第43話 たったひとりの友達

 私たちは抵抗を続ける近衛騎士たちを蹴散らしながら進んだ。


 彼らは皆手負いだ。


 王の間への道を阻むのは、最後まで王に付き従う側近たちだ。

 彼らはシェーネス・ヴェッターの精鋭を退け、しかし満身創痍の風体でなおも私たちに向かってくる。


 守るべき王の生き死にさえ、今となっては関心の外のようで、彼らは憎悪のままに剣を振るった。

 むろん、冥土の土産に魔女エレミアの首を取ろうと望む者もいる。

 道連れね。


 私は敵の相手を親衛隊に任せて、前へと進んだ。

 反乱傭兵と戦ったかつての激戦と比べれば、なんのことはない。


 矢も投石も飛んでこないし……戦い疲れて擦り切れた近衛騎士たちは身も心も力尽きていた。

 しかし、私たちは万全の状態だ。負ける要素はない。


 私は愚かなお父さまの遺言を想い、口を結ぶ。


 なにもかもがうまくいくはずはないと、私たちに刃向かう者は大勢いるのだと、彼は語った。

 私と違って、ツェツィーリアはそれを理解した上で覇道を征くのだ……覚悟の差か。


 なあなあで人の死を避ける私と、彼女との格差かもしれない。


 もし私が最初から、刃向かう者を叩き潰す気持ちでいれば、お父さまも私を認めてくださったのだろうか。


 ……レーヴェ王子は、私を笑うかしら。


 王族の身でありながら、民を憂い、我が身の保身も考え、その上でツェツィーリアと互角に張り合うレーヴェ王子だ。

 彼の暗躍は見事だった。私もかくあるべきだった。


 ……つまらない死に方をさせてしまった。お父さまにも、アルフォンスにも。


 涙は払ったはずなのに、あまりに我が身が情けなくて、涙が滲むようだ。

 どこまでも自分本位な心根が恨めしい。

 意外と言わず、私はエゴイストなのだ。


 王の間の直前で、私に付き従う親衛隊はヴォルフとフランツのふたりだ。


 他のみんなは王の間への活路を開くために奮闘している。


「エレミアお嬢さま、一旦退きましょう、敵の抵抗が強すぎる。大乱戦ですぜ」


「ダメよ、ツェツィーリアはこの先にいるわ。私だけでも、行くわ!」


 フランツの進言は冷静で正しい。

 しかし、だとしてもここで退けばすべてが無駄になる。


「フランツ、私に何かあった時は、あなたが指揮を引き継ぎなさい。全員で撤退するのよ」


「へっ、縁起でもないことをおっしゃらず……俺たちは騎士で、一蓮托生なんでしょう?」


 フランツは不安を蹴飛ばすように言ってくれたが、私の興味はもはや軽口にはない。


「ツェツィーリア……」


 前を向くと、王の間の最奥で、誰かが戦っている。


 誰が戦っているのかは見当がついている。

 ツェツィーリアと、現国王だ。

 女性の身でありながら、ツェツィーリアは苛烈で退かない。

 周囲にはシェーネス・ヴェッターの精鋭と近衛騎士の屍が積み重なっていた。


「この、狂人めがッ! 呪われろッ!」


「さよなら」


 そして決着は一瞬でついた。


 ツェツィーリアの手にした直剣が国王の喉を深々と貫く。


 鮮血が噴水のように吹き出し、返り血がツェツィーリアの戦装束に化粧をした。

 どうやら私たちは奮闘虚しく間に合わなかったらしい。


 ツェツィーリアは昔から、いつだって勝手なやつだった。


 人気者のようでいて、誰にも心を開かない。

 良くも悪くも唯我独尊の人物なのだ。

 その彼女が、止められたくらいで国王の排除を断念するはずがない。


 ツェツィーリアは最初から、他人を利用して自分だけの理想を遂げるつもりだったのだ。

 知れば私とレーヴェ王子は止めただろう。


 現国王を亡き者にするとしても、それは反乱の現場ではなく、もっと『穏便』に行うべきだと、主張したはずだ。


 戦場の乱戦で不慮の事故はつきものとはいえ、この状況で言い逃れはできないだろう。


 私は最後まで、ツェツィーリアの思惑を読み切れなかった。

 彼女には野心があった。

 それは理想という言葉で誤魔化されていたが、仄暗く、おそろしい代物に違いなかった。

 友情にほだされて、私は彼女が見えなくなっていたのだ。


 ……もう、戻れないのかな。


 ツェツィーリアは最初から、退くつもりなんてなかったんだろうけど、ね。


 今は、陽気に「死ねよ、死ねよ」と采配を振りまわしたい。

 ナイーブな心境では、そんな気分になる時もある。


 とはいえ、おちおち現実逃避をしてもいられない。


「ツェツィーリア。聞いていないわよ。なにをやってるの、あなた」


 私が非難を伝えると、ツェツィーリアは真顔で私へと振り向いた。

 気づけば、王の近衛騎士は全滅していた。


 周囲にはシェーネス・ヴェッターの精鋭だけが残っている。

 すべては予定調和といわんばかりの状況よね。


 血にまみれたツェツィーリアが、注目を集めながら、私に近寄って来た。


 私は決して彼女から視線をそらさず、前を見た。

 鮮血で魅惑的に彩られた彼女の姿を見ていると、自分が酷く潔癖な存在に思えた。


「エレミア、遅かったわね。国王はもう死んでしまったわ」


 私は何も答えなかった。

 おまえが殺したんだろうと、本当はわめき散らしたい。


 ヴォルフとフランツが周囲を油断なく警戒していたが、今はその配慮がありがたい。


「ねえ、エレミア。あなたとレーヴェ王子が私を止める理由はわかるわ。今のモーントシャイン王国は、風前の灯だもの。ここで国を割れば、それが国の最期になるでしょう」


 ツェツィーリアは私の非難を軽く流して、私を諭すように発言を続けた。


「レーヴェ王子は掛け値なしに優秀ね。彼に任せておけば、この国は栄光を取り戻すでしょう……でもね、私はそれを良しとしないの」


 ツェツィーリアは私に対して、なにかを語りかけている。

 その『なにか』の答えを知るべく、私はツェツィーリアの語りを、ひとまず聞き入れた。


「この地はもっと自由を手にするべきだわ。東西南北の交差点、交易の中心地として! 豊かな繁栄を手にするためには、民が自由になる必要がある! そのためにこそ、王権を失墜させ、貴族に泥をかぶらせ、飢えた民を立ち上がらせる! そのためになら――」


 両手を広げて、ツェツィーリアはニヤリと笑った。

 それは、理性を積み重ねた言葉でありながら、絶え間ない狂気にも似た響きを秘めた、彼女という人間の本心だ。


 そして、ツェツィーリアは……


「そのためになら――私は一度くらい、この国を、滅ぼしていいと思うわ」


 うっとりと剣を撫ぜて、つぶやいた。


「あなた、いい加減にしなさいよ!? 本末転倒だって、わかるでしょ!?」


 私は耐えかねて、ツェツィーリアに叫んだ。


「何を今更……私に指針をくれたのは、エレミア、あなたよ? あなたのおかげで、私はこの道を行く決心がついたのだわ」


 ツェツィーリアは幼いころから変わらない、人を食ったような物言いで、私に剣の切っ先を向けた。

 私を示し、私に理解を求める。パフォーマンスだ。


 ……私のおかげ? どういう意味?


「あなたは言ったわね。私が単独で王国を制覇できれば、最強の中央集権国家が誕生すると……でも、それは無理だとも言った。次点として貴族議会の創設だけど、これが叶うのも、私が存命して強権を振るえる間だけで、その後は大貴族の権力闘争で、結局は国が割れる……まったくその通りだと思うわ。だけどね、エレミア? あなたはその後、どうなるかの話をしなかったでしょう?」


 ツェツィーリアの物言いは、かつて私が伝えた忠告そのままだ。


『織田がつき、羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川』の途中までだ……そう、この話は途中の『天下餅』までである。ツェツィーリアはそれに気づいていたらしい。


「私なりに考えてみたのだけど、国が割れた後には誰かが強権を手にするはずよね? そしてその誰かは、おそらく先人の失敗を教訓に強固な支配体制を築く。きっと千年王国のような、太平の時代が続くはず……」


 中央集権を推し進めた織田信長は非業の最期を迎え、その意志を継いだ豊臣秀吉も死後に五大老の破綻によって権勢を失う。ここまでが『途中』。


 その後、後進の存続を重視する仕組みを作った徳川が、長らくの繁栄を勝ち得た。

 今、ツェツィーリアが語っているのは、この部分だ。


 ツェツィーリアは好ましく笑って、私の動揺を観察していた。

 自らの想像が、私の見解と一致したことを、洞察で見抜いたのだろう。


「そして、まどろみの内に、この国は世界から『置き去り』にされる。そしてなにもかもが手遅れになったその時に、ようやく民の時代が訪れる。騎士が立ち、農民が立ち、職人が立ち、商人が立つ……立たねば滅ぶ、世界と戦うべき、その時代がね」


 かく語るツェツィーリアは遠すぎる未来を見ていた。


 地球由来の知識で語っていいなら、江戸時代の終焉と、そこからつながる明治の時代。世界列強との競争の時代だ。


 私はツェツィーリアの先見に驚愕していた。

 もちろん、この世界で地球と同じ歴史が紡がれるとは限らない。

 彼女の描く未来は、妄想と言ってさしつかえない砂上の城だ。


 だとしても、地球……それも日本の生まれである私には、ツェツィーリアが描く未来の絵が容易に想像できてしまった。


 私はただ、ほんの僅かな知識と見解をもたらしただけ。

 にもかかわらず、その欠片を手繰って、ツェツィーリアは未来の全体像を完成させたらしい。


 まごうことなき天才の所業だが、そんな事情はここに至って問題ではなかった。

 そこまで未来を見通しているのなら、国王の殺害も、彼女にとっては計画の一部ということだ。

 

 私はようやく、ツェツィーリアの本当の目的に合点がいった。


「なるほど。そして最後に『民が勝つ』。最後に目的が果たされるなら、今はどうでもいいってわけ? 今を生きている人々は、どうでもいいってわけか! ふざけろ、傲慢女!」


 ツェツィーリアの主張は現状維持とは程遠い、今を生きるすべての者を犠牲にしてでも、後世での理想を勝ち取ろうと望む、正真正銘の革新だった。


 私もレーヴェ王子も、今を戦う兵士たちも、ツェツィーリアにしてみれば、ただの駒だ。彼女は最初から、自分が望む未来の理想しか夢見ていなかったらしい。


「ああ、エレミア。やはりあなたは私にとって、天が与えた友であり……試練なのねえ」


 ツェツィーリアは笑わない。

 ここは戦場だ。何が起きても不思議ではない、戦場だ。


「わかってくれないなら、さよならね……私の、たったひとりの友達」


 ツェツィーリアが命令を下した。


 冷めきった瞳のツェツィーリアの意を汲んで、彼女に狂気の忠誠を誓うシェーネス・ヴェッターの精鋭たちが、私に迫った。


 その数は7人。


 フランツが背後を守ってくれるが、多勢に無勢で焼け石に水だ。


 私は前を見ていた。

 私は冷血女に負けたのだと、諦めと共に理解した。


 思えば、前世からそうだった。

 上っ面の友達はいても、私に心許せる親友はいない。


 ツェツィーリアは私にとって鏡のような存在だったのだと、今更に気づく。


 ……私も、ここまで首尾一貫して人でなしになれたら、カッコよく生きられたのかな。


「無理か」


 思わず自嘲がこぼれた。


 そんな柄じゃないもんねえ。


 首を吊って死んだ前世と同じだ。

 なるがままに流されて、大した意味もなく、私は死ぬ。


 お父さまの言う通りだ。私には『自分』がない。


 その格差が、最後に私とツェツィーリアの命運を決定づけたのだろう。

 私は負けた。私は諦めた。

 友情に敗れたなら、まあ仕方が無いと思う。

 

 そして、鈍い閃きが、私に迫る、その瞬間に。


「なにやってんの? エレミア様?」


 迫る騎士3人を、大剣の一撃が、まとめて薙ぎ払う。

 ひとりは受け太刀で退き、ひとりは盾で守り、ひとりは――その右腕を砕かれた。


「さよならって、誰が決めたの?」


 名誉ある騎士ではない。

 ただの奴隷の青年は、私の前に進み出て、なおも告げる。


「さよならなんて許さない」


 一振りで活路を開く、規格外の青年は、その大きな背中で、私に告げる。


「だって、この人は」


 ヴォルフは盾を捨てた。

 大剣が絞られ、道を切り拓くためだけに、彼は倒すべき敵を見据える。

 その背中に、私はあるべき『自分』の幻想を見た。


「エレミア様は、俺の、たったひとりの友達だ」


 そうだ。そうよね、ヴォルフ。

 みじめなさよならを告げられたとしても。


 決めるのは自分。


 今を生きる、『私』はまだ、ツェツィーリアの友達だ。



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