末魔と嫌な音だけを残して、最後の騎士が動かなくなる。


 ……これで、ツェツィーリアを守る騎士は全滅――


 そう思った瞬間、銀の剣先が閃き、ヴォルフは床に転がり、かろうじてそれを避けた。

 直剣による刺突は、ヴォルフの左上腕を切り裂いた。

 私は悲鳴をあげそうになる自分を律して、懸命に耐える。


 ヴォルフは両腕に傷を負った手負いの状態だ。


「ツェツィーリア!!!!」


 悲鳴は上げずとも、私は叫ばずにはいられなかった。


 刹那の攻防、ツェツィーリアは私なんかには目もくれない。

 彼女は手負いの獣を狩る狩人の手つきで、地を這うヴォルフを追撃した。


 殺すつもりだ。


「…………ッ」


 右肩と左腕をそれぞれ負傷したヴォルフは、起き上がるにも一苦労のようである。


 それでも脚力と全身のバネで跳ね起きるのは、彼の卓越した身体能力のおかげか。


 しかしツェツィーリアはそれさえ予想していた様子だ。

 先ほどの攻防で大剣を捨てて丸腰になったヴォルフに対して、彼女は一方的に剣を振るった。


 ヴォルフも腰の短剣を抜いて応戦したが、焼け石に水である。

 

 切り結ぶにしても、直剣と短剣では土台のリーチが違いすぎる。

 これでは、守ることさえままならない。


「くそっ、やらせるかよ!」


「……手出し無用だ。フランツ」


 ヴォルフは両腕に鮮血をしたたらせながら、ツェツィーリアと距離を置いた。


 互角ではありえない。


 負傷したヴォルフは苦悶の表情を浮かべ、対峙する敵を睨んでいる。


 ツェツィーリアはというと、傍目には涼しい表情で、まだまだ体力に余裕があるらしい。


 私は焦り、なんとか舌先三寸で切り抜けられないかと考える。

 じりじりと距離をせめぎ合う両者にとっては余計なお世話だろう。


 そうだと分かっていて、私は声を上げる。


「あなたらしくないわね、ツェツィーリア」


 私はできるだけ不敵に笑った。

 ツェツィーリアは僅かに両の目を細めたが、それだけだ。


「一回きりとはいえ、昔ヴォルフに負けたのが、そんなに悔しかったの?」


 私は腰を折り床に手を伸ばして、些細な挑発を伝えた。

 私が拾ったのはヴォルフの盾だ。


「剣で戦って、盾に勝てなかったんだもんねえ。お笑いぐさだったわよ。神童さん」


 私は嫌味ったらしく盾を掲げた。


 もちろん、なんの意味もない挑発だ。

 ツェツィーリアがこんな挑発に乗るはずがないと、私にはわかっている。

 だから、本当の目的は彼女の冷静を奪うことではない。


「あなたは負けるわ! こーんなふうにね!」


 私は相手がなにも言い返さないのをいいことに、盾を天高く投げ飛ばした。


 ――そう。ちょうどゴットフリートがしてくれたみたいな、ミスディレクションだ。


 ……もらったわよ、ツェツィーリア!


 私は盾を投げた勢いそのままに、遠心力に任せて、自分の『剣』を投げた。

 ハンマー投げの名手ではない私のコントロールはめちゃくちゃだったが、その剣はヴォルフを目がけて、飛んでいった。


「そうだ。この剣が、俺の……」


 ツェツィーリアは一瞬遅れて、自らが置かれた状況に気づいた。


 彼女は一瞬だけ私が投げた盾の行方に気を取られたが、ヴォルフは気にも留めない。

 ツェツィーリアは小さく舌打ちして、ヴォルフに向かって跳ぶような加速で突撃した。

 機を見るに敏である。


「エレミア様と、俺たちの、答えだ」


 ヴォルフは前へと踏み出し、回転する剣を臆せず掴み取った。


 ツェツィーリアは突撃の勢いに任せて剣を振るったが、ヴォルフはそのすべてを受け太刀によって完封し、やすやすと、ツェツィーリアの剣を払い飛ばした――決着だ。


 ……ここまでね。だけど。


 しかしツェツィーリアは、腰に下げた短剣を抜きはらい、なおもヴォルフに迫った。

 不意を打たれたヴォルフの右腕に、深々と短剣が刺さる。


「おまえなら、そうすると思った」


 ヴォルフは剣ではなく、自らの左手でツェツィーリアから短剣を取り上げた。そして。


 ……今度こそ、終わり。


 ヴォルフは取り上げた短剣を、ツェツィーリアの腹に深々と突き刺し返した。

 そのまま突き飛ばし、深手を負った彼女を冷たい床に転がす。


「死ねよ。いつでもどこでも、勝手に死ね。俺はおまえに、興味なんてない」


 ヴォルフが地に膝をつくと同時に、大勢が遅れて王の間に到着した。


「ねえ、教えてよ、エレミア……私のたったひとりの友達」


 歓声はなく、称賛もなく、劇的なことはなにもなく、私はツェツィーリアの手を取った。


「負けっぱなしの私は、まだ、あなたのお友達かしら?」


 私は倒れ伏す少女に耳を傾けて、静かに、当然の言葉を伝え返す。


「私はエレミア。エレミアはいつまでも、あなたツェツィーリアの親友だわ」


 レーヴェ王子が王城に辿り着いたのは、ちょうどその時であったらしい。


 ◆◆◆


 国王は死んだ。

 反乱のどさくさにまぎれて、誰かが殺した。


 私が思った通り、やはり歴史は勝者が紡ぐものだったらしい。


 レーヴェ王子に刃向かう王家の者たち。

 彼らは皆、地方に左遷され、そこで『病』によって死を遂げるという、おあつらえむきのストーリーが用意されていた。


 王城は完全に焼け落ちてしまい、王城に立てこもっていた王国騎士団の過半数は、地位も名誉も、自らの命も失った。

 その代償に、今を生きる私たちは未来を得て、レーヴェ新国王とシェーネス・ヴェッターとレーゲンによる三大勢力の時代が始まる。


 この反乱において、首謀者であるツェツィーリアは治る見込みのない深手を負い、しばし歴史の表舞台から姿を消す。

 すべては才媛を蹴落とす「魔女の策謀」だと、噂する声も多い。


 ツェツィーリアのカリスマに統率を依存していたシェーネス・ヴェッターだが、ゴットフリートの忠誠と粉骨砕身の働きによって、その勢力はひとまずのところで維持された。


 国にも、人の心にも、大きな変化をもたらした戦いは、こうして終わる。


 そして、時は流れて。


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