第40話 ゴットフリートという男

 手紙は送った。


 雪解けの前にヨーゼフが王都を訪れてくれるらしい。

 ここに至って、私も腹をくくった。

 これはレーゲンの未来を担う親不孝だ。

 ツェツィーリアの理想にもレーヴェ王子の思惑にも、無視はさせない。


 そうよ。私も、舞台に交ぜてもらおうじゃないの。


「エレミアお嬢さま、シュトルム家からの報告を……よろしいですか?」


 フランツがなにげない風に装って、昼間の私に会いに来た。

 彼には今回の親不孝にあたって、シュトルム家との連絡役を任せていたが、その件が終わったようだ。


「いいわよ。どうぞ」


「どうも。『部屋に入った犬』を捕まえるのに……そう、『部屋に入った犬』を捕まえるのに、ジャックの坊ちゃんが協力してくれるそうです。ざっと腕利きが10人。俺たち親衛隊と合わせて20人もいれば、タイミング次第でどうとでもなるでしょう」


 10人か。警護が多すぎれば疑われるし、大貴族への配慮が少なすぎても不自然だ。


 ヨーゼフを捕縛するに際して、ジャックの采配はおよそのところで正しいだろう。

 とはいえ場合によっては、多少の抵抗を覚悟しなければならないはずだ。


「犬が部屋を荒らす前に……私が説得できればいいんだけどね」


 私は遠くなく来たるヨーゼフとの対話を想ってまぶたを伏せた。

 思えば、私はヨーゼフとはロクに言葉を交わしていない。

 扉越しにヨーゼフの本心を聞いて以来だろう。


 胸が痛い。


 娘の私が恐ろしいと、ヨーゼフは彼なりに悩んでいる……ひかえめに言って、私の行いはそれに輪をかける親不孝に違いない。


 私は心労から、知らず知らずのうちにため息をついてしまう。


「ありがとう。その手筈でお願いするわ。ジャックへの伝え方は任せるから」


 私はフランツに今後の指示を出して、ひとまずその場を離れた。


 ……自分の親を騙して、計略にかけるって、思っていたより心に来るわね。


 私は私なりに覚悟を決めたつもりだったが、面識もない『敵』を屠るのと、親しい相手を罠にかけるのは、やはり別の話だ。


 しかし今、フランツの前で迷いを見せるわけにはいかなかった。

 彼は私に忠誠を誓う親衛隊の一員だ。

 上に立つ私が彼らを迷わせるわけにはいかない。

 私は歯を食いしばった。


「ま、どうにかなるわよね。どうにかするわよ。私が……ね」


 気づけば握りこぶしが震えていた。

 我が身に過ぎた重圧が、耐えようもなく恐ろしい。

 しかし。


「エレミア様。顔が怖いよ。笑った方が、みんな安心する」


 自分も普段は仏頂面のくせにヴォルフが言う。

 それは私を安心させるための笑顔だ。

 うーん、なんだか最近、ヴォルフは人間味が増したような気がするわね。


「ヴォルフに言われるとはね。明日は雨かしら?」


 私も笑った。

 こういう笑い方なら、私は得意だ。


「雨は降らないよ。これで当然だ。ゴットフリート様が、色々と教えてくれたんだ。俺はどうも、傍目に感情の起伏が少ないらしいから。意識して笑うようにしろ、ってさ」


 ヴォルフが指し示す方向を見ると、ゴットフリートがひとりで廊下を歩いていた。


 ゴットフリートは、私たちの視線に気づいて会釈をした。

 深く刻まれた笑いジワは、知的な好々爺の印象を際立たせていた。

 もちろん実際は、ロクでもないジジイである。


「へえ、ゴットフリートも良いことを言うじゃない。そういえば、稽古をつけてもらっているんだっけ? 武の道だけでなく、紳士の配慮も学ぼうって、向上心があるわねえ」


 私は自分の側近が誇らしくて「うんうん」とうなずいた。

 なんていうか、幼いころからヴォルフを見てきた身としては、彼の成長が感慨深いのである。


「ああ、それにゴットフリート様は強い。ひょっとしたらアルフォンス様より強いかもしれない。彼に教えてもらったことは、必ず俺の……そしてエレミア様の役に立つよ」


 ヴォルフは静かな闘争心を燃やすように微笑んだ。

 ヴォルフは本当に変わった。

 今の彼には、かつてのたどたどしい面影はない。


「ソレは楽しみね。もしアルフォンスが護衛についてきたら、その時には……頼むわよ」


 ……言ってしまってから、自分の軽率が嫌になる。


 私はレーゲンの屋敷を切り盛りするアルフォンスの姿を思い出した。

 私の教育係、私の先生、私の……かけがえのない友人だ。


「エレミア様。アルフォンス様のことなら心配はないよ。エレミア様は上手くやれるし、エレミア様が望むなら、俺がなんとかしてみせるから」


「あはは、頼もしいわ! ありがとうね」


 ヴォルフの励ましに対して私は軽く笑い返す。

 私たちのやり取りを遠くで見ていたゴットフリートもなにやら「クックッ」と笑っていた。


 ツェツィーリアに仕えるゴットフリートも、この度の舞台で彼の役割があるはずだ。

 それがなんであるかは知らないけれど、少し探りを入れてみるのも悪くないだろう。


 ◆◆◆


 翌日、私は廊下を散策しながら、ゴットフリートを探していた。

 

 貴族たちの付き人の中でも特に高齢の彼は目立つので、すぐに見つかる。


「お久しぶりね。元気だった?」


 ゴットフリートとしては、私に用はなかったのだろう。

 しかしそこは紳士の配慮でひとやすみして、私の話し相手になってくれるに違いない。


「これは、これはエレミアお嬢さま。また一段とお綺麗になられましたな」


 褒めているのか、セクハラかましているのか、相変わらず腹の読めないご老人だ。


「綺麗って、ツェツィーリアを傍で見ているあなたに言われると、嫌味よねえ?」


「本心ですとも。お強い女性は美しい。その点、うちのお嬢さまには脆いところがある」


 おそらくは私の答えまでが想定内だったのだろう。

 ゴットフリートはひょうひょうと言葉を紡いで、ツェツィーリアへの揶揄を口にした。


「ははは、脆いって……年寄りになると口うるさくなるのかしら? ツェツィーリア『様』の耳に入ったら、こっぴどく怒られるわよ」


 あの陰謀屋に対して『脆い』とは恐れを知らない評価である。

 同年代ではとても言えまい。


「怒ってもらえるようなら、話し甲斐もあるのですがね。老人の小言などは、耳に入れてくださらぬようでして。近頃はめっきり寂しい思いをしております。ははは」


 ゴットフリートは笑いジワを刻んで、ケタケタと喉を鳴らした。


「わたくしが忠義を誓った主人も、既に亡き者。シェーネス・ヴェッターにいても、閑職に回されるだけの未来……いかがですかな? わたくしをエレミアお嬢さまの裁量で雇っていただけると、人生の終わりが華やかになりそうなのですが」


 ゴットフリートが冗談めかせて私を見つめた。

 思えば彼との縁も長いものだ。


 ……初対面で精神的虐待を受けた恨みは、生涯忘れないけどね。このクソジジイ。


 彼はツェツィーリアの教育係だ。


 しかし、私にとってもある意味で恩師だ。

 今更になって言うことでもないが、幼き日の思い出は眩しい。

 私もヴォルフも、ゴットフリートとの交流を経て、現在の基礎となる人格を形成していた。


 すべては彼の影響力に違いない。


 ……なにもかも、手のひらで転がされているようでおもしろくないけどね。その点は年の功ってやつなのかな。享年25歳の私でも、そもそもの人生経験で負けているのだ。


 正直言うと、私は嫌いつつもゴットフリートを尊敬していた。

 なにしろツェツィーリアを育てて、傍で支え続けるご老人である。

 剛腕と呼んで過言ではないだろう。


 幼いツェツィーリアにおもねり、利用を画策する輩も、多くいたはずだ。

 世の中が善人だけで成立しているはずはないのだから、当然だろう。

 貴族、平民、奴隷階級、その間に立ってツェツィーリアを守り続けた彼は忠臣だ。

 そのゴットフリートが、たかが15の小娘相手に弱音を吐くはずもないだろう。

 さっきの話はリップサービスだ。


 私には彼をヘッドハンティングするような度胸も、彼を扱う才覚もない。

 私は苦笑いをして、それをゴットフリートへの回答にした。


「残念ですな。エレミアお嬢さまなら、わたくしを使ってくださると思ったのですが」


「勘弁してよね。私、けっこうトラウマなのよ? あなたにガイドしてもらった公開処刑ツアー! あれだけはもう二度とごめんだわ!」


 冗談でも冗談でない話をされてしまって、私は頭を抱えた。

 くしゃくしゃと髪の毛をいじって心底思うのは、人間はストレスでハゲるという事実よね。


 ……それはそれとして、ゴットフリートの真意はどこにあるのか。


 私はとりとめもない雑談の終わりに、ふと尋ねた。


「ねえ、ゴットフリート。あなた、ひょっとして、今回の件……外されてる?」


「ご明察です。休暇をいただきました。シェーネス・ヴェッターの統率は完璧ですが。いざという時、わたくしという駒が無傷であれば、なにかと保険になりますので」


 ゴットフリートはしかし本意ではなさそうに、苦く笑った。


「老兵など、死にゆくのが唯一の華なのですから、最後に一働きさせてほしかったものですがね。ツェツィーリアお嬢さまは、その点、やはり人の心がお分かりでない。これだけは、わたくしの教育係としての、最後の心残りですなあ……」


 新たな時代には、新たな人々が時代を拓く。

 そんなことは当たり前の話ではあるのだけど、私にはゴットフリートの哀愁も分かるような気がした。


 少しだけ、ゴットフリートの印象が変わったように思う。

 彼もまた人並みに悩み、人並みに世を憂える人間なのである。


 私は偏見に囚われていたのかもしれない。今更か。


「なら、久しぶりに軍卓でもいかが? 私に勝てたら、老後の転職先は保証するわよ」


 私が誘いかけると、ゴットフリートは愉快そうに喉を鳴らした。


 何事も、悩んでばかりでは始まらないだろう。

 私は気分転換を兼ねて、ゴットフリートに手合わせを願うことにした。


 私たちは中庭のテーブルに盤と駒を広げた。

 小娘とご老人の、ささいな戯れである。


 ◆◆◆


「へえ、軍卓なんて、久しぶりだね」


 寮に戻らない私を探しに来たヴォルフが野次馬になった。

 フランツも一緒である。


「へえ、エレミアお嬢さまは軍卓がお好きなんですか? 大したもんですね。俺はどうも、昔からこういう頭を使う遊びは苦手で……」


「ふふふ、あなた方のご主人は軍卓の申し子でしたからなあ。幼くして、我がシェーネス・ヴェッターの当主を打ち負かしたのです。いやはや、アレはすごかった!」


 盤上を眺めるフランツに対して、ゴットフリートが私を盛大に持ち上げてくれた。


 そういえば、そんなこともあったように思う。

 シェーネス・ヴェッターにお邪魔した際に、祭りの席で、当主に誘われて、そのまま彼を軍卓で負かしたのだった。


 ゴットフリートは多少の誇張をまじえて、私をおだててくれるが、おそらくと言わずこれは私の油断を誘うおべっかに違いない。


 勝負ってのは、固くなりすぎてもいけないが、かといって緩みすぎるとあっさり判断を誤る……戦いはすでに始まっているのだ。


 私はシミュレーションゲームが好きなんだけどね。

 育成要素のあるシミュレーションRPGにせよ、将棋とかチェスみたいなボードゲームにせよ、マイペースの維持が肝要よ。


 ゲームと実際の戦場とは違う、と語る人はいると思うし、もちろんそれは正しいと思うのだけど、しかし『タイミング』を重視する点では、どちらも同じだ。


 カッコよく言えば『機』というやつで、それをおろそかにしようものなら惨敗以外にありえない。

 現実でもゲームでも、ここしかないという『機』はあると思うし、それを自分のものにできるか否かが勝敗の分かれ目だろう。


「そうだね。エレミア様はすごいよ。戦場でも。だから俺たちは、今も生きている」


 ヴォルフがつぶやいた。

 彼はおべっかを意に介さない。

 実際にその場で見ていたからだ。

 

 ならば当時、私が当主との軍卓で守勢に回っていた事実を覚えているに違いない。


「当主のルーカス様は強かったわ。私はほとんど守勢だったし、そんな褒められた話でもないけどね。それと、ゴットフリート」


 言ってから、私は対戦相手を見た。


「はて、なんですかな?」


「私が勝ったら、ひとつ相談に乗ってほしいのよ」


 ゴットフリートは「ふぅむ」と考えている。


「へっへっへ、エレミアお嬢さま。相談と言わず、お願いと言ってしまえばいいんじゃないですかね? 切実なお願いってやつで」


 フランツが口をはさんでニヤニヤする。

 私が今回の親不孝騒動で、ゴットフリートに助力を請いたいという願望を見抜いたのだ。

 まずは相談という形で、穏便に話を進めたい。相談ならば、私が負けても聞くだけは聞いてもらえるはずだ。問題ない――と、思っていた矢先のフランツの割り込みだ。


 ……だああ、余計なことを!


 私はフランツをジト目で見たが、彼は「勝てばいいんですよ」とうそぶいてくれる。


「いやはや、やはりエレミアお嬢さまは、すばらしい配下に恵まれているようだ」


 私を観察するゴットフリートの笑顔が、しかし今は気まずい。

 私はひとまず、彼の手を借りたい下心を誤魔化すことにした。代案はレーゲンの話だ。


 私は、遠くない未来、苦境に立たされるであろうレーゲン家の舵取りとシェーネス・ヴェッターとの橋渡しを助けてほしいとお願いした。

 これはこれで、必要な話よね。


「ほほう、このような老骨がその日まで生き永らえているとは思いませんが。ははは」


「その時は、草葉の陰から見守ってちょうだい」


 ゴットフリートがおもしろそうに駒を動かし、私も半笑って手番を渡す。


「さすがにレーゲンの舵取りに口出しはできませんが、シェーネス・ヴェッターとの細かい調整には助力しましょう。ツェツィーリアお嬢さまには恨まれそうですがね」


「ええ、よしなに頼みます……」


 ゴットフリートが現実的な方策を提示してくれる。


 実際問題、シェーネス・ヴェッターと良好な関係を維持するためには、双方の事情に精通したパイプ役が必要に違いない。


 ……さすがに、私とツェツィーリアの個人的な友情を頼るには限度があるし。


 正直、私は彼女が苦手だ。友達にも不得手はある。都合の良い話ばかりではない。


「しかし勝っても負けても、わたくしの転職先が決まっているようですが?」


「そこはまあ、あまり気にせず、騎士の誇りで真剣勝負をお願いするわよ」


 序盤戦で、攻めと守りを膠着させて、ちゃくちゃくと戦いの準備を進める私たちを見守って、ヴォルフがうなずき、フランツが愉快そうにした。


「騎士の誇りですか。年老いてから、すっかり忘れてしまった言葉だ」


 ゴットフリートがクックと喉を鳴らす。

 笑いジワを含めて、何か悪だくみをしているように見えて、実にダンディね。

 つくづく底の見えない爺さまだわ。


「騎士と言えば、俺たち親衛隊も騎士ですからね」


 フランツが妙なところでご老人と張り合った。


「それじゃ、ギャラリーの俺は騎士の誇りの代わりに、給料3月分を賭けましょうか。頼みますよ。エレミアお嬢さま! 信じてますぜ!」


「給料3月分って、それは別の意味で人生賭けてるわね……」


 私はレーヴェ王子との婚約を思い返して、おもしろく笑った。


 プロポーズの相場だろう。

 不謹慎ではあるが、フランツのおかげで緊張が少しほどけた。

 悪くない気分である。ただし主人の真剣勝負を賭けに使うのは、ちょっと減点ね。


「でもなんだか申し訳ないわ。この勝負、私の勝ちだと思うんだけど」


 無駄話の間に、大勢の決まり切った盤上を見て、私は笑み崩れた。

 後、3手か。


「最後まで勝負を捨てないのは、さすがね。老騎士の誇り、見せてもらったわ」


 3手詰めだ。

 子どもでもわかる。

 私はもはや語るべくもなく相手に理解を求めた。


 勝利宣言である! しかし。


「さようでございますか」


 ゴットフリートは駒を取らずに、人差し指で天を示した。

 私と、ヴォルフと、フランツも、ふと釣られて青空を見上げる。


「ああ、さようでございますね」


 そして、『180度クルリと回った盤上』で、ゴットフリートは駒を取った。


 言わずもがな、私の側の将軍を、である。まさに回天の一手。


「さてと。では、ご相談をお聞きしましょうか。エレミアお嬢さまが……いいえ、魔女エレミア殿が望む、『切実なお願い』を」


「胸をお借りしますわ……」


 給料3月分を棒に振ったフランツがポカンと呆けて、ヴォルフがたまらずに一笑した。


 ……大人って汚いわ。ずるーい。


 やはり私はペテンが得意でないのだと自戒して、ひとまずこの場は笑っておいた。

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